遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『粋(いき)な生き方』 帯津良一  幻冬舎ルネッサンス

2023-09-18 14:02:18 | 諸作家作品
 表紙に副題が記されている。「病気も不安も逃げていく『こだわらない』日々の心得」と。著者は医学博士で食道がんを専門領域に選択した外科医である。東大病院第三外科、都立駒込病院外科などでがん治療に従事し、1982年、郷里に自分の病院を開設した。西洋医学に漢方や鍼灸、気功などの中国医学も取り入れ、ホリスティック医学の実践に取り組む医者である。先日、五木寛之著『折れない言葉 Ⅱ』というエッセイ集を読んだ時、あるエッセイで著者の名を知り関心を抱いた。そして、本書のタイトルにまず興味を持ち、読んでみた。本書はエッセイ集で、2014年10月に単行本が刊行されている。

 著者は「はじめに」の冒頭で、乳がんが深刻な状態になっている60代の女性の診察を終えた時の体験を語る。その女性は症状がとても厳しいことがわかっている人なのに、「私、60年以上生きてきましたけど、先生ほどチャーミングな人にお会いしたことありませんわ」と帰り際にさらりと言って帰られた。その言葉で、診療室の雰囲気ががらりと明るくなったと言う。後で、その人を「粋」という語で表現できると思ったと著者は記している。
 「粋というのは、外国にはない日本独特の感覚で、あかぬけしていて、はりがあって、色っぽい様だそうです」と記す。「粋」という語は哲学者・九鬼周造著『「いき」の構造』をソースとしていることに触れたうえで、著者の解釈を展開する。
 この「はじめに」で著者の解釈を、
   「あかぬけする」: 何事も正面から受け入れる覚悟のようなもの
   「はりがある」 : 生命の躍動、生命エネルギーがあふれているさま
   「色っぽさ」  : 人を敬い思いやれる気持ち   だとまず明示している。
「粋に生きるというのは自分自身の生命エネルギーを高めることです。粋な人は、いつも生き生きしています。」(p3)と論じている。粋な人が増え、世の中が活気づけば、さらに個人のパワーも高まり、好循環ができるという。そして、本書では著者なりに「粋な生き方」を追い求めていきたいと語る。そこから生まれたのがこのエッセイ集である。

 本書には、おもしろい特徴が一つある。それは、一つのエッセイのタイトルに相当するものが、エッセイの要旨を述べた一文になっている点にある。いわば箴言がエッセイのタイトルになっている。
 このエッセイ集は5章で構成されている。その各章に収められたエッセイは、このいわば箴言が目次になる。裏返していえば、10ページにわたる目次を精読するだけで、著者が発信する「粋な生き方」へのアドバイスの要点がわかることになる。
 その要点を、著者がエッセイとしてどのように語るかが本書を読む楽しみといえよう。
 それでは、本書の構成をご紹介しよう。各章から3つずつその箴言ともいえるエッセイのタイトルを本書への誘いとして列挙する。

<第1章 挫折を知る人ほど、大輪の花を咲かせる>

 権威におもねることなく、反骨心をもつことで本質が見えてくる。

 青雲の志と挫折があって、人は本当のやさしさを手に入れることができる。

 臓器も人間関係も、お互いを思いやることで信頼関係が深まり健全なものになる。

<第2章 あきらめない、こだわらない>

 気分が落ち込むと、治る病気も治らなくなる。
 視点を変えて、こころを切り替える。

 「いつでも死ねる」覚悟が、生きる力を強くする。

 人間の本質は「かなしみ」である。それがわかると、生きることが楽になる。

<第3章 日々、ときめいて生きる>

 どんなに嫌なことがあっても、一日の終わりにはすっぱりと忘れて、
 新しい自分と交代する。

 「今」の尊さを知っている人は、不安に押しつぶされそうな人をなぐさめられる。

 老化も病気もまるごと飲み込んで、勢いよくあの世に飛び込んでいく。

<第4章 上手に恋する「粋な人]>

 恋は生きる上で最高のエネルギー源になる。

 すべての困難は、自分の人生をドラマチックにするために起こる。

 煮えたぎるものがないと、生きていてもしょうがない。

<第5章 凜として老いる>

 あれはだめ、これはだめと
 窮屈にいきるより、やりたいことをやるのが、すてきな年の重ね方。

 理想を持って、死ぬまで進み続けて、志半ばで倒れるのが、かっこいい。

 生きることはいのちを育てること、そして死ぬこともまた、いのちを育てること。
 
 なお、エッセイ文の冒頭には、見出しになる一文あるいはフレーズが別途ついている。こちらは目次には出て来ない。例えば、第2章の最初のエッセイは、上記と同列のレベルでは「あきらめない気持ちがあるかぎり、奇跡は起こる」という一文が冒頭にでてくる。それにつづくエッセイには、「余命宣告されても、まだやれることはある」という一文が見出し風に記されている。これは箴言的な一文に照応する形の副題的位置づけになると、私は解釈した。

 「おわりに」で、著者は健康について次のように語る。
「人間はからだ(Body)、こころ(Mind)、いのち(Spirit)の統合体です。
 統合体として健全な状態にあるとき、これを健康と呼ぶのです。
 つまり、健康とは、人間まるごとの状態をいうのです」(p188)
「本来の健康とは、内にダイナミズム(Dynamism)を内蔵し、外にダンディズム
(Dandyism)を発揮している状態をいいます」(p189)と。
 そして、末尾を「内にダイナミズムを抱き、外にダンディズムを発揮して、健康で粋な人生を送ってみようではありませんか。今からでも決して遅くはありませんよ」(p190)と締めくくる。

 著者自身の体験と実践を基盤にした、元気な励ましのメッセージに満ちたエッセイ集である。なるほどと頷けるところが多かった。また、学生時代に読んだ生き方論の主張点と重なってくる箇所があり、印象深さが増したところもある。真理は収斂していくようだ。

 ご一読ありがとうございます。
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『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書

2023-09-16 19:01:07 | 源氏物語関連
 著者が編者の一人である『源氏物語図典』(小学館)と『源氏物語必携事典』(角川書店)は、身近な書棚にあり事有るごとに参照してきている。掲題の本は何時購入したのか記憶がないほど以前から、本箱に眠っていた。奥書を見ると、1968年1月に第1版が刊行され、手許の本は1994年6月第39刷である。源氏物語関連ではロングセラーの1冊だろう。調べてみると、著者は2015年11月に91歳で逝去されていた。合掌。

 本書は、源氏物語全帖の概説を主軸にしながら、1967年当時までの学会における源氏物語研究の成果や論点を踏まえて、研究者視点での論点提示と読み解きが加えられている。第1版が出版されてから、55年の歳月が経過しているので、研究者視点の論点を含め、本書はもはや准古典的な書になっているかもしれない。しかし、瀬戸内寂聽訳『源氏物語』を通読し、その後で本書をやっと読んだ一読者としては、論点も含め新鮮な思いで興味深く読めた。

 本書構成のご紹介に併せて、読後感想を記してみる。
<Ⅰ 光源氏像の誕生>
 「光源氏の不足ない資性は、いわばその生存の根本的な不安を前提として惜しげもなく与えられたものである」(p7)という箇所で、まずナルホドと感じた。それだからこそ、あの長編を書けたとも言えるなと。その続きの「かれは物語の世界に敷設された宮廷社会の現実と、深くあいわたる人間として真実性をはらんでいる」という指摘は頷ける。
 賜姓源氏についての歴史的意義の説明は役に立った。

<Ⅱ いわゆる成立論をめぐって>
 翻訳版源氏物語を通読している時にほとんど考えていなかったことの一つは、源氏物語の構成である。鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)で、全五十四帖が大きくは三部構成になっているというのを知っていたくらいだった。ストーリーの組立として、第一部(「桐壺」~「藤裏葉」)において、紫上系と玉鬘系という二系列が存在することや、執筆の順序がどうだったかなど、源氏物語成立論が仔細に論じられていることを本書で知った。論議の経緯がわかっておもしろい。半世紀が過ぎた現在、学会レベルでは定説ができているのだろうか?

