田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

春野 ことり著 「天国へのビザ」 に想う

2006年10月31日 | 日記
10月31日(火)早朝 曇→霧 晴れ
  注文していた本『天国へのビザ』が届いた。数日前に信濃毎日新聞に記事が掲載されていたのを読み即注文した。此処立科町へきて本屋さんがないのが寂しいがパソコンで購入するアマゾンやEブックスが大変助かっている。
  新しい本が届くと直ぐに読みたい虫が頭や目や指の先までにも這いだしてきて他にやらなくてはならないことも放り出し本の頁をめくりだす。
  この本で興味を持ったのが腰帯にある『現役女性医師が尊厳死を問う』とあり、私も自ら「尊厳死の意思表示カード」を持つ身であるからだ。自分が死を迎える立場になった時には、その多くの人自身が判断はできなくただ、近親者の事なかれ主義の意見や価値観により過ぎ去って過去のものとなってしまうのが嫌だ。
  最期を満足して過ごすためには元気なときに己を見つめなくてはならないことを実感したのは、この夏に1ヶ月少々入院したことで見えてきた。同じ病棟には高齢の方が多く入院していたが、その中には「生きた屍」状態の患者が心電図の音をナースステーションに響かせ病室はただ本人のみが横たわる。そこは臨終が近いのに親族の誰もいない深夜の病室だ。人生の最後のときを見ず知らずの病院のスタッフに看取られる寂しさは思いようがなないだろう。患者の死の直前になってから医師がバタバタと呼ばれ親族も呼ばれる。しかし、電話を受けるのが高齢の親族のみの場合は夜明け前の電話には応答もないし病院へ向かうことも不可能な人が多いと聞く。話がだいぶ極まりない方向へと向かってしまったがゆっくりと本を読んで人の感情を己の中へ取り込んでみたい。
  自分の持つ「尊厳死の意志表示カード」や「臓器提供意志表示カード」が有意義に社会へ役立つときが来るためにも今からの心構が必要と考える。
  こんな事をここに書くつもりはなかったが気を悪くしたらゴメンナサイ
コメント
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