邪馬台国の女王卑弥呼の住む山門へのルートは、呼子から福吉、福岡、福津と陸路で、福津から船で行くこと20日で福山(大門)、そこから10日で着いた所が福の神「えびす様」の総本社西宮神社がある西宮でした。西宮からの陸路1か月は、西宮、宝塚、三田、春日、福知山、朝来へと来て、そこから南下して・・そして神河町と生野にまたがる八幡山へとやって来ました。粟鹿山からは福を知らせる福知山が見通せる位置にあり、重要な場所であることが分かります。
2012年8月2日(木)
粟鹿(あわが)神社(兵庫県朝来市山東町)へ行きました。
「額の長いお爺さんがあなたを待っています」と、神様の言葉を告げるRさんに言われて、昨年、中国の千山へと呼ばれて行きましたが、その時、お爺さんの足元に鶴と鹿のプレートがあり、鹿が何をくわえているのか気になっていましたが、その謎が不思議の古代史を研究している市川慎さんが最近出版された「続・神代の残像」のP161を読んでその答えを見つけました。
粟鹿地名について伝承では、鹿が粟を三束くわえて粟鹿山から現われて、人々に農耕を教えたことからつけられ、粟鹿神社にその鹿が祀られていると云うが、むろん後世の作り話である。
・・とありますが、これは意味ある伝承であり、私にはこれで全ての謎が解けたようです。
生野の資料館にあった神紋は、姫宮神社の神紋と同じでしたが、粟鹿神社の神紋も又、同じ神紋でした。
伊勢神宮から千ヶ峰を通って生野へ伸びる生命の樹のラインは、中国の遼寧省鞍山市の千山(チェン シェン)でしたが、卑弥呼の時代、中国の千山との交流を確かに教えてくれています。そして神紋もまた重大なことを教えているようです。
千山の大雁塔にはこの世には実在しない1人の神様と8人の実在した神様が祀られていると教えてもらいましたが、日本にやってきた恵比寿、大黒など七福神は実在した人物だったのでしょう。
鶴と鹿は神様の使いであり、鹿が銜えていたのは3束の粟ということが分かりました。
そして神様である額の長いお爺さんが教えていたのは、教道無窮(キョウ ドウ ウーチュン)という、この世には無現の悟りがあるということを教えていました。
8人の中で偉い順番は、リョドウヒン カンショウシ ソウコクキュウ カセンコ ランサイワ リテッカイ チョウカロウ カンショウリ で、8人が住んでいるのは 蓬莱仙境であり、浦島太郎が行った龍宮城は、普陀山 (プトゥサン)と教えてもらいましたが、そろそろその地に行かなくてはならないのかもしれません。