かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

えびす様が操る宝船で一億円を運んでこられるようです

2019-01-15 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2019年1月15日(火)

イエスの陵墓に手を合わせるように設計されている射楯兵主神社のえびす祭りは、14日~16日です。

西宮神社えびす祭りの最後の日である残りえびすの11日が私の誕生日ですが、毎朝、射楯兵主神社の鳥居前から神社に向かって「イエス様お早うございます」と手を合わせている私は、今年は二回もえびす様に手を合わす感じです。

射楯兵主神社でイエス様に手を合わす方向にこれまた恵比須様のお墓もありますから、15、16日から「えびす様お早うございます」とイエス様と共にご挨拶をしてみましょう。

いえいえ、その方向の聖地神河には、実は七福神様たち全員が祀られていますから、皆さんにこれからはご挨拶をいたします。

そうすれば・・年末には大変なことになっていることでしょう。

んん~~ん、誕生日のお祝いをしてもらった日に、西宮えびす様から七福神が乗った宝船と一億円の大札をいただきましたが、年末には本当に宝船で一億円が運ばれてくるような気がしてなりません。

Kさん、ありがとう! 年末が今から楽しみですぅ・・!!

 


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蛭子(ひるこ)は卑弥呼に決定!

2019-01-10 05:05:05 | かごめかごめの真実とは

2019年1月10日(木)

 今日は、えべっさんの日、十日戎。

全国のあちらこちらに屋台も並んで賑わっていることでしょう。

その中でも全国の恵比須社の総本社である西宮神社は、その位置に重要な意味があります。

弁財天の総本社は、宗像大社です。

弁財天の総本社がある宗像から、全国えびす神の総本社がある西宮までが、魏志倭人伝に記されている20日・10日の1か月の船での航路です。

20日で着く港は、鶴島、亀島があった福山の大門でした。ここは瀬戸内の潮待ちの場所でした。

そうなのです。瀬戸内は宝船が行き来する航路なのです。

ちなみに西宮市の市章は、誰がみてもユダヤを表現していますね。いえいえそう書かれていますよ。

そうそう、そうでしたね。魏志倭人伝にかかれている航海航路は、仁川(インチョン)から仁川(西宮)でしたね。

そこから聖地神河にある卑弥呼さんの居城までが陸路1ヶ月を要しました。

そこで・・、もう一度西宮神社。

ここの主祭神は蛭子(ひるこ)大神で、他に天照大神(あまてらすおおみかみ)、大国主(おおくにぬし)大神、須佐之男(すさのお)大神の三神を配祀(はいし)しているとのこと。

天照大神はアブラハムの父テラでしたし、大国主命はイエスでしたし、須佐之男命はモーセでした。

では・・、蛭子大神は、誰!? だれだ!??

この国で4番目のヒーローは・・!??  

んん~~ん、恵比須様はイエスの従兄弟のタダイで、常に大国主と同行しサポートしましたが、申し訳ありませんが歴史の表舞台に登場するには無理がありそうです。

あくまでも彼は裏方に徹しています。

・・と、なれば、この人しかいません。

蛭子は、・・卑弥呼に決定!です。

    

七福神ならぬ九福神様たち、楽しそうですねぇ。

毘沙門天も卑弥呼をみてますね。


 

神々が祝福してくれています!ブログをUPした直後に東の空に・・見せてくれました。でもその綺麗な情景はほどなくして閉ざされました。


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2年前のエビス様の日には、空海様の足跡をたどって西安へと行っていました

2018-01-10 10:27:19 | かごめかごめの真実とは

2018年1月10日(水)

 西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社で、日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)ですが、

9~11日までの3日間が、えびす様のお祭りとして関西では有名です。

このえびす様の祭りが終わらないと、関西では新年の仕事がスタートできない雰囲気があります。

2年前のこの3日間に、空海様の足跡をたどって中国の西安へと行きました。

思い出に残る3日間でした。

空海様の足跡をたどって西安へ その1

空海様の足跡をたどって西安へ その2

空海様の足跡をたどって西安へ その3

空海様の足跡をたどって西安へ その4

空海様の足跡をたどって西安へ その5

このようにして空海様の足跡をたどって、

空海さまと七福神が隠して伝えた「世界文明の起源」 は、出来上がりました。


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「完全に現実を忘れた二日間でした!」と本田君

2013-07-27 20:10:44 | かごめかごめの真実とは

2013年7月26日(金)~27日(土)

