遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『同志少女よ、敵を撃て』  逢坂冬馬  早川書房

2024-06-03 15:21:37 | 諸作家作品
 独ソ戦争は、1941年6月22日、ドイツ側の奇襲攻撃に始まり、1945年5月9日、ベルリン近郊カールスホルストにおいてドイツが無条件降伏文書に調印したことにより終わった。ソ連邦側は、この戦争を大祖国戦争と呼称し、ドイツ側は東部戦線と呼称した。

 本書は2021年8月に第11回アガサ・クリスティー賞を受賞。その後加筆修正されて、同年11月に単行本が刊行された。

 プロローグは、1940年5月に、16歳のセラフィマ・マルコヴナ・アルスカヤが、母親のエカチェリーナと鹿猟に出かける場面から始まる。一方、エピローグは、1976年のイワノフスカヤ村で生活するセラフィマの姿を描くところで終わる。本作は、独ソ戦争の全期間を題材に取り上げる。この戦争の戦史的側面が背景に織り込まれつつ、大祖国戦争の渦中で狙撃兵となり、戦場を駆け抜け、生き抜いたセラフィマの喜怒哀楽と信念、一人の同志少女の成長が描き込まれていく。

 第1章は、1942年2月7日、セラフィマが母親エカチェリーナと一緒に鹿の猟を行っているところから始まる。その途中で次の会話が親子の間で交わされる
「それなのに私は、大学へ行くなんて、本当にそれでいいのかな。私は銃を撃てるし、同い年のミーシカだって戦争へ行ったのに、戦わなくていいのかな」
「あなたは女の子でしょ」
「でも、リュドミラ・パヴィリチェンコだって女性なのにクリミア半島で戦っているのよ」
「ああいう人は特別でしょう、もうドイツ兵を200人も殺してるのよ、フィーマ、戦うといっても、あなたに人が殺せるの?」
「無理」
「それじゃだめよ、フィーマ。戦争は人殺しなのだから」(p22)

 鹿を仕留めて、二人がイワノフスカヤ村を見渡せる山道のカーブまで戻ると、村にはドイツ兵が出現していた。アントーノフおじさんの頭を指揮官らしき軍人が撃ち抜いた。「もう一度聞く、パルチザンの居場所を言え、言わなければ全員を処刑する!」それはドイツ兵側の建前だった。母は銃を構えたが、ドイツ兵側から狙撃を受けて屍と化した。
 フィーマはドイツ兵に捕らえられる。額に銃口を突きつけられ、危機一髪というところに、赤軍兵士たちが出現し、戦闘となる。フィーマは救助された。
 だが、村は壊滅。母の遺体も含め、殺された村人たちと村そのものが、赤軍の女性兵士の命令で焼却される事になる。
 女性兵士のイリーナ・エメリヤノヴナ・ストローガヤがセラフィマに問いかける。「戦いたいか、死にたいか」と。母と村人たちが虐殺されたことに茫然となっていたセラフィマは「死にたいです」と本音を返した。だが、イリーナの挑発的な言動に接し、最後は叫ぶ。「ドイツ軍も、あんたも殺す! 敵を皆殺しにして、敵を討つ!」と。
 この瞬間が、このストーリーの実質的な始まりとなる。

 セラフィマは捕らえられた時の記憶を辿る。顔に傷があり、髭面でスコープ付きの銃を持ち、イェーガーと呼ばれていた男を。戦闘結果の死体の中に、その男に該当する死体はないと一人の兵士が答えた。いち早く逃亡したようである。
 イリーナはセラフイマに言う。「それがお前の母を撃った狙撃兵だ。お前が殺す相手さ」と。
 この日から、セラフィマはイリーナの教え子になる。イリーナは元狙撃兵だった。

 セラフィマはイリーナにより、中央女性狙撃兵訓練学校の分校に連れて行かれる。
 そこは、大祖国戦争が進行する最中、ポドリスクに女性狙撃兵の専門的な訓練学校を来年から本格的に開始するための先行実験を目的とする分校だった。元狙撃兵のイリーナが教官として、この分校で訓練指導をする。イリーナ自身が選んだ訓練生が集められたということになる。
 このストーリーは、セラフィマという狙撃兵の誕生と成長、狙撃兵としての活動の全プロセスを大祖国戦争の史実と経緯に織り込んで、戦争の実態を描き上げていく。そのプロセスで、セラフィマの戦争に対する心理が変化・変容していく。セラフィマの思い・信念が狙撃兵としての行動に直結して行く。
 戦いの渦中にあって、セラフィマの心は揺れる。例えば、次の一節が心中の思いとして誘発する。「女性を助ける。そのためにフリッツ(=ドイツ兵の意味)を殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱に感じられた。今までは迷うことがんかったのだ。・・・・ 被害者と加害者。味方と敵。自分とフリッツ。ソ連とドイツ。それらは全て同じだと、セラフィマは疑うこともなく信じていた。
 だが、もしもこれらが揺らぎうるならば。
 もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たなら。
 ソ連軍兵士として戦い、女性を救うことを目標としている自分は、そのときどう行動すればよいのだろう」(p319)
 このストーリーの眼目は、大祖国戦争の渦中に投げ込まれたセラフィマの心の内部を描くことにあると感じる。そして、セラフィマ並びに彼女が所属した第39独立小隊(後に第39独立親衛小隊と改称)の各隊員達の心の内部を媒介にして、戦争とは何かを著者は読者に問いかけているように思う。

