2013年3月26日
夕方5:00前、ちょっと神河町役場へご挨拶の私でした。
「地元の方々がこの重大なことを誰よりも早く認識される必要があるのではないでしょうか」と、20日に西宮神社会館で行われた「夜明けの祭典」の報告と、その時に来場者の方々に渡された小冊子をお渡して、町舎本館入口を出ると、そこから右手前方250°の方角を見たところにちょうど外灯が立っていますが、そのやや左手240°の方角がメノラーの地上絵の頂点で、その裏先にひょうたんの口の部分があります。町舎入口からメノラーの上の部分が顔を出しているのが確認できました。
800mのひょうたん と、1.8㎞のメノラーの地上絵が神河町町舎のすぐ近くに存在しています。神河町には、一万年前以上も前から人々が暮らしていたという考古学的にも貴重な福本遺跡の存在があります。
私は最初から、市川を渡って町舎方面に向かう時に、正面に見えるあまりにも奇麗な三角形の山が、ピラミッドに見えて仕方ありませんでしたが、これが、巨大なメノラーの地上絵を支える大事な防護の山だったことが理解できた時、やはり直感は大事にしなくてはならないと思ったことでした。
新寺前橋東の交差点から真西を見たときにその見事な三角形の山が見えます。
神河町を後にして、播但自動車道を南へ帰る途中、市川南の出口付近から、あの素晴らしいベンチマークポイントの幻の千鶴山が私を見送ってくれました。 「神河町へまた来てね!」と言ってるようでした。
5月末、遅くても6月の頭までには、日本史世界史を揺るがす「地上絵発見!」の本が、全国の書店に平積みされます。この本はほどなくして世界へと翻訳されて広がりをみせます。その時、世界中から人々が神河町、生野町へとやってきます。地元と行政側が何も知らない、対応できないでは、大変なことになります。
そして・・そして・・、実は、この直径20㎞円内に造られた地上絵群がある埴丘の里が、七福神の総本山であることが分かりました。
2013年3月26日(火曜日・かのと う 15日 七赤 仏滅) 私は、七福神の正体を全て解明しました!
空海様が、庭に福があると言ってらっしゃったことが分かりました!