<Ⅲ 宿命のうらおもて>
 著者は、「桐壺」巻から始め、光源氏の宿運が実現していく道程に着目して大筋をまず解説する。この道程に直接関わらない巻は後回しにしていく。「須磨」巻の光源氏26歳の春までの光源氏の道程が浮彫にされる。後読みなので通読時のおさらいをしている気分になる。

<Ⅳ 権勢家光源氏とその展開>
 「澪標」巻、光源氏28歳の冬から、34歳の秋の六条院造営まで。光源氏が権勢家へと顕著な変貌を遂げる様に焦点があてられる。光源氏の後宮政策のたくみさをここで再認識した次第。著者は清水好子氏の論文を踏まえ、「絵合」巻では紫式部が、天徳内裏歌合を念頭において、物語を書いている点に触れている。
 紫上が光源氏の意図にそって物語上に登場してくる。その描写が「現実感にみちた物語の世界の進行からは浮き上がらざるをえない」(p63)という側面を指摘している。一方で、「紫上は、あらゆる場合に、さまざまの段階において、あるべき理想性を発揮すべく枠づけられていたからである」(p63-64)と評しているところが興味深い。
 六条院の造営が、光源氏の超絶した能力の証となる。

<Ⅴ 別伝の巻々の世界>
 Ⅲで後回しにされた「帚木」から「夕顔」巻へのつながりが別伝として持つ意味を著者は考察する。「夕顔」巻が「その中心部に三輪山式説話の型にそうている面が顕著である。また宇多天皇と京極御息所とが河原院で左大臣源融の霊におそわれたという、江談抄が伝える怪異談も下敷になっているらしい」(p77)と指摘する。そして、「皇子であり左大臣家の婿であるという息ぐるしい身分から、軽やかに解き放たれ、一個の女そのものと純粋な愛をもって相対しうる男でありうるという意味をもっているのであろう」(p77) と解釈している点が興味深い。通読しているとき、そんな見方を考えてもいなかった。
 「蓬生」巻の末摘花、「関屋」巻の空蝉、「澪標」巻の明石君の意味を語る。
 「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」と連なる巻々が、光源氏36歳の1年をこきざみに描き出している。著者は「自然と人為とが相互に媒介して織りなされる季節の秩序の、それ自体完結した美しさ」(p81)を指摘している。
 光源氏の年齢で全く触れない空隙もあれば、一方で多くの巻を費やして1年というスパンを濃密に描くという時間軸の取り上げ方があることを再認識した。ここらあたりも、源氏物語のおもしろさかもしれない。
 この後、著者は玉鬘に光を当てて論じて行く。玉鬘十帖と称されるストーリーの流れである。光源氏と玉鬘との関わり方。玉鬘十帖について研究者の諸説を紹介し論じているところに関心が向く。いろいろな論点があるものだ・・・・と。

<Ⅵ 紫式部と源氏物語>
 「源氏物語は、なぜ紫式部によってかかれたのだろうか」という一文から始まる。この問いかけから始まるところがまずおもしろい。
 左大臣冬嗣から始まる「紫式部略系図(尊卑分脈による)」が載っていて参考になる。
 なぜという問いに対する著者の考察は本章をお読みいただきたい。
 2点だけ覚書を兼ね、引用しておこう。
*実人生で受動的に生かされる立場から、能動的に生きよみがえる術法としてこの虚構世界が造り成されたのである。  p106
*紫式部が、物語の創作とは別にこのような物語論を語りうる場はなかった。物語の世界で光源氏の玉鬘へのたわむれ言をきっかけにして、・・・・そのようなものとしてのみこの物語論が語られえたことの意味は深長である。 p113

<Ⅶ 「若菜」巻の世界と方法>
 「若菜」巻だけが、上、下と二帖になっている。著者の説明によれば、源氏物語全体の10%という長大な分量を占めるという。上下はほぼ等分量。上巻のほぼ4分の1が、明石関係の内容に割かれていると説明する。著者は、「明石君および明石一族に托する作者の問題意識には、きわめてしつこいものがある」(p130)とその点に着目している。
 「若菜 上」巻は、第2部の始まりとなり、女三宮の降嫁問題が光源氏に突きつけられてくる。それが、紫上、明石君と光源氏の関係性に新たな展開をもたらす。
 女楽の条の描写と紫上の発病が、光源氏の世界の崩壊への道となる。その状況分析が読者にとってわかりやすい。

<Ⅷ 光源氏的世界の終焉>
 「柏木」巻から「幻」巻に至る物語の展開が論じられていく。柏木の死、女三宮の出産、そして紫上の死。光源氏の世界が終焉を迎えるまでの経緯を明らかにする。
 「夕霧」巻の位置づけと、第二部の各巻がどの順に書き継がれたかという研究者視点の論議が取り上げられている。この点もまた通読していて全く意識していなかったことなので、興味深い。

<Ⅸ 結婚拒否の倫理>
 いよいよ第三部に入る。「匂宮」巻から「宿木」巻にかけての物語が概説される。その主題は、父八宮の訓育を受けた長女大君の結婚拒否の倫理とそれを基盤とした心理描写を中心に、薫と匂宮の競い合いと心理のプロセスが分析されていく。そして、その渦中で翻弄される中君の存在。
 著者は「作者の筆が自在に躍動し、そこに作者の精神が全的にに移転しうる世界を掘り起こすことができた」(p171)と評価する。「いかにも新しい、時代の浄土教ムードに適合した恋物語が開始した](p175)とすら記す。
 「宇治十帖が書かれる頭初、浮舟の登場ということは作者の構想のなかに無かったことである」(p191)と論じているところが興味深い。

