メディア間の競争が真相の解明に役立ち、報道の自由を支える柱であることは述べた。寡占・独占市場は競争をゆがめ、自由をないがしろにする。だが、過剰な個人攻撃や誹謗中傷、デマの横行、反道徳的な言論など、ネット空間での野放図な言論が社会に不利益をもたらすことを考えれば、自由がそのまま正義と公正につながるわけではない。
健全な市場を実現するためには、公共性のルールが求められる。市場のルールには、単に経済的な利益に換算される基準だけでなく、法や道徳といった非経済的価値基準も取り入れられなければならない。社会を構成する人々の良識によって、公共のルールから外れた情報は排除される仕組みが期待される。新しいニュース・メディアのあり方も、一企業が求めるビジネスモデルの観点からだけでなく、公共性の概念を取り込んだ、社会全体の問題としてとらえ直す必要がある。
だとしても、なれ合いの寡占体制や自由な競争を阻害する事なかれ主義からは、責任感に裏打ちされた議論も、説得力のある正義の訴えも生まれてこない。何のために取材し、記事を書くのか。その問いに答えを出すすべを失い、私は新聞社を去った。だが探索の旅はまだ続いている。確かに言えることは、記者個人が独立した自己を持っているかどうかである。時流に左右されず、社内の不当な圧力をもはねのける、信念を持っているかどうかである。恐れず、ひるまず、特ダネを追い続けることこそが、記者魂に息吹を吹き込む。
特ダネは主として社会の不正義や権力による不正を告発する形をとる。メディアの主な存在意義が、知る権利を通じた権力の監視にある以上、それは必然的な結論だ。ベトナム戦争の暗部を暴いたペンタゴン・ペーパーや大統領の犯罪を告発したウォーター・ゲート事件など、世界をみても一大スクープが権力による隠ぺいを暴き、時代変革のきっかけを作った事例は、新聞史上の栄誉として語られている。
裏を返せば、特ダネを重んじない新聞社は、権力チェックの責任をも放棄したことになる。その結果、内にあっては事なかれ主義が、外に対しては権力にすり寄る事大主義が根を下ろす。寡占体制によるなれ合い、読者不在の事なかれ主義と事大主義が、報道機関の使命を有名無実化している構造的な欠陥がうかがえる。私が職を辞して訴えたかったことはこの一点に尽きる。
戦前、『信濃毎日新聞』の桐生悠々主筆は、富山県に発し、時の寺内正毅内閣をも打倒した米騒動で、高らかと新聞論を語った。1918年8月16日の同紙社説「新聞紙の食糧攻め-起てよ全国の新聞紙!」だ。気骨ある新聞人の岩をも貫く至言は、私の大きな励みである。昨今、サラリーマン記者の書く社説は足元にも及ばない。
「世に新聞紙があればこそ、私共は事件の真相及び状態を知悉することが出来るのである。もっとも新聞紙の記事中には誤報を伝うるもの、必ずしも絶無ではないが、これを無責任なる流言者の言に比すれば、事件の真相・状態を伝うるにおいて、雲泥の差があること論を待たぬ」
「新聞紙は事実を国民に報道することによって、平生国家的の任務を果たしている。否、事実の報道をほかにしては、新聞紙は存在の価値もなければ意義もない。更に進んで言えば事実の報道即新聞紙である。しかるに、現内閣は事実の消滅そのものを断行せずして、この事実の報道を新聞紙に禁止した。その暴戻(ぼうれい)怒るよりも、その迂遠なる寧ろ憐れむべしである。事件、事実は新聞紙の食糧である。しかるに現内閣は、今や新聞紙の食糧を絶った。事ここに至っては、私共新聞紙もまた起って食糧騒擾を起こさねばならぬ。彼等は事実という新聞紙の食糧を絶って、今や新聞紙の生命を奪わんとしている」
誤報に対し「羹に懲りて膾を吹く」の過剰なリスク管理体制を敷き、本来の使命である真実の追求をないがしろにしている新聞への重大な警鐘だ。守りの技術は進歩しても、みなが窒息してしまってはなんのためのリスク管理かわからない。本末転倒である。リスク管理はそもそも強い守りを作ることによって、より強く攻めていくためのものでなければならない。守ること自体が目的化してしまっては、活力のない組織、魂のない人間ばかりになってしまう。独立した個人は育たない。