名古屋から本田君が新幹線で事務所へ。

昨年11月の旅行のコースを辿りました。違ったのは宿泊場所(豊楽さん)だけでした。

本田君は終始、本を片手に「ここですね!ここがこの本に書かれているところですね」と。

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「鉱夫は何を考えてたんだ」  

「空海様だったらこんな彫刻はしないな、もっと芸術的な表現をするな」と、私

「これは判りすぎますね、ハハハハ~」と本田君

・・・・・

 あれれ!? 三菱のマークの原形は、西宮神社の神紋と同じようですよ。(生野銀山資料館)

最後は、龍上山延応寺の空海様へご挨拶を。

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本田君は今、お嫁さん募集中であります。良き御縁がありますようにといつも気になる私ですぅ


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七福神の総本山

2013-05-16 12:05:17 | かごめかごめの真実とは

                    かごめかごめ

2013年5月16日(木)

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生まれ育ちも一切、兵庫県には関係ない私が、そしてその埴岡の里と言う言葉さえも知らなかった私が、行ったこともない地域に行かされ、せっせせっせと空海様の指示にしたがって言われた場所に行っては穴を掘り、穴を掘っては線を引き図面を書かされ続け、又、書かされた図面を元に山に登らされています。  ・・ 本当に本人の私でさえ不思議で仕方ありません。

  間違いなく神様と言いますか、霊体といいますか、意識体があるようです。

 「あなたは誰ですか!?」 ・・ と問えば、

             「私は有って有る者」と応える方が確かに存在しているようです。

私に「契約しなさい、早くサインしなさい!」 と迫った存在が私を動かしています。

 一番最初に言われたのは、「天皇家のルーツを知らないでは困ります。覚えてください!」という指令でしたが、その次は龍神の解放でした。

そして・・、「七福神の謎を追え」と言うものでしたが、やっとここに来て解けたようです。

かごめかごめの唄は、これらのことを現代の私達に伝えていました。

     空海様に導かれてやっとここまでたどり着くことができました。

 生野、神河町の埴岡の里が 「かごめの故郷」 であり、そこには、この我が国の礎に大いに力を注いだ、その人がいなかったら現代の日本は存在しないという、ヤマト建国の立役者達です。 ・・ でも、この方々の存在は全て闇の中に葬られています。

全国あちらこちらで祀られている七福神の総本山が埴岡の里であり、そこが「かごめの故郷」でした。

魏志倭人伝に記された、邪馬壹国と、そしてその女王国の女王が居てた場所が、埴岡の里であり、女王卑弥呼への朝見ルートには、「」という文字が地名として残されていました。

そしてその上陸地点に七福神を祀った西宮神社(恵比寿神社)があるのも納得できるものです。

又、女王卑弥呼の墓が一番良く見えるところに七宝寺があり、七福神が乗った亀さんが置かれているのも大いに神様がストーリーを布置しています。

その七宝寺さんへの入り口では、空海様のお像が凜として立って婀月山の方角を向いているのも全て布置されたものと捉えて間違いありません。

七福人の中でただ一人、びわを抱いた女性である弁財天がなんと、卑弥呼女王様でした。

 さぁ・・空海様が私に教えてくれた七福神と、その方達が祀られている山山です。

     さぁ・・ 隠された歴史を皆さん、勉強してください

            どうして そうなのか、 謎解きをしてみてください。

       私の旅は、七福神様との対話の旅のようです。  旅路は・・続きます 

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  高尾先生の後方に卑弥呼おばさんのお墓である婀月山が見えます。

   (2013年3月28日 高尾先生、七宝寺にて

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 亀さんの上の球に掘られた七福人は、手で回すとぐるぐると回ります。

  弁財天を、ご本人のお墓を向くように向けてきましたが・・、次にはどこを向いていますやら。

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神河町役場からメノラーの地上絵の上部が見えます

2013-03-27 11:30:28 | かごめかごめの真実とは

   メノラーの地上絵の空撮に成功しました

2013年3月26日

夕方5:00前、ちょっと神河町役場へご挨拶の私でした。

「地元の方々がこの重大なことを誰よりも早く認識される必要があるのではないでしょうか」と、20日に西宮神社会館で行われた「夜明けの祭典」の報告と、その時に来場者の方々に渡された小冊子をお渡して、町舎本館入口を出ると、そこから右手前方250°の方角を見たところにちょうど外灯が立っていますが、そのやや左手240°の方角がメノラーの地上絵の頂点で、その裏先にひょうたんの口の部分があります。町舎入口からメノラーの上の部分が顔を出しているのが確認できました。

