続・黍生山の村夫子(きびゅうやまのそんぷうし)

黍生山の村夫子が「蜂を追いかけた」とか「山が笑った」とか言ってます。

聖崎上陸大師

2022年03月02日 04時18分28秒 | 日記

昨日の続きで知多半島聖崎公園で河津桜を見ています

 

展望塔に登って来ました

 

北の方には武豊の火力発電所の集合煙突が見えます若い頃黒鯛にハマってあそこに通いました

何十人という釣り人が来て釣れるのは日に1匹か2匹俄マニアに釣れるはずもありません

 

南にはmcnjさんのチッタナポリが直ぐ其処にのっぽのビルだけでなく右の方も全てチッタナポリ

ですよね、mcnjさん

 

方位盤にあった北の佐久島

 

真ん中の日間賀島

 

南の篠島篠島は若い頃何度も行きました

 

海岸に下りるとここから弘法大師が上陸したと言うので大師像

 

この海岸から富士山が見えるようですそう言えばmcnjさんも「富士山が見える」って仰ってましたね

 

海に水鳥歩地爺さんのブログでは毎日拝見していますが生で見たのは初めてかも

 

オオバンのようです

 

チッタナポリに近付いてみましたチッタナポリを傾けちゃいました

 

由来板がありました

私費留学生は20年間唐に居なければいけないのに2年で帰って来てしまった空海

都に入ることを許されずに太宰府に留め置かれ最後は高雄の神護寺に身を預けられます

遣唐使仲間から空海が最先端の仏教である密教を持って来た事は知れ渡っていました

一緒に行った官費留学の最澄は超エリートでしたので唐から1年で帰って来ました

最澄も帰る直前になって密教の存在を知りましたが学ぶ時間は有りませんでした

だから多くの公家と一緒に空海の入京に尽力したようです

入京が許可されたのは帰国から3年後の809年です

それからは時代の寵児です

何しろ真言密教を学んだのではなく空海が正当な継承者となり

法典、経典はおろか真言密教そのものを持って来てしまったのですから

だから入京から5年後の814年にこんな所に来る暇があったんだろうかと思う訳です

でも何しろ弘法大師ですからそれに三河は朝廷が厚く保護した場所ですから

ハァハァ一寸熱くなり過ぎました 

 

海で頭を冷やして帰ります

 

コメント (8)
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