<Ⅹ 死と救済>
 「東屋」巻に着目し、「宮廷的貴族的な世界の伝統的価値基準をもっては測りきることのできぬ人間関係のひしめく世界}(p195)を登場させることを背景に、浮舟が描き出されていく。著者は浮舟の登場、彼女の自主性を奪い、その運命を翻弄し、死に追い込んで行くプロセスと後の救済を概略する。そこには、「水も洩らさぬ緻密さをもって仕組まれた客観的情勢の矛盾がそのまま彼女の運命をもつむいでいくのである」(p205)と著者は読み解いている。
 浮舟を自殺行為に走らせ、その後の顛末を描くという展開に対して、著者は記す。
「彼女を地獄に送ることに堪えなかった作者は、彼女をしてなお生きることを課した。死なねばならぬほどの不幸な人生から解かれて救われる道はないか。この課題を、作者は浮舟に、というより、浮舟を死に導いた自己に課したのであった」(p206-207)と。
 
 ⅨとⅩは、源氏物語の第三部を掘り下げて読む恰好のガイドとなるように思う。

 半世紀前に書かれた源氏物語の概説書。当時の研究者たちの問題意識と論点も垣間見えてくる。源氏物語解釈の広がりは奥が深いと感じさせる。未だ色褪せることなく源氏物語への誘いとなる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
玉鬘十帖  :ウィキペディア
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院
『紫式部考 雲隠の深い意味』   柴井博四郎  信濃毎日新聞社
『源氏物語入門 [新版]』  池田亀鑑  現代教養文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<源氏物語>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 11冊


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『秀吉 vs. 利休  和合と、破局と』  矢部良明  宮帯出版社

2023-09-11 18:18:47 | 茶の世界
 7月に著者の『茶道の正体』(宮帯出版社)を読んだ時に、本書について知った。本書は『茶道の正体』より4ヵ月先行し、2022年8月に単行本が刊行されていた。
 
 「はじめに」を読むと、研究という領域で論文や本を発表してきた著者が、「はじめて、ノンフィクションという手法を借りて、利休と秀吉のあいだに展開したドラマを描いてみたいと思い実行してみた。この試みは、利休と秀吉の信条にふかく迫ってみようという筆者の意図から発している」(p4)という。
 ノンフィクション作品としては読みやすい本になっている。
 
 『秀吉 vs. 利休』というタイトル、その副題「和合と、破局と」を最初に見たとき、秀吉と利休の茶の湯におけるスタンスの違いや精神的な確執にフォーカスを絞り込んで分析した本かなと想像していた。秀吉と利休が直接的に主従関係、茶の湯の人間関係を築いて破局を迎える時期を詳細に追究していくのかと勝手なイメージを抱いていた。
 読み始め、通読してみると、確かに「和合と、破局と」を「秀吉 vs. 利休」の関係性として、利休の最終ステージで明らかにしている。ノンフィクション手法で描き出している故に、対立・確執という側面での秀吉と利休の心理・心情理解に隔靴掻痒感を抱いた。この辺りフィクションの小説として描き出すこととの違いなのかもしれない。
 私には「利休伝」を読んだという印象が強く残った。

 まず、本書の全体構成をご紹介する。
  第 一 章 利休と紹鴎の出会い             
  第 二 章 師匠紹鴎から離れる利休          
  第 三 章 利休、信長と出会う             
  第 四 章 茶の湯の改革に目覚める利休         
  第 五 章 利休の提案を理解する秀吉          
  第 六 章 利休、創作活動を開始する    
  第 七 章 津田宗及と利休を平等に扱う秀吉    
  第 八 章 秀吉茶の湯の真骨頂       
  第 九 章 秀吉と利休、茶の湯の相違     
  第 十 章 コンセプトの利休とファッションの秀吉   
  第十一章 破局への道       
  (付記:紹鷗の鷗は環境依存文字なので鴎を使う。本書では鷗で表記されている)

 第一章~第四章は、利休が茶の湯の世界に足を踏み入れ、紹鴎を師匠として学ぶ過程で、珠光が提唱した冷凍寂枯というコンセプトの茶の湯に回帰していく。冷凍寂枯をめざす茶の湯への改革に利休が目覚めるまでの過程が跡づけられている。この四章は、利休が己の創意を本格的に表出する以前の、いわば利休の雌伏期を明らかにすることになる。

 著者は、「山上宗二記」を拠り所にしながら利休の足跡を描いて行く。当初利休は、四畳半の茶室を確立した武野紹鴎を師匠とした。だが、紹鴎流は名物主義の茶の湯だった。著者は、「冷凍寂枯の美学を基準にして、名物とはどういうものかを実践で示して、名物を骨子に据えた茶道具のランキングを整理し、茶の湯の価値の体系を築いた」(p37)と述べ、この業績で紹鴎を茶の湯の正風体の完成者に位置づける山上宗二の意見に、著者は「心底から賛成する」(p37)
 利休は、紹鴎の名物主義が、茶の湯界に身分差を生み出したととらえる。四畳半の茶室を建てられず、名物物を所有できない侘び数寄者の存在に利休は眼を向ける。著者は「侘び数寄を救済するためには、どうしたらよいだろうか」という課題を利休が自らに課したと説く(p92)。それは、珠光の茶の湯、「茶の湯に上下なし」の精神に利休が回帰することへと導く。冷凍寂枯のコンセプトを追究・純化していく道であり、紹鴎流を離れ、茶の湯を改革する歩みとなる。40代で紹鴎流の茶の湯を越える信念を利休は固めたと著者はみている。だがこの考えは、信長には通じ無い。つまり、利休の雌伏期となる。

 天正11年~12年頃に、利休は「四民平等の茶の湯こそ、茶の湯の真髄」(p113)という己の考えを秀吉に言上したと、著者は推測する。信長とは異なり、下賤の出である秀吉は、利休の考えに対し、己の天下の有り様がひらめき、利休の考えに合意する。第五章はこの和合の瞬間に光を当てている。

 第六章は、利休が己の茶の湯を目指して創作活動を開始する側面を描く。利休の創意を茶室の工夫の側面で描いている。「常識的な建築ではなく、日常性を遮断してしまう、別乾坤を樹立しなくてはならないという信条」(p126)を背景に、紹鴎流の開放的建築ではなく、利休流の閉鎖的建築の創出へと突きすすむ。「藁屋に名馬を繋ぎたるが、面白く候」(p127)という珠光の言葉にリンクして行くという。利休の茶の湯の進展がわかる章である。

 第七章では、利休に和合した秀吉が、見える形として、紹鴎流の津田宗及と利休を平等に扱う様子を事実で例証する。
 
 秀吉と利休が茶の湯という接点で和合できたことにより、利休は冷凍寂枯のコンセプトを追究し己の創意を茶の湯に注ぎ込める場を確保できた。しかし、それを具現化する中では、互いの茶の湯に対するスタンスが異なる側面が明らかになっていく。二人は同床異夢の状況にあるということなのだ。第八章はこの点を秀吉の視点を主にして描いて行く。
 「一、北野大茶湯」「二、侘び数寄を視野に収める秀吉」「三、天皇を視野に入れる秀吉茶の湯」「四、官能の極、黄金の茶室」「五、眩惑の茶の湯装束」「六、長次郎の黒茶茶碗と黄金の井戸茶碗」「七、井戸茶碗 銘『筒井筒』にまつわるエピソード」「八、井戸茶碗 銘『筒井筒』と長次郎の黒茶碗 銘『大黒』の対比」という実例から読み解いていく。
 読者にとっては、その違いがよくわかる説明になっている。しかし、その相違を感じ取った両者がその時点で相手をどのように感じていたのか、両者の心理、心情については触れられていないように思う。そこがノンフィクション手法の限界なのかもしれない。本書を読む最初の動機は、ここでの両者の心理、心情の確執と軋轢の側面にあったので、少し肩すかしを感じた。一方、事実の側面を具体的に理解できた点は収穫である。