 

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800mのひょうたん と、1.8㎞のメノラーの地上絵が神河町町舎のすぐ近くに存在しています。神河町には、一万年前以上も前から人々が暮らしていたという考古学的にも貴重な福本遺跡の存在があります。

 

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私は最初から、市川を渡って町舎方面に向かう時に、正面に見えるあまりにも奇麗な三角形の山が、ピラミッドに見えて仕方ありませんでしたが、これが、巨大なメノラーの地上絵を支える大事な防護の山だったことが理解できた時、やはり直感は大事にしなくてはならないと思ったことでした。

 

 新寺前橋東の交差点から真西を見たときにその見事な三角形の山が見えます。

 

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神河町を後にして、播但自動車道を南へ帰る途中、市川南の出口付近から、あの素晴らしいベンチマークポイントの幻の千鶴山が私を見送ってくれました。 「神河町へまた来てね!」と言ってるようでした。

  

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5月末、遅くても6月の頭までには、日本史世界史を揺るがす「地上絵発見!」の本が、全国の書店に平積みされます。この本はほどなくして世界へと翻訳されて広がりをみせます。その時、世界中から人々が神河町、生野町へとやってきます。地元と行政側が何も知らない、対応できないでは、大変なことになります。

 

そして・・そして・・、実は、この直径20㎞円内に造られた地上絵群がある埴丘の里が、七福神の総本山であることが分かりました。

2013年3月26日(火曜日・かのと う 15日 七赤 仏滅) 私は、七福神の正体を全て解明しました!

やはり、卑弥呼への朝見ルートは、七福神のルートでした。

    空海様が、庭に福がある言ってらっしゃったことが分かりました!

やはり、9

 

 

 


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亀甲紋と十字架の光が写し出されました

2013-03-24 21:10:20 | かごめかごめの真実とは

2013年3月20日(春分の日)に兵庫県の西宮神社で開催された「夜明けの祭典」に全国からお集まりいただきました皆様方に、厚く御礼申し上げます。 

アッという間に時間が過ぎ去った思い出のひと時でした。 本当にありがとうございました。

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翌日3月21日~22日(金)

遠方より来ていただいたHさんご夫妻と上部さんを、神戸は六甲山の石の宝殿から高砂市の石の宝殿とをご案内し、夜は神河町の豊楽さんへ泊り、翌日朝9:00スタートで、八幡山連峰の川のある西の風景を眺めて北上して走っていると、「橋がありますね」と上部さんのとっさの言葉に、「じゃ~渡ってみましょう」とハンドルを右へ切って渡りました。私も初めて渡る橋でした。

「ためのぶばし」と書いてありました。

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そしてそこからほどなく行ったところに為信神社がありました。私も初めて行く神社でした。

その神社は、八幡山を中心としたカゴメ紋の一番南にあるポイントと、卑弥呼の墓とを結んで正三角形になる場所に位置する場所に建っている神社なので、一度行ってみたいと思っていた神社でした。この神社の名は、以前は鳴止権現と呼ばれていたということですが、この権現の鳴止という名前にこそ大いなる秘密がありそうに私には思えました。

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そして・・、そこで撮ってきた写真を後日見てみると・・、なんと不思議な写真が写っていました。

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                         この上の庭の白い部分に注目!

亀甲紋が光で刻印されたように見えるのが見えますでしょうか。

そして、そして・・・なんと!!

