行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

握手をする中国とお辞儀をする日本(その3)

2017-08-13 10:42:51 | 日記
中国は、数々の少数民族による王朝を経ながらも、数千年にわたって漢字を守り、儒教、道教に加え、インドから仏教も取り入れ、独自の文化を築いてきた。現在の習近平総書記が、ことあるごとに2000年以上前の古典を引用し、「中華民族の伝統文化」を強調するのを見るにつけ、この国が背負った歴史の重みを感じる。数年、数十年の単位でしか歴史を語ることのできない日本の政治家とは、根本的な違いがある。

ただ伝統は、変わらずに保存されてきたものではない。絶えずひっくり返され、変化してきた。時間の重圧の中に伝統があるのだと考えるべきだ。それがあいさつの劇的急変、拱手から握手への衣替えにも表れている。変わった後の現象に目を奪われ、失われたものを追想するのではなく、変わったことそのものを伝統として飲み込んでいく奥深さがある。それが抜け出ることのできない重圧なのだ。

微小な個人の意思ではどうにもならない重圧に押しつぶされそうになりながら、人びとは粘膜のベールで自己を守るすべを身につけた。林語堂が見ていたのは、こんな同胞たちのしたたかで、愛すべき姿だったのではないかと思う。

あいさつという儀式化した慣習の底に、文化の沈殿を透視しようとした一人に、『大衆の反逆』で知られるスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)がいる。著書『個人と社会 -<人と人びと>について』の中で、慣習が凝縮されたものとしてのあいさつを通じ、個人と社会のかかわりを論じた。

握手はヨーロッパにおいて、「友好や和平の意志を表わす記号であり、手を拡げてみせることにより武器を持っていないことを示すという通説」(モンタギュー・マトソン『愛としぐさの行動学』)があり、産業革命後、平等主義の市民社会が出現することによって広まったと理解されている。それぞれの意思で、上下の隔てなく交わされる握手は確かに、独立した個々人が対等に向き合う社会を想起させる。

だが、オルテガは個人を大衆の、社会の、慣習の中に埋没する存在と見るので、慣習は「偶発的暴力、強制もしくは制裁という脅威を心のうちにまざまざと見せつけながら私の前に現れる」イメージをもって描かれる。人間は、ちょうど小鳥が空気の抵抗に頼って飛ぶように、自らの限界を泣き悲しむのではなく、恵みの雨として慣習を利用するべく運命づけられている。

「人間は支配されることによって飼いならされ、それまでのはげしい気性の人間から温和な人間になる」。これが彼の大衆論だ。

同著では、文化としての握手の起源を、スペンサーの論を引き受けながら、次のように語っている。

ーー挨拶とは下位の者が上位の者にする恭順の身ぶりである。原始人は敵を打ち負かしたときは敵を殺した。敗北者の身体は勝利者のまえに倒され、残忍に仕打ちを待つ悲しい犠牲となった。

ーーだが原始人も洗練され、敵を殺す代わりに、彼を自分たちの奴隷にするようになる。奴隷は負けて命を助けられたものとしての自己の劣勢の立場を認めて、死者のふりをする、つまり勝利者の前で地面に平伏する。

ーーこれによるなら、原始的な挨拶は屍体(したい)のまねということになるであろう。それに続く進歩は、挨拶するために奴隷が徐々に身を起こしてゆくことである。

ーーすなわち、まず四つんばいになり、次にひざまずき、たなごころを合わせた両手を主人の手に置いた。これは主人に身をまかせたという委託のしるしである。

平等どころか、服従である。だからこそオルテガは、ヒトラーを想定し、ある日突然、「威嚇的に握りこぶしを振り上げたり、あるいは腕を突き出したり、手の平を振り回したりするようになったこと」を、友好や和平の表明ではなく、「闘争への挑発」だと言い切る。慣習は大多数の合意によるものではなく、少数の思惑によって意図的に創造される危険をはらむ。全体主義を生む世論と同じ構図だ。

慣習や伝統という既成概念にはごまかしがつきまとう。中国もまた人びとが片手で毛沢東語録を高くかざし、行進を続けた苦い経験を経ている。人々はあいさつの動作の中に、からだの一部に背負い込んだ歴史の重圧を記憶するのである。

(続)





握手をする中国とお辞儀をする日本(その2)