 第九章で、著者は秀吉と利休の問題意識の位相が異なることを明確にしていく。
 「秀吉は、利休流茶の湯を実践して、自ら楽しむことには、まったくといってよいほどに関心がなかったのである。利休流の茶の湯を全国に広め、普及させる役目を担うことには、無関心であった。利休は秀吉の懐刀となって仕えることによって、結果的には全国区の茶人になれたというのが、正しいであろう」(p207)
 「侘び人を不憫に思って企画したと秀吉が自らいう北野大茶湯には、実は、同様に佗び数寄者の救済を狙って創造した、利休新製の茶道具類をまったく登用しなかった」(p208)
 これらの指摘は実に興味深い。著者は具体的に事実ベースで例証している。

 「二、区別されて評価された秀吉と利休の茶道具」では、聚楽第の茶室を使った秀吉と利休のそれぞれの茶席の事例が取り上げられていておもしろい。

 第十章は、章題の示す通り、コンセプトの利休とファッションの秀吉という二人の対極的なスタンスが論じられていく。この章の論旨は、本書より4ヵ月後に刊行された『茶道の正体』で更に展開されて行くことになる。
 著者は、茶の湯という芸術活動において、コンセプトとファッションの両側面の重要性を説いている。利休は、冷凍寂枯のコンセプトを超克の美学に高めた。だが、ファッションという切り口を開いたのが秀吉であり、「遊戯」が秀吉茶の湯の特徴だと指摘する(p227)。「衝動に駆られての遊戯こそ、もっとも重要な秀吉茶の湯のモチベーションの一つであった」(p234)と説く。
 さらに、秀吉茶の湯に対して、信条レベルでは秀吉と利休は同じだった点を重視している。それが利休の「人と同じ茶の湯をしてはならない」という信条なのだと。
 秀吉と利休を論じつつ、この章ではコンセプトとファッションについて、著者の持論が展開されている。本章をお読みいただきたい。

 第十一章は、利休に対する突然の指弾から始まっって破局に至る様々な憶測が論じられていく。現在までに論じられてきた諸説を概説し、分析して、背景要因をまとめられている。それで利休の賜死の謎が解ける訳ではない。その上で、最後に利休の破局に対し、著者の信条が語られている。

 破局の謎がスッキリと解明された訳ではない。一つの視点は提示された。屋上屋を重ねることになっているのかもしれないが、それは仕方がない。しかし、破局の謎への全体図はわかりやすく説明されている。ノンフィクションの「利休伝」としては読みやすい。
 当時の茶道具で、現存するものについて知識豊富な方が読めば、茶会での茶道具の事実記述が各所に出てくるので、本書の楽しみ方が一味違ってくるかも知れないと思う。

 本書を読み、興味深く思った箇所をいくつか引用する。
*茶道具が有力者の間を往来するのが天文年間から弘治・永禄年間であった。 p24
*ものそれ自身は何も変わることなく存在するにすぎないのに、見る目が変わると、それに価値が生まれる。世の中、こんなうまい話はそうざらにあるものではない。無価値に近い安い工芸品が評判を集めるこの経済効果は、通常では発生することはまずない。
 ただ、欠かすことのできない要件が付きまとう。それは、その無名な工芸が、はたして茶席のなかで、効果を発揮できるかという「働き」の具合である。 p33
*冷凍寂枯をうたう喫茶法がやがて茶の湯と呼ばれることとなるわけだが、茶の湯には発祥の段階から、経済効果の裏付けを持って発展するという地場があった。 p34
*織部を天下一宗匠という指導者に祭りあげたのはときの浮世の人々であった。・・・・
 大衆の意思が時流を左右するというこのパターンは、21世紀の現代にもそのまま通用する。  p236-237

 最後に、著者が「侘び」について言及している箇所をご紹介しておこう。
「もともと、侘びには美的カテゴリーの意味はなかった。平安時代以来、『経済的に整わず、うらぶれて、将来を見失うほど落ちぶれた生活の状態』を指す言葉であった。
 桃山時代の茶人たちは、婉曲的な言い回しをせずに、単刀直入に言い表すので、名物茶器にめぐまれない茶人を侘数寄、あるいは単に侘といって、裕福な本数寄者と区別したのであった。ちなみに、侘を生活状況から切り離して、情緒たっぷりの美的カテゴリーに祭り上げたのは、ずっと下って昭和年間になってからのことであり、今ではすっかり侘びという言葉は、本義から離れてしまったのである。」(p86)
 珠光が評価し、利休がコンセプトとした冷凍寂枯の美に出てくる「寂」は「寂びる」である。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
村田珠光  :ウィキペディア
武野紹鴎  :ウィキペディア
北野大茶湯  :ウィキペディア
10分の1に期間短縮?豊臣秀吉主催、800人参加の大イベント北野天満宮大茶会の謎!:「和楽」
大井戸茶碗『筒井筒』|井戸茶碗  :「茶道具事典」
井戸茶碗の魅力  :「陶磁器~お役立ち情報~」
黒楽茶碗 長次郎作  :「MIHO MUSEUM」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『茶道の正体』  矢部良明  宮帯出版社
『茶人物語』  読売新聞社編  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊

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『折れない言葉 Ⅱ』  五木寛之  毎日新聞出版

2023-09-10 22:32:29 | 五木寛之
 8月半ばに『折れない言葉』を読み、その読後印象を記した。このエッセイ集の第二弾が出ているのを知り読んでみた。『サンデー毎日』(2015年5月~2023年1月)に連載されたものをまとめて、今年(2023年)の2月に、新書サイズの単行本として刊行された。

 形式は第1作と同様に、見開きの2ページで、エッセイの一文がまとめられている。冒頭に「折れそうになる心を支えてくれる言葉」を掲げ、それに続けて著者の考えや思いがエッセイとして記されている。知っている名言や章句もあれば、全く知らなかった人の言葉もあり、バラエティに富んでいて、また少し視野が広がった思いがする。