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光の十字架も写っていました。


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イエス・キリストの生命の樹が完成

2013-03-19 17:12:35 | かごめかごめの真実とは

2013年3月19日(火)

第5の生命の樹がなんとなくシックリ来なくて・・原図を探しても見当たらなくて、大事な西宮神社会館である「夜明けの祭典」に全国から来ていただくにあたり、やはり書きなおす必要がありました。

描き直して・・、正解となりました。

 これでハッキリと言えます。 これが 「イエス・キリストの生命の樹」です。

何度見ても飽きることがない、見事なバランスの生命の樹です。

伊王島から宇佐八幡宮を通り、埴岡の里の八幡山までがそのセンターラインです。

宗像大社も出雲大社も重要なセフィラに位置しています。

このカバラ(生命の樹)が意味することを、どれほどの人が理解できるでしょうか。

今までのものは、物部君の生命の樹になっていましたね。

宇佐八幡宮神託事件は、伊勢神宮よりはるかに宇佐八幡の神様が崇められていたかが、この図形からも知りえることができます。

さぁ、この日本には、モーセの男女の生命の樹や、イエス・キリストの生命の樹、平安京遷都の生命の樹、空海様の生命の樹など、見事に三角法を駆使して重要なポイントの位置決めがなされています。

悲しいですが、卑弥呼おばさんは、この我が国が血を流し分裂しない為に、自分からその位置決めをして永遠の眠りに着く場所にお墓を造り、そして自ら岩戸を閉めて入定しました。

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明日、このことを西宮神社で皆さんにお話をしなくれはなりません・・。

ああ・・、また会場に卑弥呼おばさんが現れるかもしれません・・・。


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西宮は素晴らしい、重大で重要な歴史の街です!

2013-03-16 13:08:56 | かごめかごめの真実とは

            邪馬壹国の女王卑弥呼への朝見ルートの重要港が西宮でした

2013年3月15日(金)

20日(春分の日)に開催される「夜明けの祭典」が西宮神社(兵庫県)の神社会館で開催されるのに、どのような会場なのかの下見も兼ねて、阪神南地域ビジョン委員会の皆様が開催された、「鎮守の杜と地域コミュニティとのかかわり」へ行ってきました。

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この講演会で吉井良昭西宮神社宮司様が、境内に大きな円形のすり鉢状の観客席を持った相撲の土俵が造られていたことを語られていたことは、この恵比寿神社(西宮神社)がいかに重要な神社であり、日本の歴史の中で重大なことを秘めていた神社であることを教えてくれるものでした。そして・・

神社の三連春日造も重要な意味を教えていますが、ここの「変わり三つ柏」の神紋こそ、西宮市の市章との重大な関わりのある秘密を教えてくれるものでした。

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神紋の柏を図案化した柏はブナ科の落葉喬木。葉は広く、葉肉が厚いので、上古では食物を盛る食器とされていた。『隋書倭国伝』に「倭人、皿や俎なく槲の葉を以てし、食うに手を用いて餔う」と記されてあるように、これは外国にまで知られていた。食膳をつかさどる者を、古語で「かしわで」(膳夫)といったことにも関連がある。食器として神事に使用されてから、柏木を尊重するようになり、「かしは木はもりの神」(『狭衣物語』『枕草子』)として神聖視された。その後、製陶の技術が進んでも古儀にならい、祭事の神饌を盛るのに用いられたため、瑞祥・信仰的意義から、神職の家が柏葉を家紋とするようになった。伊勢神宮の久志本氏、熱田神宮の千秋氏、宗像神社の宗像氏、吉田神道のト部氏、備前吉備津宮の大守氏などは、いずれも柏紋を用いた。

・・・

遡ること2005年11月15日、前イスラエルのエリ・コーヘン駐日大使は、四国徳島県美馬市にある倭大国魂神社と、自然石を積み上げた石積の神殿がある神明神社を公式訪問している。

そして倭大国魂神社の神紋を見てエリ・コーヘン大使は、「驚いたことに、徳島の神社にユダヤのシンボルであるメノラーがあった」と証言している。

そのエリ・コーヘン大使が驚いた三つ柏の神紋と、西宮神社の神紋と、イスラエルの国章との意味が正に同じである。

 

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ユダヤの人達が、西宮の市章といい、西宮神社の神紋を見ると、それはそれはもう、涙流しながら手を合わせることでしょう。

いかに西宮神社がある西宮市が、日本の・・、いや世界の歴史の重大な秘密を解き明かす重要な所であるかを教えています。

西宮神社には、これから沢山の人達がお参りに来ることでしょう。

そして、そこから世界の人々は、本当の世界の聖地である、兵庫県の中央に位置する、「埴岡の里 」(現在の生野、神河町)へと歩きだすことでしょう。

エリ・コーヘン大使が公式に2回徳島を訪問し、「ユダヤの秘宝であるアークが間違いなくある!」と断言していたそのアークを、オスプレイが飛行ルートを一夜にして急きょ変更して真っ先に剣山を目指したのも予測されていた出来事でした。

