かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

西宮は素晴らしい、重大で重要な歴史の街です!

2013-03-16 13:08:56 | かごめかごめの真実とは

            邪馬壹国の女王卑弥呼への朝見ルートの重要港が西宮でした

2013年3月15日(金)

20日(春分の日)に開催される「夜明けの祭典」が西宮神社(兵庫県)の神社会館で開催されるのに、どのような会場なのかの下見も兼ねて、阪神南地域ビジョン委員会の皆様が開催された、「鎮守の杜と地域コミュニティとのかかわり」へ行ってきました。

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この講演会で吉井良昭西宮神社宮司様が、境内に大きな円形のすり鉢状の観客席を持った相撲の土俵が造られていたことを語られていたことは、この恵比寿神社(西宮神社)がいかに重要な神社であり、日本の歴史の中で重大なことを秘めていた神社であることを教えてくれるものでした。そして・・

神社の三連春日造も重要な意味を教えていますが、ここの「変わり三つ柏」の神紋こそ、西宮市の市章との重大な関わりのある秘密を教えてくれるものでした。

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神紋の柏を図案化した柏はブナ科の落葉喬木。葉は広く、葉肉が厚いので、上古では食物を盛る食器とされていた。『隋書倭国伝』に「倭人、皿や俎なく槲の葉を以てし、食うに手を用いて餔う」と記されてあるように、これは外国にまで知られていた。食膳をつかさどる者を、古語で「かしわで」(膳夫)といったことにも関連がある。食器として神事に使用されてから、柏木を尊重するようになり、「かしは木はもりの神」(『狭衣物語』『枕草子』)として神聖視された。その後、製陶の技術が進んでも古儀にならい、祭事の神饌を盛るのに用いられたため、瑞祥・信仰的意義から、神職の家が柏葉を家紋とするようになった。伊勢神宮の久志本氏、熱田神宮の千秋氏、宗像神社の宗像氏、吉田神道のト部氏、備前吉備津宮の大守氏などは、いずれも柏紋を用いた。

・・・

遡ること2005年11月15日、前イスラエルのエリ・コーヘン駐日大使は、四国徳島県美馬市にある倭大国魂神社と、自然石を積み上げた石積の神殿がある神明神社を公式訪問している。

そして倭大国魂神社の神紋を見てエリ・コーヘン大使は、「驚いたことに、徳島の神社にユダヤのシンボルであるメノラーがあった」と証言している。

そのエリ・コーヘン大使が驚いた三つ柏の神紋と、西宮神社の神紋と、イスラエルの国章との意味が正に同じである。

 

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ユダヤの人達が、西宮の市章といい、西宮神社の神紋を見ると、それはそれはもう、涙流しながら手を合わせることでしょう。

いかに西宮神社がある西宮市が、日本の・・、いや世界の歴史の重大な秘密を解き明かす重要な所であるかを教えています。

西宮神社には、これから沢山の人達がお参りに来ることでしょう。

そして、そこから世界の人々は、本当の世界の聖地である、兵庫県の中央に位置する、「埴岡の里 」(現在の生野、神河町)へと歩きだすことでしょう。

エリ・コーヘン大使が公式に2回徳島を訪問し、「ユダヤの秘宝であるアークが間違いなくある!」と断言していたそのアークを、オスプレイが飛行ルートを一夜にして急きょ変更して真っ先に剣山を目指したのも予測されていた出来事でした。

でも・・・、「剣山から生野へ私が移し替えた!」と、空海様が私には教えていました。

そして邪馬壹国の女王卑弥呼は、八幡山の上から北北東に位置するご先祖様が眠るユダヤの二人の大王、モーセとイエス・キリストとの平和の祈りを日々絶やすことなく司ったのでした。

卑弥呼への朝見ルートの最終港が西宮であり、陸路1ヶ月のスタート地点が西宮神社でした。 最終港は始発港でもあります。

重要で重大なその場所で、「夜明けの祭典 」を来る20日春分の日に行います。

当日参加される方に、素晴らし小冊子がプレゼントされます。

      内容は、実に素晴らしいものとなっています。

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