 「まえがき」の次のパラグラフが、この手の本の本質を語っている。
「ギリシャ、ローマの古典にも、CMのコピーにも、どうでもいい歌謡曲の文句にも、折れそうになる心を支えてくれる言葉はある。同時にくだらない格言、名言も多い。しかし、その言葉を生かすも殺すも、たぶん受け取る私たちの側の姿勢にかかっているのではないだろうか。」(p3)
 取り上げられた言葉とその言葉について考える著者のエッセイ。著者の視点を参考にして、己に有益なものがいくつかでも得られれば読む意味は十分にある。私にとっては、今まで知らずにいた言葉、役立ちそうな「折れない言葉」をかなりゲットできた。また、知らなかった事柄を知る機会にもなった。
 たたえば、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というのは知っていたが、第1章に出てくる「危ない橋も一度は渡れ」(p18-19)という言葉は知らなかった。この章に出てくる、「昔からカマキリのメスは交尾を終えたあと、オスを食い殺すと言われている」(p30)ということも初めて知った。ほう、そうか・・・・、という感じ。ソクラテスの「人生の目的は魂の世話をすることだ」(第2章、p72-73)も本書で知った。著者が、そこに、「私はもう一つ考えることがある。それは『人生の目的は体の世話をすることだ』ということだ」(p73)を付け加えている。これは人生百年時代を反映していておもしろい。第5章では、「人のふり見てわがふり直せ ことわざ」を取り上げている。だが、ここの本文ではこの言葉からの連想なのだろうが、「うぬぼれ鏡」を題材にしたエッセイに終始している。「うぬぼれ鏡」という言葉自体、私は初めてここで出くわした。こんな調子でいろいろ楽しめた。

 この第2集は、次の5章で構成されている。各章に少し付記する。
第1章 やるしかないか
 「漠然とした不安は立ち止まらないことで払拭される 羽生善治」が取り上げてある。(p22,23) 著者は、末尾に「金縛りに遭って自失するより、まず動くことを推める。立ち止まらない。実戦に裏づけられた現代の至言といえるだろう」と記す。章題はここに由来すると受けとめた。孫子から3つの章句が取り上げられ、なるほどと思う問題提起を著者がしている。「転石苔を生ぜず ことわざ」では、著者は「私はこれまでずっと反対の意味に解釈していたのである」と記し、この諺の意味を語る。エッセイ文には触れられていないが、調べてみると、もとはイギリスのことわざのようだ。

第2章 どうする、どうする
 最初の言葉が、「どうする、どうする」で、これは明治の若者たちのかけ声だという。知らなかった。明治30年代に「どうする連」という若者、学生の生態が注目を集めたとか。末尾で著者は「時代は変わり、世代は変わっても、『どうする、どうする』の声は消えない」と断じている(p57)
 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い ことわざ」に対して、現在の世界情勢に触れ、坊主と袈裟の区別、冷静な対処の必要性を説く。
 現代の日本社会に警鐘を発する言葉が多く取りあげられている。多々考えさせられる。 たとえば、「逃げるが勝ち ことわざ」に対するエッセイの末文は、「しかし、逃亡の道を持たない島国の民はどうすればいいのか。『逃げるが勝ち』は、大陸の論理かもしれないと、あらためて思う」(p61)と。

第3章 悲しい時には悲しい歌を
 この章の最後に、「寂しい音楽からも力はもらえる 田中宏和」に続くエッセイの最後で少年時代の外地での難民生活体験に触れる。その時から「『悲しい時には悲しい歌を』というのが、私のモットーとなった」(p147)と記す。章題はここに由来するようだ。
 「歌は世につれ 世は歌につれ ことわざ」に続くエッセイでは、童謡「里の秋」の背景が語られている。この童謡は知っていたが、その背景を初めて知った。歌詞の三番、四番は改作されているが、元は戦時色をおびた歌詞だったのだ。元の歌詞が紹介されている。この名歌はまさに「歌は世につれ」の通り、歌詞が改作されていたのだ。
 「喪失と悲嘆の記憶力が力となる 島薗進」に続くエッセイの中で、著者は次のパラグラフを記している。戦後史を通覧していく上で、重要な観察視点であると思う。
「しかし、1970年あたりを節目にして、望郷とナショナリズムの色をたたえた悲哀の感情が、次第に変化していく。数々の大災害と地方の喪失は、幻想の悲しみをリアルに乗り越えはじめたのだ」(p143)

第4章 何歳になっても進歩する
 冒頭の言葉は「私もまだ成長し続けています 天野篤」であり、これに続くエッセイの見出しに「人は何歳になっても進歩する」が使われている。章題はここに由来する。
 二女優の言葉が取り上げられている。「やっぱり好奇心。それがなくなったらやめたほうがいい 奈良岡朋子」「ちょっとだけ無理をする 八千草薫」この二人の名前を読み、イメージが浮かばない世代が増えているかもしれない・・・・。
 「還暦以後が人生の後半だ 帯津良一」に続くエッセイは「人生の黄金期は後半にあり」という見出しを付している。著者はこのエッセイの末尾を「私たちを力づけてくれる言葉もまた、医学の重要な技法なのだ」の一文で締めくくる。
 「朝起きて調子いいから医者に行く 小坂安雄」という『シルバー川柳8』の冒頭に載るという句も取り上げられていて、楽しい。

第5章 それでも扉を叩く
 本書の最後は「開カレツルニ 叩クトハ」という柳宗悦が晩年に書いた『心偈(ココロウタ)』の一つで締めくくられている。この言葉に付されたエッセイは、なぜ柳宗悦この偈を詠んだかを簡潔に著者が読み解いている。イエスの言葉、「叩けよ、さらば開かれん」を踏まえた柳宗悦の対比思考と、イエスの言葉の解釈を深める思考プロセスを論じる。その上で仏教の立場から簡潔に考え方をまとめている。この柳宗悦の言葉を理解するのに大変役だった。なるほどと思う。心偈が章題と呼応している。
 「陰徳あれば必ず陽報あり 淮南子」を、著者はエッセイの中で、「<陰徳あればまれに陽報あり>とすればなんとなく穏やかな気分でいられるのではあるまいか」(p197) と記しているのもうなずける。
 「君子豹変す ことわざ」についても、その本来の意味と使われ方の変容を簡潔に説明してくれている。そこには著者が本来の用法ではない使用体験例も織り交ぜて語っていて、興味深い。

 最後に、その言葉に付されたエッセイを読まないと、ストンとは腑に落ちない言葉を幾つか列挙しておこう。この言葉だけを読み、エッセイの内容が類推できるなら、たぶん貴方は相当に論理的思考力とひらめき力に優れている方でしょう。私はエッセイを読み、なるほどと・・・・。
   衰えていく、とうことは有利な変化である   椎名誠
   認知症は終末期における適応の一様態と見なすことも可能である  大井玄
   お坊さんは「ありがとう」とは言いません   中村元
   質屋へ向かう足は躓く   不肖・自作 ⇒ 著者五木寛之の言葉
   かぶってましたか?    泉鏡花
   人生は散文ではない    鎌田東二
   人間のこそばいところは変わらへんのや    桂枝雀

 エッセイは読みやすい文で記されている。そこに今回も読ませどころとして煌めくフレーズが盛り込まれている。エッセイの冒頭の言葉の意味の理解を深めるのに役立っている。貴方にとって役立つ折れない言葉を見つけていただきたい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
倍賞千恵子「里の秋」  YouTube

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『折れない言葉』  毎日新聞出版
『百の旅千の旅』  小学館

ブログ「遊心逍遙記」に載せた読後印象記です。
『親鸞』上・下     講談社
『親鸞 激動篇』上・下 講談社
『親鸞 完結篇』上・下 講談社
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『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』 ナオミ・クライン 岩波書店