でも・・・、「剣山から生野へ私が移し替えた!」と、空海様が私には教えていました。

そして邪馬壹国の女王卑弥呼は、八幡山の上から北北東に位置するご先祖様が眠るユダヤの二人の大王、モーセとイエス・キリストとの平和の祈りを日々絶やすことなく司ったのでした。

卑弥呼への朝見ルートの最終港が西宮であり、陸路1ヶ月のスタート地点が西宮神社でした。 最終港は始発港でもあります。

重要で重大なその場所で、「夜明けの祭典 」を来る20日春分の日に行います。

当日参加される方に、素晴らし小冊子がプレゼントされます。

      内容は、実に素晴らしいものとなっています。

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女王卑弥呼への陸路1か月のルートを電車で行く

2013-03-10 21:30:01 | かごめかごめの真実とは

2013年3月10日(日)

女王卑弥呼への陸路一か月のルートを、電車で辿りました。

朝7:45分に自宅を出発し、ルートの始まりは西宮ですが、尼崎(あまがさき)でJR福知山線(ふくちやません)を9:16分発の「特急こうのとり3号」で出発し、宝塚(たからづか)9:32 ?     三田(さんだ)9:45 ? 篠山口(ささやまぐち)10:03 ? 柏原(かいばら)10:23 ? 福知山(ふくちやま)10:44 ? 和田山(わがやま)11:15 到着でした。

重要なベンチマークポイントである春日の小富士山も車窓から近くに見えました。

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ここから播丹線(ばんたんせん)に乗り換えです。

家を出るときは温かったのですが、下りた途端、雨で一気に気温は下がり、用意していたベストをリュックに入れていて大正解でした。

和田山からは1両車両のワンマンカーで、出発は11:59の予定が4分遅れで出発し、? 竹田(たけだ) ? 青倉(あおくら) ? 新井(にい) ? 生野(いくの) ? 長谷(はせ) ? 寺前(てらまえ)到着が12:52分でした。

卑弥呼が居てた場所は栗で、駅は長谷駅です。駅を下りて東上の山を越えたところに卑弥呼の墓はあります。でもここからは、道なき道を登って3時間ほどかかります。

卑弥呼の祈り場である八幡山は、駅を下りてほどなく北へ行くと見えます。でも到底その場所へは行くことはできません。

でももう少しすると桜の花が咲きます。昨年4月20日にM先生と行きましたが、それはそれは素晴らしい情景でした。

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寺前では、古代史研究家の市川慎さんが出迎えてくれました。

そして、市川さんが市川町にある「ひのストアー」入口にあるいつもの喫茶店まで連れて行ってもらって、久しぶりに食事をしながらいろいろと教えていただきました。

市川慎さんが、

現れた太古の大神殿!ピラミッドは人類の根源を語る!

 神代の残像最終章 を新たに出版しました。

今、予約受付中とのことです。

       私は今読んでいますが、この本は、それはそれはこの世の重大な秘密を解き明かしています。 オスプレイもどうして新たにブラウンルートを秘かに計画したのかもこの本を読めば納得いくことでしょう。

いかに私達のこの世界において、そしてこれからの世界にとって重要で重大な秘密が兵庫県の中央の山に隠されていたのかが理解できます。

かごめかごめの唄は、

     「うしろの正面だ~~れ!?」

          「夜明けの晩に鶴と亀が統べった!」と、教えていませんでしたか?

 みなさんの記憶の中に組み込まれたメッセージは、キッチリと世界大一級の秘密の在処と、その重要で重大な先人から託されたメッセージでした。

 これは 大変なことです!!

