田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

懐かしく見た軽井沢彫家具

2006年10月25日 | 日記
10月25日(水)曇のち晴れ
  昨日から東京吉祥寺の母の処へ来ている。
  車の音が気になり寝付けない、起きてはうとうとして車の台数を数えてみても羊ほどまとまった数がないためか頭の中はより鮮明になってくる。嘗ての吉祥寺とは違い大きな木もなくコンクリートの巨大な建物で全てが埋め尽くされている感じた。
  母は明治43年生まれ今年で96歳になっている。会話も昔のことを話すと際限なく時代が遡るかと思えば60才代の大学教員時代に落ち着く。彼女としては教師と言う立場が一番心地よかったのではないかと思わせることが言葉の端はしにでてくる。しかし、それと同じように会話している私次男もまだ勤めをしているかのようなものの言い方をするので答えに苦しむことがある。最も彼女は70歳まで近くの女子大学で教鞭を執っていたので私の年齢では働いているのは当然と思えるのかも知れない。
  母は若い頃(津田女子大)を卒業したころから外国人宣教師と供に軽井沢に滞在したことにより手に入れ、数十年を経た桜の彫刻がある軽井沢家具を今でも大事に使っているのが嬉しく思えた。園芸が好きだったせいかマンションでもベランダには沢山の鉢植えが綺麗に手入れされて保たれている。しかし、なんと言っても96歳では多くの事は出来ないので介護をしてくれているMさんのお陰で生活が保たれている。
  夕方から立科町の公民館で「やらず会」の全体会議があるため昼に吉祥寺を発ってきた。母とMさんも駐車場まで見送りに来てくれたが、次に合うときには母との会話はどの位成り立つのか加齢と認知症の比例は避けては通れないと思う。
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