2023-09-02 23:36:43 | 歴史関連
 先月『堤未果のショック・ドクトリン』を読んだ。その読後印象は拙ブログで既に取り上げた。著者はナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読み衝撃を受けたと記していた。その衝撃があの新書に結実した。いわば応用編という形で現在の問題事象を摘出し論じさせた。堤未果流にショック・ドクトリンが定義づけされ、ショック・ドクトリンの5大ステップを「①ショックを起こす ②政府とマスコミが恐怖を煽る ③国民がパニックで思考停止する ④シカゴ学派の息のかかった政府が、過激な新自由主義政策を導入する ⑤多国籍企業と外資系の投資家たちが、国と国民の資産を略奪する」(p43)というフレームワークで論じている。
 『堤未果のショック・ドクトリン』を読んだことが、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』を読む動機付けとなった。幾島幸子・村上由見子両氏の翻訳書を読んだ。地元の市図書館に蔵書があったので、それを借り出して通読した。

 まず外見的なご紹介から始めよう。ハードカバーで上・下2冊本。上巻の本文は p1~p345、下巻の本文は p357~p681 なので、通算 670ページという本文分量。この本文に対して、上巻には 46ページ、下巻には 42ページに及ぶ原注がリスト化されている。ちょっとそのボリュームに正直まず圧倒された。
 奥書を読むと、著者ナオミ・クラインはカナダ生まれのジャーナリストであり、作家、活動家である。経済学者ではない。膨大な公開資料や論文及び自らのインタビュー活動で収集した情報や証言をベースにして、大規模なショックあるいは危機がどのように利用されたのかを克明に追跡調査し、その実態を暴き出した書である。
 コピーライトが2007年となっているので、2007年に出版されたのだろう。翻訳書は2011年9月に刊行された。当時、私は本書を全く意識していなかったようだ。

 本書が出版された時代背景を知る指標として、いくつか触れておこう。
 本書に登場するミルトン・フリードマン(1912~2006)は、1976年にノーベル経済学賞を受賞した。フリードマンは、ケインズ的総需要管理政策を批判し、20世紀後半におけるマネタリスト、新自由主義を代表するアメリカ合衆国の経済学者であり、シカゴ大学の教授となった。シカゴ学派のリーダーとなる。
 ニューヨークの世界貿易センタービルと国防総省ビル(ペンタゴン)が破壊されたのが2001年9月11日。ブッシュ大統領がイラク攻撃に踏み切ったのが2003年3月である。あのテロ行為はイラク戦争へのトリガーとなった。オバマ大統領がイラク戦争終結を宣言したのは2011年12月14日である。
 日本では、第3次中曽根内閣が国鉄分割民営化が実行され1987(昭和62)年4月に、地域別にJR各社が発足した。小泉内閣において、2005年10月に郵政民営化法が公布され、2007年10月に郵政民営化が始まった。

 著者は「序章 ブランク・イズ・ビューティフル」を、2005年9月にハリケーン・カトリーナがアメリカ南部を襲った直後にルイジアナ州で著者が取材した体験から語り出す。この災害の後、ニューオーリンズがどのような状況になっていたかという事例から始める。この事例にも深く関係してくるのが新自由主義と称されるシカゴ学派の経済理論である。その教祖的存在がミルトン・フリードマン。「自由放任資本主義運動の教祖的存在で、過剰な流動性を持つ今日のグローバル経済の教科書を書いた功績」(p3)で知られている。フリードマンが提唱した政策は、規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての3点セットを骨格とする。本書はこの政策思想が世界の各地、各国でどのような経済社会問題を引き起こしてきたかを明らかにしていく。本書の一側面は、いわばミルトン・フリードマンの経済理論とその薫陶を受けて活動してきたシカゴ学派への批判である。
 
 本書のタイトルは「THE SHOCK DOCTRINE(ショック・ドクトリン)」。著者は「衝撃的出来事を巧妙に利用する政策」(p6)という意味で使っている。この考えは「フリードマンが最初から唱えてきた手法だったという事実」(P11)を本書で明らかにしていく。「深刻な危機が到来するのを待ち受けては、市民がまだショックにたじろいでいる間に公共の管轄事業をこまぎれに分割して民間に売り渡し、『改革』を一気に定着させてしまおうという戦略」(P6)「つまり、人々が茫然自失としている間に急進的な社会的・経済的変革を進める手口」(P10)だと著者は分析する。人々が気づいたときには既に遅い。過去の歴史的事実がその実態を示している。本書で著者はそれを跡づけていく。

 本書の副題は「THE RISE OF DISASTER CAPITALISM」である。「DISASTER CAPITALISM」について、著者は「壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるような襲撃的行為」(P8-9)と説明する。「訳者あとがき」を読むと、従来は直訳的に「災害資本主義」と呼ばれてきたらしい。本書ではそれを「惨事便乗型資本主義」と翻訳している。「THE RISE」は文字通りにとれば「増大」「増加」である。しかし、本書から、DISASTER CAPITALISM が増大した結果何が起こったのか、その結果を批判し異を唱えることに主眼が置かれているという読後印象を持った。それ故に「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」という訳出はなるほどと納得する。わかりやすくかつ引き付ける訳だと思う。

 本書は、7部構成である。第1部はそのベースを築いた人物を明らかにし、第2部から第4部は、時代の推移の中で、ショック・ドクトリンがどのように実行されてきたかの事例を追跡し、そこに流れている共通の思想とその結果を克明に暴き出していく。ここに取り上げられた世界各国の歴史について深く知っていれば、本書での事実説明の理解が深まることだろう。私の歴史的知識不足から著者の記述を追いかけて理解しようとするだけで精一杯のところが残念ながら数多くあった。己が生きてきた同時代に、世界各地で何が起こっていたのか。本書で具体的に知り、愕然とするばかり。己の無知さ加減をひしひしと感じた次第。

 さて、ベースとなる「第1部 ふたりのショック博士-研究と開発」では、序章に登場しなかったもう一人のとんでもない人物を初っ端に取り上げている。
 それが、「第1章 ショック博士の拷問実験室」である。
 ここに登場するのは、ユーイン・キャメロン博士。カナダにあるマギル大学附属アラン記念研究所の所長。キャメロンは人間の心は消去し、造り替えることができるという仮説を信条として、1950年代後半に洗脳実験を繰り返したのだ。そのために電気ショック療法(ECT)や覚醒剤を混合した実験的薬物を利用したという。キャメロンの研究を米中央情報局(CIA)とカナダ政府が彼の実験に資金提供していた。著者はその被験者の一人にされたゲイル・カストナーにインタビューした内容を織り込みながら、キャメロンの拷問実験室の実態を明らかにしていく。
 「患者にショックを与えて混乱した退行状態にすることで、健全な模範的市民へと『生まれ変わる』ための前提条件を作り出せるというのが、キャメロンの論理だった」(p65)そうだ。
 キャメロンの実験成果は、CIAの洗脳技術に繋がっていく。その一例が小冊子「クバーク対諜報尋問」だと言う。そして、更に、グァンダナモ・ベイ米軍基地やアブグレイの刑務所での拷問に応用されて行ったとする。第2部以降の各所に、ショック・ドクトリンに組み込まれていく様が記述される。中南米他各地での諜報活動における尋問、拷問方法に適用されて行ったとする。
 