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市川さんに福崎の駅まで送っていただき、福崎15:45発の特急はまかぜ4号に乗って、姫路を通って三宮まで来て、普通電車に乗り換えて六甲道の事務所に帰ってきたのは、丁度夕方の5:00でした。

事務所に帰ってパソコンのメールを見ると、Uさんからのメールがあり、報告メールを返信しました。

 Uさんへの返信メール

Uさんへ

お世話になります。

 2年の月日は瞬間でもあり、長い長い時間でもあります。

 私には、20年もの時間が経ったようでもあり、瞬間に去った過去のようでもあります。

 ご冥福をお祈りいたします。

 亡くなられたお兄さんと、亡くなった私の弟と、

 肉体を持った私達の身体で、カンパ~~イと又、近いうちにやりたいものですね。

 私は今日、 卑弥呼への一ヶ月の陸路の朝見ルートを、電車でたどりました。

 やはり、道標に、山の上に山を沢山造っていました。

 どうも・・、山の形にも意味や法則性を持って造られているような気がしました。

 現代の電車で一日ですが、その時代、一ヶ月は十分にかかったであろうことは、車窓からでも十分に推測することはできました。

 八幡山連峰中央の西の麓にある、長谷駅が卑弥呼が居てた栗集落ですが、現在でも栗という地名も残っています。

 その長谷駅の次の駅が、寺前という駅ですが、市川慎さんに駅まで迎えに来ていただいて、いろいろと、久しぶりに話をして帰ってきました。

 陸路一ヶ月をこの目で見てきた有意義な一日でした。

 

               うえもり

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西宮から西宮へ戻ってくる環状線ルートの距離は282,9kmでした。

282,9 ・・・ ニワフク ・・・ ニワニフク ・・・ 庭に福 ・・・ 庭に幸

七福神を祀る西宮神社がある西宮駅から、卑弥呼へお参りに行き手を合わせて帰ってくるルートは、やはり福を授かるルートでした。

尼崎駅から福知山を通って長谷駅までは、線路の距離で166,8kmで、実際には山を迂回したり、険しい谷を渡ったりしたら何倍の距離になるのでしょうか。しかも宝物を積んだ3つの御竜車を押したり引いたりとして・・、1ヶ月を要した陸路でした。

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来る20日、西宮神社で夜明けの祭典を行います。

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陸路1ヶ月の重要ポイントをあづきちゃんが教えてくれました

2013-03-09 21:28:42 | かごめかごめの真実とは

                   邪馬壹国     

2013年3月8日(金)

朝から阿陀岡神社(あだかじんじゃ)(兵庫県丹波市春日町多利)電話0795-74-0646をカーナビにセットし、8:30頃には到着した。

前日、いつもながらに深い眠りの後、グーグルマップに三角定規を当て、卑弥呼の墓から墓が向いている香住町の庵月山とを結び、2、1、√3のポイントを見てみると・・、なんとまたまた勾玉の形をした山が田んぼの中にあり、山の名前が「小富士山」となっています。

ネットで情報を見ると、何か曰くが漂う奇麗な形をした山なので、早速行ってみました。

近くまで行くと、私の目には間違いなく整った奇麗な人工的な山に映ります。

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そして、目指す阿陀岡神社に到着すると、前日初めてネットで見た情景が現実のものとしてそこに存在し、そこに立っている自分が何故か不思議で仕方ありませんでした。

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磐座(いわくら)群は、何千年経ってこのポイントが重要な場所であったことを私達に教えてくれています。

この神社は創建不詳というほど由緒ある神社です。

おそらく、福の神様の本宮である西宮神社と同じ時代に存在したと私は思います。

その答えは、この北に位置する小富士山が、卑弥呼への朝見ルートで西宮神社から陸路1ヶ月の重要なポイントにあたる場所だからです。 その時代、このポイントを通らないと目的地へたどり着けないからです。

そして、阿陀岡神社から見て真北に小富士山がありますが、その北に位置する場所に、鴨神社がありました。

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小富士山を南から、そして東を回って鴨神社を見て西へと回ると、遠くの山に人工的な山が奇麗に見えました。 

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その目印の山は、鷹取山でした。阿陀岡神社の拝殿の重要な場所に鷹の彫り物があったのも、このことを教えていました。

あの山の向こうに粟鹿山があり、その麓にある粟鹿神社へと行くには、その小富士山からもう少しだけ北へ進み、福知山を通らなければなりませんでした。

小富士山を通らなければ、山の中へと迷い込んでしまいますから、必ず通る目印の山でもあり、そしてその勾玉の形をした小富士山が向いてる方角には、キッチリと段ヶ峰を教えています。 私には当初から、段ヶ峰は、「ダン族のお墓です」と教えていましたが、ダン族と鴨氏の関係を教えているようです。

卑弥呼への陸路1ヶ月の詳細な朝見ルートがハッキリと浮かび上がってきました。

明日は、その1ヶ月のルートを、電車に乗って旅してみたいと思います。

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今、まさに日本から夜が明ける

2013-02-17 11:55:19 | かごめかごめの真実とは

2013年3月20日(春分の日)  夜明けの祭典 

 

