遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『まいまいつぶろ』   村木嵐    幻冬舎

2024-06-13 23:09:22 | 諸作家作品
 本書を読んで、「まいまいつぶろ」がカタツムリの異称だと知った。本書を読む動機は新聞広告で目にしたこのタイトル。意味不明でおもしろい語感に興味をいだいた。著者の名もこの新聞広告で初めて意識した。
 本書は書き下ろしの歴史時代小説で、2023年5月に単行本が刊行された。2023年下半期・第170回直木賞の候補作となった。

 改めて手元の辞書を引くと、「まいまいつぶろ」は「まいまいつぶり」の項に付記されていて、「まいまい」の子見出しとして載っている(大辞林)。共にカタツムリの異称と記す。また、まいまい(まいまいつぶろ)は、神奈川・静岡・岐阜、岡山・広島・福岡方言だと言う(新明解国語辞典)

 本作は德川家重と彼に仕えた大岡兵庫(後に忠光に改称)、二人の生涯の関わりを描き出していく。本作を読むまで、德川家重(1711~1761)は全く意識外の存在だった。彼は德川吉宗の長男として生まれ、最終的には9代将軍(在位:1745~1760)となった。
 手元の国語辞典では、生没年と在位期間の他に、「虚弱体質で言語障害があり、側用人大岡忠光が権勢を掌握」(日本語大辞典)、「幼名長福。身体虚弱で酒食に溺れたという」(大辞林)と記す。また、「德川九代将軍。吉宗の長子。延享二年将軍。性惰弱、酒食に耽り政治を顧みなかった。宝暦十年、将軍職を家治に譲り、翌十一年没。諡は惇信院(1711~1761)」(広辞苑初版)とも記されている。

 読後に確認したこれら国語辞典のごく簡略な説明は、德川家重と大岡忠光について、1つのイメージを喚起する。だが、私にとって本作の読後印象は、そのイメージとは対極にありそうな二人の人物像のイメージが余韻として残っている。このストーリーの世界に感情移入していくと、最後の主従の別れの場面は涙せずにはいられない。家重と忠光の主従を越えた人間的な強い絆の形成・確立がこのストーリーのテーマになっている。
 最後に家重が忠光に言う。「さらばだ、忠光。まいまいつぶろじゃと指をさされ、口がきけずに幸いであった。そのかげで、私はそなたと会うことができた。もう一度生まれても、私はこの身体でよい。忠光に会えるのならば」(p320-321)

 本作は、江戸奉行、大岡越前守忠相が、大奥の上臈御年寄の滝乃井に呼び出される場面から始まる。滝乃井はかつて吉宗の嫡男・長福丸(家重)の乳母を務めた。滝乃井は忠相に家重の言葉を聞き取る者が現れたと告げ、兵庫と称する少年が忠相の遠縁に当たると言う。滝乃井は、忠相に兵庫に対して御城へ上がる心得を説いてほしいと依頼する。忠相自身が縁戚として知らなかった者だった。調べてみると、兵庫の父・大岡忠利は、忠相と「はとこ」の関係にあたるのだ。
 同日の夜、若年寄の要職にある松平能登守乗賢が忠相の役宅を訪れる。乗賢は長福丸様が小禄の旗本の子弟とお目見得を行う儀式で奏者番を務めた折の経緯について、困惑をしつつ忠相に語った。忠相は兵庫が見出された顛末を乗賢から聞かされる。忠相はもはや後へは退けぬことを知る。
 
 長福丸は吉宗が8代将軍になる前に、赤坂の紀州藩邸で生まれた。あわや死産という寸前で命をとりとめた。しかし、長福丸の発する声を誰も聞き取れない。普通に口がきけるようにはならなかった。麻痺で片頬が引き攣れている。手に麻痺があり、仮名ですら書けない。尿を始終漏らすので、座った跡がまいまいのように濡れて臭うとまで言われていた。ひどい癇癪持ちで、怒り出すと手が付けられない。
 そこに、長福丸の言葉を聞き取れる少年が現れたというのだ。長福丸のことを案じてきた人々にとり、これほどうれしいことはない。

 だが、ここで一筋縄ではいかない問題が生まれてくる。将軍職の継承と幕府の政事という次元が長福丸の人生に絡むのだ。将軍職は原則長子継承である。長福丸を心身虚弱として廃嫡することは、まずこの原則から外れる。

 さらに厄介な問題が生まれる。兵庫を長福丸の小姓に取り立てると、「長福丸の言葉には幕閣の誰一人、老中でさえ逆らうことはできないのだ。それがある日を境に、兵庫の言葉に取って代わらぬと言い切れるだろうか。兵庫が長福丸の言葉だと偽って、己を利する言葉を吐くようにならないだろうか。 それなら兵庫がわずかばかり利口だということは、むしろ悪を企む危うさのほうが大きい」(p22)という懸念である。