 ストーリーの大きな流れとしては、3つのステージがある。それぞれに山場が生まれていく。そして、問題意識も・・・・。
1. 中央女性狙撃兵訓練学校分校での訓練課程の描写。その結果、狙撃兵の精鋭が誕生。  
  イリーナが選抜した訓練生のバックボーンが徐々に明らかになっていく。それは、大祖国戦争という事態で結束しているソ連に内在する民族間問題、そこに含まれる蔑視、差別、支配・被支配、独立心などの諸要素を露わしていくことにもなる。ソ連自体が大きな問題を内包しているという事実。
2. スターリングラードでの独ソ攻防戦。セラフィマたちはウラヌス(天王星)作戦の
もとでの実戦に投入される。彼女らは「最高司令部予備軍所属、狙撃兵旅団、第39独立小隊」と位置づけられる。5人の小隊にNKVD2人が付く狙撃兵小集団としての行動することに。
  激戦地となった工場「赤い十月」の西側、ヴォルガ川岸に面したアパートの一室を拠点とするマキシム隊長以下のたった4人の第12大隊に合流し、ここを拠点に市街戦での行動に加わる。

3. 1945年4月、要塞都市ケーニヒスベルクでの戦いが大詰めとなっていく。そこはナチス・ドイツに併合されたポーランドの北端に位置し、ドイツ語で「王の山」を意味する古都である。バルト諸国と西欧をつなぐ玄関口として重要な港を有する要塞都市。
  塹壕を拠点にして、要塞都市に立て籠もるドイツ側との戦いとなる。地上では戦車と火炎放射器が投入され、空には戦闘機、攻撃機が飛来する。最後の戦闘となっていく。
  この都市で、セラフィマは、狙撃兵イェーガと対峙することになる。

 このストーリー、ミステリという視点から捕らえると、セラフィマが破壊されるイワノフスカヤ村でのイリーナとの出会いを起点として、セラフィマがイリーナの心中の基底に厳然とある思いは何なのかを推理し探求し続けるという文脈が内在すると思う。
 元狙撃兵のイリーナが、最終的に少人数の狙撃兵の精鋭を育成し、戦闘の場で行動を共にしていく。イリーナの思いは何なのか。その心を見極めるために、セラフィマはイリーナとの関係を通して、イリーナの心を推理し探求しつづける。この点も、読ませどころの1つになっている。

 印象的な文章をいくつか引用しておこう。⇒以下は私的な補注である。
*新聞に載る言葉は自分のものではなく、常に、自分の言葉を聞いた新聞記者のものだ。
 ⇒狙撃兵として有名になったセラフィマがインタビューを受ける場面での思い p330
*エレンブルグが重宝されたのは、結局兵士の戦意を煽るのに有効な言葉を使ったからだよ。彼が去ってもその言葉は生きている。  p354
 ⇒ドイツ人をぶっ殺せというエレンブルグの論法 ソ連での防衛戦では重宝された
  「ドイツ人」と「敵兵士」を同列視して成り立つ論法は、戦争終結後には禍根を
  残すことになる危険なもの
*いずれにせよ、確かめようがなかった。死者の考えを推し量り、言葉の意味を考えることは生者の特権であり、何を選ぼうと、死者がその正否を答えることはない。
 オリガは死に、自分は彼女を偽装に用いて、生きている。それが全てだった。p437
*「ターニャ、あなたは敵味方の区別なく治療するの」
 「ああ。というよりも、治療するための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない。たとえヒトラーであっても治療するさ」 p452
 ⇒ターニャは第39独立親衛小隊の一員で看護師。セラフィマが問う。
*殺される心配をせず、殺す計画を立てず、命令一下無心に殺戮に明け暮れることもない、困難な「日常」という生き方へ戻る過程で、多くの者が心に失調をきたした。 p467
*ソ連でもドイツでも、戦時性犯罪の被害者たちは、口をつぐんだ。
 それは女性たちの被った多大な精神的苦痛と、性犯罪の被害者が被害のありようを語ることに嫌悪を覚える、それぞれ社会の要請が合成された結果であった。 p475
*失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。  p477

 本作には、次の記述がある。
”「国家」という指標で語られる勝利と敗北。
 4年に満たないその戦いにより、ドイツは900万人、ソ連は2000万人以上の人命をを失った。
 ソ連の戦いはここで終わらず、余勢を駆るようにして残る枢軸、日本へ8月に戦線布告した。”
ここに記された犠牲者数、調べてみると、犠牲者数に諸説があるようである。しかし、その犠牲者数の多さに驚く。一方、この犠牲者数について、本作を読み初めて認識した次第。歴史の一事実としては学んだ記憶がある。だが、ほんの表層だけを知っていたたにすぎない己の不敏さに気づかされた。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
独ソ戦争  :「ジャパンナレッジ」
数字で見る「独ソ戦」 映像の世紀バタフリエフェクト :「NHK」
独ソ戦の開始と太平洋戦争の勃発  :「学校間総合ネット」
独ソ戦  :ウィキペディア
人類史上最悪・・・犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄:「現代ビジネス」
リュドミラ・パヴリチェンコ  :ウィキペディア
ケーニヒスベルグ(プロイセン) :ウィキペディア

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