遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』  今村翔吾   祥伝社文庫

2023-06-09 21:40:05 | 今村翔吾
 4月下旬に著者の『塞王の楯』を読んだのが最初である。著者の作品を読み継ぐ手始めを、この長編時代小説書き下ろし本にした。このシリーズがあることは、U1さんのブログ記事で知っていた。調べてみると結構シリーズ本が出ている。第1作から順次読んでいこうと思う。本書は平成29年(2017)3月に初版第1刷が刊行された。

 第10代将軍徳川家治、田沼意次の時代を背景にした火消したちの物語である。本書で初めて江戸時代の火消し制度の仕組み、組織などを具体的に知る機会を得ることになった。これが私には知的副産物となり、江戸の防火システムに関心を抱く契機となった。

 主人公は松永源吾。鉄砲組4,500石の旗本、松平隼人の家中にて、定火消の役目を担い、その活躍から「火喰鳥」と称されたていた。だが、あることが原因で松平家を辞し浪人となる。5年以上の時が経った明和7年(1770)秋の初め、松永源吾の住むおんぼろ長屋に、折下左門と名乗る武士が訪れる。彼は、源吾をスカウトに来たのだ。
 出羽新庄藩68,200石、戸沢家で御城使格、300石の禄を得て仕えることになる。それも職務として火消しに携わるという立場。火消方頭取として召し抱えられるのだ。新庄藩戸沢家は、江戸において「方角火消」の役割を担っていた。出羽、つまり羽州である。

 なぜ、源吾がスカウトされたのか。その縁は「序」に描かれる。「火喰鳥」と呼ばれる源吾と左門が九段坂飯田町の火事現場で出会っていた。
 なぜ、戸沢家は源吾を必要としたのか。戸沢家の「方角火消し」組織が壊滅の危機に瀕していたからだ。元々新庄藩火消組は優秀で実績もあった。しかし、華がなかった。さらに、前頭取真鍋幸三が諌言した上切腹して果てた。さらに2ヵ月前には、火消しを率いていた鳥越蔵之介が赤羽橋傍の火事場で殉職していたのである。それは不審火で狐火とうわさされた火事だ。そこで左門が「火喰鳥」の異名をとった源吾の特殊技能と経験に目をつけたという次第。この時、源吾は30歳になっていた。

 源吾の当面の仕事は、新庄藩火消組の再建である。組織再建の為に家老が準備したのはたった200両。源吾のスカウトに奔走した左門は自前の金30両を源吾に手渡す。
 この第1作のおもしろいところは、火消組の核になる人材と火消し人足の必要人数をいかにして集めるかという苦労である。それがストーリー前半での読ませどころとなる。
 鳥越蔵之介の殉職後、息子の新之助が火消方頭取並の役職についていた。だが、彼は火消しという職務に全く無関心という状態。源吾はこの新之助を如何にその気にさせるかという難題を背負うことになる。源吾との関わりの中で、徐々に新之助の行動変容がみられるようになる。さらに源吾にとって思わぬ側面で新之助の能力が発揮されていく。
 勿論、火消組の再建途上にあっても、江戸に火事が起これば出動しなければならない。
 この第1作からトピック風に事項を抽出すると、次の諸点がストーリーに織り込まれていく。
1. 人材のスカウト
 中核とすべき人材の確保:落ち目になってきている力士の荒神山寅次郎に目をつける経緯(第1章)。山彦と呼ばれる山城座の軽業師・彦弥を火消組に引き入れる経緯(第2章)。そして、風読みの人材の確保。当初、源吾はかつて「火喰鳥」として活躍していた頃、親爺と呼び親しんでいた「加持孫一」を迎えようと探す。結果的にはその息子である星十郎を捜し当てて戸沢家に仕官させる。この経緯が興味深い(第3章)。
 火消人足の確保:源吾はかつてより知っていた口入れ稼業「越前屋」に越前からの火消人足採用の交渉をする。越前屋は三代目松太郎の代になっていた。源吾は松太郎と交渉するのだが、なにせ原資の制約がある。この交渉に、源吾は妻の深雪を引っ張り出す。深雪が交渉を仕切り、新之助が記憶力の良さを発揮するのだからおもしろい(第1章)。