2017-08-13 09:55:02 | 日記
林語堂がエッセイ集の中で、西洋人の握手をくさして、両手を握り上下させる拱手(きょうしゅ)を誇ったことは前回に触れた。中国人も今ではほとんど握手のあいさつが一般化しているので、もし彼が見たら、彼の皮肉は中国人自身に向かったに違いない。林語堂が西洋人の身体接触型マナーに対して抱いた嫌悪感は、開国後、世界に出た多くの日本人も同じように体験したことだろう。

野村雅一著『身ぶりとしぐさの人類学』(中公新書)によると、明治天皇が1879年、世界周航の途中、日本に立ち寄ったアメリカの前大統領、グラント将軍を謁見し、緊張の面持ちで初めて握手し、清朝のラストエンペラー、溥儀帝がスコットランド人教師のジョンソンと握手したのは、それに遅れること40年後の1919年だったという。そう考えると、中国に浸透した握手文化の伝播速度は極めて速いことになる。なにしろ、日本はまだお辞儀文化を守っているのだから。

ちなみに皇室担当として天皇皇后両陛下の外遊に同行した経験から言うと、陛下はヨーロッパでは出迎えの一般市民と触れ合う際、自然に握手をしておられる。国内とははっきりと使い分けがされている。

東西文明の比較だけでなく、日本と中国のあいさつ文化の違いも今は際立っている。以前はと言えば、日本のお辞儀と中国の拱手は異なるが、ひざまずき、頭を地面に擦り付けるほど下げる叩頭(こうとう)は共通していた。中国では特に、皇帝など高位の者に対して行われた正式な礼儀作法だ。ところが、そこにも大きな違いがあった。

日本に25年間滞在した英国外交官のアーネスト・サトウ(1843-1929)が、『一外交官の見た明治維新』(坂田精一訳)で幕末明治期に見た面白い経験を書き残している。ある中国人が日本人を見て、「叩頭ばかりしている日本人の礼儀作法は了解できない、と哲学じみたことを言っていた」というのだ。

西洋人からみたらもっと異様だろう。米人類学者モンタギューと米社会心理学者マトソンの共著『愛としぐさの行動学』(吉岡佳子訳、1982)も、西洋の握手と日本のお辞儀を並べて論じているが、日本人にとって「お辞儀とは人間関係の始まりである」といい、「人はより礼儀正しくしようと努めるあまり、我妻が“ワンダウンマンシップ”(one-downmanship)と呼ぶところの“お辞儀コンテスト”を行うことがある」と誇張した表現を用いている。

まあ、それもやむを得ないだろう。なにしろ現在も同じような話を多くの中国人から聞かされる。日本人のグループは遠くから見てもすぐわかるそうだ。あいさつだけでなく、会話の中でも、とにかくお互いにお辞儀ばかりしている、という。そう言われて観察すると、確かにその通りだ。日本人の多い上海では、携帯をかけながら、あたかも目の前に人がいるかのように、ひたすらお辞儀をしている日本人サラリーマンの姿もよく見かける。お辞儀文化は相当根深い。

私が日本人の握手で気になるのは、政治家が街頭遊説で、腰を折り曲げ、両手を差し伸べて握手をしている光景である。よくお辞儀と握手を一緒にしてはいけないと言われる。あたかも相手に服従し、卑屈に見えるからだ。実際に、性根は同じなのだろうが、始末に負えないのは、いったん当選すると、その卑屈さの反動として、尊大になることだ。小さな権力を振りかざし、周囲の弱い立場の者に当たり散らす。有権者にしても、すれ違いざまに握手をしただけで、その人を理解しようというのがそもそも無理な話なのだ。ヒットラーでさえ、プライベートでは通りすがりの人々と握手をしていたというのだから。

握手は「奴隷の服従だ」と言ったのは、あのオルテガだ。(続)

握手をする中国とお辞儀をする日本

2017-08-13 09:53:34 | 日記
来月の9月に日中国交正常化45周年を迎える。ある機関紙から「日中関係を考えるわたしの2冊」を挙げるよう求められた。中国にかかわる主要な書籍はみな中国の大学に持って行ってしまったので、記憶に残る本を選んだ。その際、東京に残っている書棚の本にも目を通したのだが、以前、古本屋で求めた林語堂(1895-1976)の『支那のユーモア』(岩波新書、1940)が目にとまった。彼が英字誌に連載したエッセイ『The Little Critic』(小さな批評)の邦訳で、タイトルはフランス語訳の本からとった。「支那」は当時の日本人が一般的な呼称として使っていたものだ。



