ひろしま歴史街道散策くらぶ3月例会(雲石街道と阿武山麓)に参加!
平成28年3/17(木) 13:45 JR上八木駅 集合 20名参加
コース 「雲石街道と阿武山麓」
散策経路
八木垰~八木城跡~八木胡子神社~古川~八木梅林~佐東公民館~七軒茶屋跡~中須胡子神社
JR上八木駅 雲石街道を出発です。

◎ 八木用水
八木用水は、江戸中期に祇園町の桑原卯之助によって苦難の末作られた農業用水路です
全長16kmにわたり、200年以上の間灌漑(かんがい)や生活用水として利用されていました。
近年、都市の発達と共にその果たす役割は少なくなっていきましたが、今なお郷土の歩みを語り続けている重要な歴史的遺産です。

どんこ石組が採用されています。
民家の「彼岸桜」が満開です。

◎ 八木垰
江戸時代には一里塚があったと言われる標高21,9mの峠。
「芸藩通志」に「セキシロ」という地名があることから関所が設けられていたと考えられる。、


◎ 阿武山
蛇王池の碑、蛇の池の地。
18歳で15人力の香川勝男が、阿武山にいた大蛇を退治する話が残る。

◎ 伊勢神社
室屋、山手の氏神と言われる。
祭神は天照大神で、天文年間、別所の住人三郎兵衛という人が、猪が田畑を荒らすので困り、伊勢神宮にお参りして祈願し、お札を頂いて帰りお祭りした社だと言われています。

(八木バイパスの下から見ました)
◎ 緑井土砂災害地
阿武山麓災害地。(2014年8月20日)

◎ 雲石街道
雲石街道 八木地方 2,1mの道幅

◎ 八木隧道
八木用水のトンネル出口(八木山)

ヒメオドリコ草

◎ 大歳社
八木城主、香川氏の邸宅があった土居の内の氏神。


ここから上に八木城跡があります。
承久の変(1221)後その戦功から安芸の国佐東郡八木村の地頭職になった香川氏が築城。

太田川の向かい側の恵下山城跡
(太田川と諸木川を天然の堀として利用する水軍城としての機能が指摘されている)

路傍の「ボケ」の花が綺麗でした。

続きます・・・
平成28年3/17(木) 13:45 JR上八木駅 集合 20名参加
コース 「雲石街道と阿武山麓」
散策経路
八木垰~八木城跡~八木胡子神社~古川~八木梅林~佐東公民館~七軒茶屋跡~中須胡子神社
JR上八木駅 雲石街道を出発です。

◎ 八木用水
八木用水は、江戸中期に祇園町の桑原卯之助によって苦難の末作られた農業用水路です
全長16kmにわたり、200年以上の間灌漑(かんがい)や生活用水として利用されていました。
近年、都市の発達と共にその果たす役割は少なくなっていきましたが、今なお郷土の歩みを語り続けている重要な歴史的遺産です。

どんこ石組が採用されています。
民家の「彼岸桜」が満開です。

◎ 八木垰
江戸時代には一里塚があったと言われる標高21,9mの峠。
「芸藩通志」に「セキシロ」という地名があることから関所が設けられていたと考えられる。、


◎ 阿武山
蛇王池の碑、蛇の池の地。
18歳で15人力の香川勝男が、阿武山にいた大蛇を退治する話が残る。

◎ 伊勢神社
室屋、山手の氏神と言われる。
祭神は天照大神で、天文年間、別所の住人三郎兵衛という人が、猪が田畑を荒らすので困り、伊勢神宮にお参りして祈願し、お札を頂いて帰りお祭りした社だと言われています。

(八木バイパスの下から見ました)
◎ 緑井土砂災害地
阿武山麓災害地。(2014年8月20日)

◎ 雲石街道
雲石街道 八木地方 2,1mの道幅

◎ 八木隧道
八木用水のトンネル出口(八木山)

ヒメオドリコ草

◎ 大歳社
八木城主、香川氏の邸宅があった土居の内の氏神。


ここから上に八木城跡があります。
承久の変(1221)後その戦功から安芸の国佐東郡八木村の地頭職になった香川氏が築城。

太田川の向かい側の恵下山城跡
(太田川と諸木川を天然の堀として利用する水軍城としての機能が指摘されている)

路傍の「ボケ」の花が綺麗でした。

続きます・・・