 5代将軍綱吉が御側用人制を創った。これを吉宗は廃止し、幕政改革を推進してきた。長福丸に一人だけ言葉が分かる小姓が侍ることは、側用人制の復活につながらないかという懸念である。吉宗が長子継承の原則を捨て、長福丸を速やかに廃嫡すれば問題にはならない。だが、吉宗は廃嫡論を自らは語らない。棚上げ状態が続く。

 兵庫と対面した忠相は1つだけ兵庫に忠告する。「兵庫には心しておかねばならぬことがある。そなたは決して、長福丸様の目と耳になってはならぬ」(p37)
 「長福丸様は、目も耳もお持ちである。そなたはただ、長福丸様の御口代わりだけを務めねばならぬ」(p38)と。
 この忠相の忠告が、兵庫にとりその後の生涯にわたる原則となる一方、兵庫(忠光)が家重の側で己を律する上で苦悩の因にもなっていく。長福丸(家重)の口となり、鏡になったつもりで言葉を映すことは、相対的にたやすい。しかし、お側に仕える小姓として血の通った心で役立つには何ができるのか。その判断が難しくなる。

 家重と家重の口となる忠光との、いわば二人三脚が始まって行く。このストーリーは、常に、廃嫡問題が底流にありながら、長福丸が、若君と呼ばれる立場になる。さらに、京の都より、比宮(ナミノミヤ、増子)を正室として迎える段階に進展する。
 比宮は江戸城にて家重を見るなりショックを受ける。それを起点に、比宮の心理の変転が描き込まれていく。家重の外観への嫌悪から、家重の真心、真の姿を感得し、比宮が家重に寄り添って行こうとするプロセスが1つの読ませどころとなっていく。ここはこのストーリーの楽しいフェーズでもある。
 比宮は妊娠するが男子を死産する。その後、比宮は京から同行し侍女として仕えてきた幸に家重の御子を挙げよと遺言を残して没する。この幸が後に、家重の子、家治を産むことに進展する。だが、この二人の女性の差異が、直接的な描写のない部分に間接的に語られているように感じる。心の通いあい方の差異なのかもしれないとふと思った。
 やがて、幸の侍女として大奥に務めた千瀬が家重の側室になっていく。

 さて、吉宗は将軍に就いてからおよそ30年間の在位の時点で、遂に家重に将軍職を引き継ぐ旨を、まず近親者と老中を集めて宣言する。この場が次の大きな山場となっていく。ここで、老中の松平乗邑が懸念を露わに表明する。この場面をどのように決着させるか。実に微妙で興味深い場面が生み出されていく。家治が投じた一石が見事というほかはない。ここは読ませどころである。

 将軍に就いた家重は、父吉宗が築いた改革路線を推進していく立場である。老中の構成も大きく変化する。吉宗が始めた目安箱に投げ込まれた1つの訴状を契機に、美濃国郡上での積年の藩政の歪みが浮上する。それは一藩の問題事象ではなく、幕政に携わる人々を多く巻き込んだ事象だという事実が次々に判明していく。ここでは、家重の口となる忠光ではなく、家重の小姓になり栄進してきた田沼意次が重要な役割を担っていく。家重の裁断として実のある決着が導き出されていく。
 家重が将軍になった以降においても。家重の御口となる忠光が徐々に認められて岩槻二万石に栄進したことを例にし、忠光の働きと存在を貶めようとする老中がやはり存在する。忠光の生涯につきまとう批判中傷である。だがこれは、家重と忠光の二人三脚が、将軍家重の治世を推し進める原動力として機能していることを、理解しがたい人々がいることの例示になる。
 忠光よ、よくぞ家重の御口になるという立場と意味を貫いたなとエールを送りたくなる。

 この家重の治世を描くことは、これまでの江戸幕府の根底にある重農主義的政策による全国統治がもはや限界に来ていてる事実と、転換点としての兆しについても触れていることになる。それを家重の小姓として仕えることから始めた田沼意次に語らせているところがおもしろい。

 最後の「第八章 岩槻」で、岩槻藩主である忠光の息子・忠喜と十代将軍德川家治が岩槻城で語り合う場面を加えられている。二人の会話は、家重の言葉を忠光は真に聞き取って伝えていたのかというところに集約されていく。この二人の会話の終わり方が良い。その余韻を感じていただきたい。

 德川家重の生涯について、事実は何か? 全てがわかることはない。
 ここに描き出された1つのストーリー(-家重と忠光の絆-)は、史実の断片をロマンを秘めた想像でつなぎ、創作されているのだろう。そのロマンが生み出した世界が読者を感情移入させていく。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
德川家重   :ウィキペディア
第9代将軍/德川家重の生涯  :「名古屋刀剣博物館 名古屋刀剣ワールド」
八代吉宗、九代家重とその時代 :「德川記念財団」

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