2. 火事現場への出動が「ぼろ鳶」の嘲りから「羽州ぼろ鳶組」と敬意を得る転換へ
 新庄藩火消組は、火事装束に金をかけるゆとりはなかった。壊滅寸前の組織の再建下では尚更である。火消組の面々はばらばらな装束で火事場出動をくり返す。それが江戸の町人には「ぼろ鳶」と揶揄の対象になっていた。町人は火事への対処や実績と関係なく、見た目の華やかさで反応していた。源吾は火事場での実力、実績を基盤にして、みかけの「ぼろ鳶」ではなく、火消組の本来の力量を気づかせる方向にしむける。この敬意への転換が興味深い。

3, くり返し起こる不審火「狐火」 それを絶つ手段はあるのか。
 田沼意次の政策には幕閣内に反対派もいた。反対派の人物が江戸で頻繁に発生する不審火の黒幕になっていた。火付盗賊改方頭、長谷川宣雄、通称長谷川平蔵が、源吾の自宅を訪ねて来たことで、源吾と長谷川との関わりが始まり深まっていく。
 源吾は、火消しの立場で「狐火」の実行犯の究明に力を注いでいく。また、引き起こされた不審火の火元周辺の消火には困難が伴う。その発火の原因判断に星十郎の知識が発揮される。そして、実行犯の一人に目星がついていく。
 実行犯に不審火を起こさせる根本原因に、哀しい背景があったことも明らかになる。
 この「狐火」騒動がストーリー後半の山場となっていく。

4. 「火喰鳥」の復活
 松平家の火消しで「火喰鳥」の名を馳せた源吾が、宝暦15年に松平家を辞し、浪人となる。源吾は火消しとしての自信を喪失していた。その源吾が、火消組の再建を引き受ける立場に・・・・。己を鼓舞し、事態に立ち向かう源吾は、気力と行動力を取り戻していく。
 「火喰鳥」の魂と行動力の復活がストーリーの底流となっている。
 ここで触れておこう。「序」の場面は、また伏線となり、「第5章 雛鳥の暁」の末尾の場面に呼応していく。お楽しみに・・・・。
 
5. 暦の編纂権の確執
 江戸幕府と京の朝廷との間の確執の一例として、「暦」の問題がエピソード風に話材となっている。江戸幕府が編纂させた貞享暦(当初、大和暦)と京の土御門家の編纂する暦との対立経緯。
 
 最後に、火消し松永源吾の思考として記される印象的な文をいくつかご紹介したい。
*火消しとは日常に彩りを加えるものではなく、失われそうになる日常を保つ存在でしかない。つまり消して当たり前と思われている。その証拠に、人々は火消の腕を論じず、恰好や振る舞いにばかり注目する。  p169

*それでも火事があるからこそ出番があるのであって、新しい消防道具の開発、燃えない建材、日々の予防習慣、その当然を維持する力を高めて行いけば、行きつく先は火消しなど無用でしかない。いわば火消しは己の存在意義を消すために、日々命を賭していることになる。  p169

*たった一人で済んだのではなく、たった一人も死なせてはならんのだ!
 火消の本分は命を守ること。それ以外にねえ。    p202-203

*火消しは火を鎮めたときだけ、羽織や半纏を裏返しに着て帰路に就く。火消装束の裏地はいわば己の生き方を表すもの。それ以外を着飾るのは無用だ。  p203

 著者はストーリーテラーであると思う。楽しく読める火消魂物語である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
江戸の火消   :「東京消防庁」
火消  :ウィキペディア
(1) 江戸時代の大火  :「消防防災博物館」
(2) 江戸時代の防火対策  : 「消防防災博物館」
(3) 火消組織       : 「消防防災博物館」
火除明地     :「空き地図鑑」

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『塞王の楯』   集英社

コメント (2)
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