(続)
健全な市場を実現するためには、公共性のルールが求められる。市場のルールには、単に経済的な利益に換算される基準だけでなく、法や道徳といった非経済的価値基準も取り入れられなければならない。社会を構成する人々の良識によって、公共のルールから外れた情報は排除される仕組みが期待される。新しいニュース・メディアのあり方も、一企業が求めるビジネスモデルの観点からだけでなく、公共性の概念を取り込んだ、社会全体の問題としてとらえ直す必要がある。
だとしても、なれ合いの寡占体制や自由な競争を阻害する事なかれ主義からは、責任感に裏打ちされた議論も、説得力のある正義の訴えも生まれてこない。何のために取材し、記事を書くのか。その問いに答えを出すすべを失い、私は新聞社を去った。だが探索の旅はまだ続いている。確かに言えることは、記者個人が独立した自己を持っているかどうかである。時流に左右されず、社内の不当な圧力をもはねのける、信念を持っているかどうかである。恐れず、ひるまず、特ダネを追い続けることこそが、記者魂に息吹を吹き込む。
特ダネは主として社会の不正義や権力による不正を告発する形をとる。メディアの主な存在意義が、知る権利を通じた権力の監視にある以上、それは必然的な結論だ。ベトナム戦争の暗部を暴いたペンタゴン・ペーパーや大統領の犯罪を告発したウォーター・ゲート事件など、世界をみても一大スクープが権力による隠ぺいを暴き、時代変革のきっかけを作った事例は、新聞史上の栄誉として語られている。
裏を返せば、特ダネを重んじない新聞社は、権力チェックの責任をも放棄したことになる。その結果、内にあっては事なかれ主義が、外に対しては権力にすり寄る事大主義が根を下ろす。寡占体制によるなれ合い、読者不在の事なかれ主義と事大主義が、報道機関の使命を有名無実化している構造的な欠陥がうかがえる。私が職を辞して訴えたかったことはこの一点に尽きる。
戦前、『信濃毎日新聞』の桐生悠々主筆は、富山県に発し、時の寺内正毅内閣をも打倒した米騒動で、高らかと新聞論を語った。1918年8月16日の同紙社説「新聞紙の食糧攻め-起てよ全国の新聞紙!」だ。気骨ある新聞人の岩をも貫く至言は、私の大きな励みである。昨今、サラリーマン記者の書く社説は足元にも及ばない。
「世に新聞紙があればこそ、私共は事件の真相及び状態を知悉することが出来るのである。もっとも新聞紙の記事中には誤報を伝うるもの、必ずしも絶無ではないが、これを無責任なる流言者の言に比すれば、事件の真相・状態を伝うるにおいて、雲泥の差があること論を待たぬ」
「新聞紙は事実を国民に報道することによって、平生国家的の任務を果たしている。否、事実の報道をほかにしては、新聞紙は存在の価値もなければ意義もない。更に進んで言えば事実の報道即新聞紙である。しかるに、現内閣は事実の消滅そのものを断行せずして、この事実の報道を新聞紙に禁止した。その暴戻(ぼうれい)怒るよりも、その迂遠なる寧ろ憐れむべしである。事件、事実は新聞紙の食糧である。しかるに現内閣は、今や新聞紙の食糧を絶った。事ここに至っては、私共新聞紙もまた起って食糧騒擾を起こさねばならぬ。彼等は事実という新聞紙の食糧を絶って、今や新聞紙の生命を奪わんとしている」
誤報に対し「羹に懲りて膾を吹く」の過剰なリスク管理体制を敷き、本来の使命である真実の追求をないがしろにしている新聞への重大な警鐘だ。守りの技術は進歩しても、みなが窒息してしまってはなんのためのリスク管理かわからない。本末転倒である。リスク管理はそもそも強い守りを作ることによって、より強く攻めていくためのものでなければならない。守ること自体が目的化してしまっては、活力のない組織、魂のない人間ばかりになってしまう。独立した個人は育たない。
(続)