日中関係には縁遠い内容だったので「2冊」の中には入れなかったが、同書の中に「握手に就いて」の一文がある。林語堂は上海のセント・ジョーンズ大学とハーバード大学で学び、中英の翻訳や著述、教育に業績を残した。中国の古典と西洋文化の双方に通じた得難い人物だ。同文章はつぎの書き出しで始まる。

「東西文明の大きな相違の一つは、西洋人同士互に手を握り合ふのに反して吾々は自分で自分の手を握るといふところから来てゐる。あらゆる馬鹿げた西洋の風習の中でも私は握手ほど怪しからぬものはないと思ふ」

「自分で自分の手を握る」とは、、右手を上に、左手を下にして握りこぶしを作り、胸の上で上下に動かす拱手(きょうしゅ)という中国人の伝統的なあいさつを指している。彼が西洋人の握手を毛嫌いするのは、一つは衛生的な理由、もう一つは「美学的並びにロマネスクな理由」からだ。後者については明快で十分な説明がされているとは言えないのだが、意訳すれば次のようになるだろう。

握手を差し出した方は、相手がどう出るか判断できず、意のままにされる形になるので、平等の美学からすると受け入れがたい。相互の人間関係や感情が一点の肉体的接触に集約されるため、その裏にある感情や愛情を推し量らなければならいことになる。そんな面倒な気苦労はまっぴらごめんだ、というのだ。当代一流の皮肉屋によるユーモアなのだろう。

そんな林語堂が、握手のあいさつが当たり前となっている現在の中国を見たらどう言うだろうか。拱手は封建時代の名残として、近代の度重なる革命の荒波にさらわれ、ほとんど残っていない。今は男女もみな握手である。平等主義という意味では結構なことなのだろうが、なんでもかんでも伝統を捨て去り、借りてきた習慣を接ぎ木のように付け足すのもどうかと思う。拱手と一緒に敬語の多くも失われた。

私は、中国での初対面のあいさつではまず、日本式にお辞儀をする。そのうえで相手に求められれば握手に応じる。いくら長く暮らしても、抜けきれない習慣はある。初対面のあいさつはその重要な一つだ。相手に敬意を表するためにお辞儀はもっともしっくりいく。逆に、親しくなれば、久しぶりの再会でお辞儀をするのはいかにも仰々しく感じられ、他人行儀だ。この場合は、しっかり手を握り合う方がストレートに親愛の情を示しやすい。

だから、握手=平等、お辞儀=身分秩序、と簡単に色分けするのは適当でない。それぞれに伝える感情や意図があるので、時と場所に応じて使い分ければいいと思う。握手にはそれぞれが一個人として独立し、平等だという感じがあるため、逆に、お互いの立場に世間一般的な差がある場合は、ふさわしくないことも起きる。

以前、中国であるシンポジウムに参加した際、日本人の留学生からいきなり握手を求められ閉口したことがある。その学生は中国のネットを通じ、日本人としての様々な意見を公表し、ちょっとした人気があった。そこに思い上がりがあったのだろうか、親子ほど年齢差のある私に、初対面のあいさつとしていきなり手を差し出したのだ。私はそこで、「日本人であれば、日本の礼儀に従うべきだ」とたしなめた。考えてみれば、彼が私に示したマナーは、中国でもやはり受け入れられないものだ。

形にとらわれていると、心を忘れてしまう。郷に入れば郷に従えと言うのも一理あるが、やはり長年にわたり継承されてきた知恵は大切にしたい。私の周囲には形式に流れ、心を忘れている現象があまりにも多くはないか。

林語堂の「握手に就いて」は、次の言葉で締めくくられている。

「近代的な国際関係から教育制度にいたるまで、吾吾の周囲にあるものはおよそ人間の愚かしきことばかりである。人類はラヂオや無線電話を発明する知恵には事缺かないかも知れないが、戦争をやめるほどにはやつぱり賢くはないらしい。人類がほんたうに賢くなるのは一たい何時のことやら。私がいつも些細な馬鹿げたことは大目に見て一々文句を云はず、これまた一興と思つてゐる所以である」

彼の予言通り、その後、アジアは戦争の地となった。時流に流されず、些細なことにこだわることの大切さに思いを致し、私も握手とお辞儀の些事を、掘り返してみたくなった。(続)