 「第2章 もう一人のショック博士」は、ミルトン・フリードマンについて、まず論じている。彼は自由放任実験室の探究を始める。アメリカ国内での新保守主義運動の経済政策を作り上げていく。フリードマンの最初の著書『資本主義と自由』にそれが表明されているという。世界の自由市場経済にとっての基本ルールを打ち出すとともに、規制緩和、民営化、社会支出削減の3本柱について、彼の具体的な提言を盛り込んでいく。
 「常に数学と科学の用語で覆い隠されているものの、フリードマンの見解は、その本質からして規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害にぴたりと合致していた」(p78)と著者はその本質を指摘している。そして、フリードマンの思想が彼を教祖的存在にしていく。
 
 第2部以降は、ショック・ドクトリンがどのように現実の諸国家において、実施されたかの事例分析レポートと言える。一国の運営において、政権・政治と経済は不可分の関係にある。本書ではその両面が取り上げられていく。だが、奇妙な点は、ショック・ドクトリンの実施において、シカゴ学派は、時代の変化を取り入れながらも、経済的側面を考えるだけだった。その国の政権、政治の側面には深く関わらない形で、ショック・ドクトリンを実行したという事実が明らかになっていく。その結果、その政策はその国にとっては失敗に帰した事実が指摘されていく。生み出されたのは富の二極分化である。ごく一部の人々と企業に富を集中させるメカニズムとなり、他方に大多数の貧困下層国民を生み出す結果になったという。惨事便乗型資本主義の行き着く姿がここにあると論じている。序章では「ひと握りの巨大企業と裕福な政治家階級との強力な支配同盟である」(p19)と論じている。
 第2部以下で、どこの国が対象となり、ショック・ドクトリンがどのように実行されたのかを著者が追跡レポートしているかだけ、本書の構成に沿って、ご紹介しておこう。
第2部 最初の実験 - 生みの苦しみ
 第3章 ショック状態に投げ込まれた国々 ー流血の反革命-
  1973年9月11日、チリのアジェンデ政権をクーデターで倒したピノチェト政権。
  ピノチェト政権下のチリに徹底的な自由主義経済体制を敷くのがシカゴ・ボーイズ
  の主張。ここに新自由主義の最初の実験が始まる。そのプロセスが追跡される。
  警察国家と企業が協力し、労働者との間で、総力戦を展開する構図が生まれる。

 第4章 徹底的な浄化 -効果を上げる国家テロ-
  1970年代、恐怖政治を敷くアルゼンチンの軍事政権下でのシカゴ・ボーイズの実験
 「ショック療法によって経済から集団主義の異物をすべて除去しようとする」(p155)

 第5章 「まったく無関係」 -罪を逃れたイデオローグたち-
  新自由主義運動が、南米南部地域を実験室として犯した罪は糾弾されずに終わる。
  そして、世界に広がる。それが可能となった背景を分析していく。
  「国際人権運動」がこの地域を活動モデルの実験室としていたこととの関係を指摘
  する。

第3部 民主主義を生き延びる -法律で作られた爆弾
 第6章 戦争に救われた鉄の女 -サッチャリズムに役だった敵たち-
  サッチャーが「所有者社会」と後日称される政策を実行する過程を追跡する。
  イギリス版フリードマン主義の実行である。その過程で、勃発したフォークランド
  紛争がサッチャーの政策にとり、救いの神として作用した経緯を分析する。
  
 第7章 新しいショック博士 -独裁政権に取って代わった経済戦争-
  1985年、民主化の波が押しよせたボリビアはハーバード大卒の俊英な教授を起用。
  経済学者ジェフリー・サックスの行ったショック療法実験を追跡する。

 第8章 危機こそ絶好のチャンス -パッケージ化されるショック療法-
  フォークランド紛争に敗戦したアルゼンチンは政権交代がつづく。債務爆弾が残る。
  そこに「ヴォルカー・ショック(債務ショック)」が加わる。メナム政権の下で、
  シカゴ・ボーイズが活動する。

第4部 ロスト・イン・トランジション -移行期の混乱に乗じて-
 第9章 「歴史は終わった」のか? -ポーランドの危機、中国の虐殺-
  ポーランドで「連帯」が政権を担う。債務とインフレの悪化が大問題だった。
  そこで、サックスの活動が始まる。
  一方で、中国における天安門事件のショックと中国政府の動きを追い分析する。

 第10章 鎖に繋がれた民主主義の誕生 -南アフリカの束縛された自由-
  南アで起草された「自由憲章」と、マンデラが釈放された1990年以降の南アの
  置かれた状況を追う。自由憲章と現実との矛盾が明らかにされていく。

 第11章 燃え尽きた幼き民主主義の父 
             -「ピノチェト・オプション」を選択したロシアー
  エリツィンが大統領になった後、シカゴ学派の基本文献を学び影響を受けた「若
  き改革者」と西側から呼ばれた学者たちが活動する。彼らは経済ショック療法プ
  ログラムを導入していく。

 第12章 資本主義への猛進 ーロシア問題と粗暴なる市場の幕開け-
  著者が2006年10月に、ジェフリー・サックスを訪問し、インタビューした内容から
  始めて、ソ連の崩壊とその当時の世界の状況を概観する。「ワシントン・コンセン
  サス」が生まれる経緯に触れる。

 第13章 拱手傍観 -アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」-
  「アジアの虎」と呼ばれた東南アジア諸国がパニックの犠牲になった経緯を追う。
  「『アジアの虎』諸国から古いやり方や慣習を一掃したあと、シカゴ方式による
  国家の再生が図られる」(p392)

 下巻に掲載の第5部と第6部は転調する。アメリカ国内に目を転じ、ブッシュ政権下の実状を追跡する。そして、第7部は、本書出版の直近時点で、各地におけるショック・ドクトリンの実行結果がその後どうなっているかに改めて目を向けていく。

第5部 ショックの時代 -惨事便乗型資本主義複合体の台頭
 第14章 米国内版ショック療法 -バブル景気に沸くセキュリティー産業-
  まず、ブッシュ・チームにおいて国防長官となったラムズフェルドと、チェイニー
  に焦点を当て、元祖・惨事便乗型資本主義者という実態を暴く。
  9.11後に急進的な政府の空洞化構想が動き出す。
  「表向きはテロリズムとの戦いを目標に掲げつつ、その実態は惨事便乗型資本主義
  複合体、すなわち国土安全保障と戦争および災害復興事業の民営化を担う、本格的
  なニューエコニミーの構築に他ならなかった」(p434)
  「脅威の可能性が1%あれば、危険姓は100%とみなして対応する必要がある」(p436)
  とチェイニーのいう「1%原則」に言及する。セキュリティー産業が沸騰する訳だ。