   を、  西宮神社会館 で行います。

参加費   3,000円

女王卑弥呼への朝見ルートで、重要な役割を果たした、「西宮神社でキッチリと我が国の真実を皆に伝えよ!」と七福神様達が言ってらっしゃられますので、福の神様の命を受けて世界平和への祭典を行います。

七福神様は、この我が国の礎に命をささげた人達でした。

福禄寿様は、モーセでした。

大黒様は、イエス・キリストでした。

紅一点の弁財天様は、・・・?  そうです! 女王卑弥呼でした。

邪馬壹国は、オリオン座の形をしていて、東の宮と西の宮に分かれるような地形をしていて、東の宮が行政府の役割を担い、西が神事を行う宮で、女王卑弥呼への朝見ルートの最終港が西宮でした。 ですから、創建不詳と言われるほど古く歴史ある神社が西宮神社ということです。 卑弥呼と西宮と恵比寿神社は切っても切れない、ドラマが封印された舞台だったのです。 そのような2000年前にタイムスリップし、それをキッチリと知ることで、西宮の港から今度は世界へと七福神様達が宝船をこぎ出すことでしょう。

終着港は始発港です! このようなお話をしたいと思っています。

あなたの胸の中で、宝船の帆が上げられようとして居ますよ・・、目を閉じて心を落ちつけたら、波打ち際の潮騒と宝船が揺れる音も聞こえてきませんか。 空は快晴ですよ!

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女王卑弥呼の住む山門への陸路1か月のルートは

2012-08-02 22:42:19 | かごめかごめの真実とは

Img3101112160001邪馬台国の女王卑弥呼の住む山門へのルートは、呼子から吉、岡、津と陸路で、津から船で行くこと20日で山(大門)、そこから10日で着いた所がの神「えびす様」の総本社西宮神社がある西宮でした。西宮からの陸路1か月は、西宮、宝塚、三田、春日、知山、朝来へと来て、そこから南下して・・そして神河町と生野にまたがる八幡山へとやって来ました。Dscf6401_2粟鹿山からは福を知らせる福知山が見通せる位置にあり、重要な場所であることが分かります。

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2012年8月2日(木) 

粟鹿(あわが)神社(兵庫県朝来市山東町)へ行きました。

「額の長いお爺さんがあなたを待っています」と、神様の言葉を告げるRさんに言われて、昨年、中国の千山へと呼ばれて行きましたが、その時、お爺さんの足元に鶴と鹿のプレートがあり、鹿が何をくわえているのか気になっていましたが、その謎が不思議の古代史を研究している市川慎さんが最近出版された「続・神代の残像」のP161を読んでその答えを見つけました。

粟鹿地名について伝承では、鹿が粟を三束くわえて粟鹿山から現われて、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると云うが、むろん後世の作り話である。

・・とありますが、これは意味ある伝承であり、私にはこれで全ての謎が解けたようです。

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生野の資料館にあった神紋は、姫宮神社の神紋と同じでしたが、粟鹿神社の神紋も又、同じ神紋でした。

伊勢神宮からヶ峰を通って生野へ伸びる生命の樹のラインは、中国の遼寧省鞍山市山(チェン シェン)でしたが、卑弥呼の時代、中国の千山との交流を確かに教えてくれています。そして神紋もまた重大なことを教えているようです。

千山の大雁塔にはこの世には実在しない1人の神様と8人の実在した神様が祀られていると教えてもらいましたが、日本にやってきた恵比寿、大黒など七福神は実在した人物だったのでしょう。

鶴と鹿は神様の使いであり、鹿が銜えていたのは3束の粟ということが分かりました。

そして神様である額の長いお爺さんが教えていたのは、教道無窮(キョウ ドウ ウーチュン)という、この世には無現の悟りがあるということを教えていました。

8人の中で偉い順番は、リョドウヒン カンショウシ ソウコクキュウ カセンコ ランサイワ リテッカイ チョウカロウ カンショウリ で、8人が住んでいるのは 蓬莱仙境であり、浦島太郎が行った龍宮城は、普陀山 (プトゥサン)と教えてもらいましたが、そろそろその地に行かなくてはならないのかもしれません。

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