 第15章 コーポラティズム国家 -一体化する官と民-
  著者の辛辣な指摘を引用しよう。それが一番わかりやすい。
  *ブッシュ政権においては、戦争成金が政府に接近しようとしたばかりでなく、
   政府そのものが戦争成金で構成されていた。 p455
  *内部情報を収集したら、即座に辞めて政府内のコネを企業に売り込む、という
   わけだ。もはや公職に就く動機は、惨事便乗型資本主義複合体で働くための予備
   調査でしかなくなってしまった。 p457
  *ラムズフェルドとチェイニーが、惨事産業に関連する持ち株と公的義務の二者択
   一を頑として拒んだことは、正真正銘のコーポラティズム国家の到来を告げる最
   初の兆しだった。その兆候は他にも多々見られる。 p158
  この結論的な引用を裏付ける事実追跡の記述箇所を本書でお読みいただきたい。

第6部 暴力への回帰 -イラクへのショック攻撃
 第16章 イラク抹消 -中東の”モデル国家”建設を目論んで-
  ブッシュ大統領のイラク戦争正当化の背後には、モデル理論があると著者は言う。
  アラブ世界の征服のために、一国を足がかりとする。「テロとの戦い、資本主義世
  界の拡大、選挙の実施はひとつのプロジェクトに統合される」(p476)と言う。
  イラクをアラブ・イスラム世界とは異なる国家にし、「そこから周辺地域全体に民
  主主義/新自由主義の波を広げようよする構想」(p475)だとも言う。
  ブッシュ大統領は、これを「問題のある地域に自由を広める」(p476)と表現した。
  イラク戦争の位置づけを分析し、集団的拷問としての戦争だと論じている。

 第17章 因果応報 -資本主義が引き起こしたイラクの惨状-
  著者は、イラク戦争の結果、イラクを占領した初期の2003年9月に国防総省がバグ
  ダッドで開催した会議で提示された構想の存在に着目する。その構想が実行に移さ
  れ、イラク復興が壊滅的失敗に帰して行く経緯を追う。

 第18章 吹き飛んだ楽観論 -焦土作戦への変貌-
  イラクでの経済政策の実行は猛烈な反発を呼ぶ。その一方で、民主主義の導入とし
  ての政治参加、選挙には熱い思いと具体的な行動が取られて行った。だが、この行
  動はアメリカ政府の思惑と相違したため、民主主義を破棄する対応に出たという。
  抵抗運動が発生する。混乱をかき立てただけになり、対立抗争が再発する。
  著者はこの経緯を追う。この渦中で誰が儲けたのかを明らかにしていく。

第7部 増殖するグリーンゾーン -バッファゾーンと防御壁-
 第19章 一掃された海辺 -アジアを襲った「第二の津波」-
  2004年12月26日に起きたスマトラ沖地震でスリランカの海岸で発生した惨状に着目
  する。スリランカ政府は、東部海岸の漁村アルガムベイを「改良再建」計画のモデ
  ルケースとした。だが、著者は調査し、漁村住民の立場からは全くの虚構であり、
  状況は悪化していると知る。著者はその事実関係を明らかにしていく。
  津波をショックに利用した政府側の観光産業化の画策、地元住民無視の政策の様相
  が現れる。さらに、同様の事例が「観光共和国」モルディブで発生している事実に
  論及していく。

 第20章 災害アパルトヘイト -グリーンゾーンとレッドゾーンに分断された社会-
  著者は序章で少し触れたルイジアナ州ニューオリンズの事例に再び目を向ける。
  2005年9月、ニューオリンズにドミュメンタリーフィルムの撮影に行き、交通事故
  で被災し病院に入院した時の体験から始めて行く。そして、新自由主義の経済政策
  の実施で生じた「復興と救済」の名のもとに行われる社会的弱者への攻撃の実態を
  追跡調査していく。もっとも貧しい市民が二度にわたって民間企業のぼろ儲けの食
  いものにされたという実態を鋭く指摘する。
  「災害は、冷酷無情な分断社会-金と人種で生存できるか否かが決まる-という将
  来の姿を垣間見せる機会となってしまったのだ」(p601-602)と批判する。
  著者は、近未来に災害アパルトヘイト社会が到来することを推測するに至る。p619
  
 第21章 二の次にされる和平 -警告としてのイスラエル-
  2007年に、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムが取り上げた「ダボス
  ・ジレンマ」を冒頭に取り上げ、惨事アパルトヘイト国家としてのイスラエルを取
  り上げていく。不安定こそが安定になった事例がイスラエルだと言う。
  イスラエルの直近の過去の状況を知ることができる。イスラエルのセキュリティー
  技術が論じられている。
  著者は、「じつに多くの産業が依存する惨事経済ブームを脅かすものがあるとすれ
  ば、それはこの先、気候の安定と世界の地政学的平和がある程度達成されるという
  シナリオにほかならない」(p623)とすら言及している。

 終章 ショックからの覚醒 -民衆の手による復興へ-
  この章を2006年11月のミルトン・フリードマンの逝去から始め、ここまでの諸事例
  に関連した現状況を概括していく。情報補足という趣を感じる。この章で印象に残
  る結論的記述の箇所を幾つかご紹介して終わりたい。そのプロセスは本書でご確認
  いだだきたい。
  *シカゴ学派のイデオロギーが勝利したところでは、どこも判で押したように貧富
   の格差が拡大した。  p649
  *世界のほんのひと握りの人間が莫大な富を独占するに至るまでのプロセスは、こ
   れまで見てきたとおり平和的とはほど遠かったが、そればかりでなく法に触れる
   こともしばしばだった。  p649
  *世界に目を転じれば、各国の選挙で新自由主義経済に強硬に反対する候補者の勝
   利が相次いだ。  p653
  *衝撃的な出来事がもたらした機会を利用しようとするすべての戦略が大きく依存
   するのは、驚愕という要素である。  p670
  *自力で復興を務めるこうした人々には共通する重要な要素がある。彼等は異口同
   音に、自分たちはただ建物を修復してえいる「だけでなく、自分自身を癒やして
   いるのだと言う。
   こうした住民による自力復興は、惨事便乗型資本主義複合体の精神の対極にある
   ものだ。  p680

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
アメリカ同時多発テロ事件 :ウィキペディア
イラク戦争 :ウィキペディア
イラク攻撃理論とブッシュ政権の課題(法学部1年):「一橋大学大学院社会学研究科」
グァンタナモ米軍基地 :ウィキペディア
グアンタナモ湾収容キャンプ  :ウィキペディア
アブグレイブ刑務所  :ウィキペディア
アブグレイブ虐待で有罪になった米国女性兵士へのインタビュー :「WIRED」
ドナルド・ユーウェン・キャメロン  :ウィキペディア
フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿 :「NHK」
   「精神改造 恐怖の洗脳計画」2021 精神科医ユーウェン・キャメロンの闇
ミルトン・フリードマン  :ウィキペディア
新自由主義  :「コトバンク」
新自由主義  :ウィキペディア
シカゴ・ボーイズ  :「百科事典  Academic Accelerator」
ジェフリー・サックス  :ウィキペディア
国鉄分割民営化 JR発足 :「NHK」
国鉄の分割・民営化三十年に関する質問主意書  :「衆議院」
これまでの民営化の流れ  :「日本郵政」

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『堤未果のショック・ドクトリン』  堤未果  玄冬舎新書


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