遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『本当はひどかった昔の日本』  大塚ひかり  新潮文庫

2023-02-02 14:42:55 | 諸作家作品
 「あとがき」は「人はなぜ『昔は良かった』と思いがちなのでしょう」という一文から始まっている。著者は本書で、昔の日本には「ほんとうにひどかった」側面が、それこそごまんとあり、それが記録として残されていますよ、という側面に着目する。具体的な事例を列挙して、これでもかこれでもかと解説していく。本書タイトルの副題は、[古典文学で知るしたたかな日本人」である。
 本書は15章構成になっているが、どの章からでも読める古典エッセイ集と言えるだろう。2014年1月に単行本が刊行され、2016年9月に文庫化されている。

 本書を通読すると、人間の性は古代から現代までほとんど変わっていないな。そこに人間の変わらぬ業があるのかな・・・・、の思いを抱かされる。ひどさの現象面は時代時代により変わって見えても、その奥にある人間の行動心理や思考・心情の根っ子は同じ。同じ行為が繰り返されているという思いがする。
 
 本書末尾に、このエッセイ集の中にあらわれる「本当はひどかった」事例の出典が、年表にまとめている。5世紀の鳩摩羅什訳『法華経』から始まり、20世紀初頭のエセル・ハワード著『明治日本見聞録』までの古典作品に及ぶ。数えてみると、65作品。膨大な古典を渉猟して、ひどかった事例が語られる。現象面ではちがうように見える現代のひどい事例の表層を一皮はがしてみれば、その奥に見える景色は、昔のひどい事例に見える景色と類似なのだ。多分、そのことを思っている人はあまたいるかもしれないが、ここまで明らかに幅広く曝け出した本はなかったように思う。
 人間の本性にひそむひどい一面を押さえておくと、古典文学の読み方にまた一味加わわる気もする。このひどい側面はその古典文学を専門に研究する人々があまり正面きって公には語らない側面でもあるから。

 著者は「あとがき」の副題に「幻想を捨てるとラクになる」と記す。ここには以下の一節がある。
*けれど本当の過去は、そんなに都合がいいものとはかぎらなくて、ずるかったり、えこひいきしたり、残酷だったり、意外とちゃっかりしていたりする。その実例を、本書は紹介したつもりです。そしてその作業を進めるにつれ、奇妙に勇気づけられる気持ちになったのです。 p230-231
*「昔は良かった」の嘘を知ることは、たくましく、したたかだった先祖のパワーを知ることでもあり、肩の力を抜いて今を生きることにつながるのです。 p232

 著者が昔のひどかった事例として、どういうことを抽出しているかは章名に表れているので、章の構成をご紹介しておこう。
 第1章 捨て子、育児放棄満載の社会 - 昔もあった大阪二児餓死事件
 第2章 昔もあった電車内ベビーカー的論争
      -「夜泣きがうるさい」と子を捨てるようシングルマザーに迫る村人たち
 第3章 虐待天国江戸時代 - 伝統的「貧困ビジネス」の実態
 第4章 本当はもろかった昔の「家族」
      - 虐待の連鎖も描かれていた『東海道四谷怪談』
 第5章 マタハラと呼ぶにはあまりにも残酷な「妊婦いじめ」
 第6章 毒親だらけの近松もの
 第7章 昔もあった介護地獄 - 舌切り雀の真実
 第8章 昔もあったブラック企業 - リアル奴隷の悲惨な日々
 第9章 昔もいた? 角田美代子 - 家族同士の殺戮という究極の残酷
 第10章 いにしえのストーカー殺人に学ぶ傾向と対策
 第11章 若者はいつだって残酷 - 「英雄」か「キレやすい若者」か
 第12章 心の病は近代文明病にあらず
 第13章 動物虐待は日常茶飯 - そして極端なペット愛好
 第14章 究極の見た目社会だった平安中期
 第15章 昔から、金の世の中

 著者は現代の事例を引き、類型となる昔のひどかった事例を例示する。勿論昔のその当時の社会構造、社会制度、社会状況を客観的に踏まえていく。教養書レベルの歴史書や古典文学などを多少読んでいても、知らなかった事実があまりにも多いことに気づける一冊だった。
 例えば、第6章の近松ものを語るところに、次のことが記されている。「当時はまた、親や主人の許可なく、子や使用人が性愛関係を結べば、”密通”と非難され、恋愛が不自由だった時代。だからこそ江戸文学の恋の相手は遊女が非常に多い」「近松作品が受けたのは、いい加減、そんな窮屈な社会への不満が江戸人のあいだにたまっていたからなのかもしれません」(p92)「近松の心中物はフィクションですが、現実にはさらにひどい毒親が実在したことが、随筆や日記からうかがえます」(p93)この後、事例がつづく。

 特に印象に残る箇所を引用し、付記してご紹介しておこう。
*重病人を棄て去るという習俗が相当長く続いたと思われるのは、元禄時代の「生類憐み(の)令」では、「捨て牛馬」や「捨て子」に加え、「捨て病人」が禁止されたことからも分かります。 p111
  ⇒ 「生類憐み(の)令」は「お犬様」の側面だけを想起する!
*人は閉じられた環境に置かれ、凶悪な性質とカリスマ性を合わせ持った人間に命じられれば、そして、それに従わないとその環境では生きづらいという空気がたちこめていれば、相手をやらねば自分がやられるという恐怖感に支配されていれば、どんなに残酷なことであっても、この手下たちのように従いかねない・・・・・。 p128
  ⇒ 『さんせふ太夫』の事例:太夫や息子の悪行を85人の手下が手伝っていた。
     手下たちの置かれていた環境と手下の心境は、戦争時の心境にも通じるか。
*「人を容姿で差別してはいけない」なんてのは、つくづく建前なんだなぁと痛感させられます。
 思うに、亡きダイアナ妃もそうでしたが、皇室とか王室とかの生え抜きの皇女・王女より、あとから入ってきた王妃には美貌を期待し、また美貌が大きな人気の要素となっているのは、どこの国にもあることです。
 それは美というものが、人をひれ伏させ、民を治めるのに有効だから。  p212
  ⇒ 平安時代の摂関政治の重要な要素に入内させる娘「本人の美貌」が重視された。
*「仏教を信じれば金も食い物も女も思うまま、と言われてはじめてピンとくるのが1200年前の日本人だった」ということ。
 昔の日本人は「心」を大切にしていた、なんて嘘もいいとこ、目に見える物質を重んじていたのです。 p222
  ⇒ そう言えば、奈良時代の仏教導入の初めは「鎮護国家」が主目的。
    平安時代に広まる密教は貴族などにとっては怨霊封じなど祈祷の霊験の期待。

 こういう古典作品の読み方もあるか、と視点を広げるうえで役立つ一冊である。
 人間、古代から現代まで、同じ行為を繰り返している! これも輪廻転生か。
 
 裏表紙の本書紹介文がおもしろい。
 「しかし、それでも逞しくて人間味あふれる日本人の姿を、日本文学の古典から読み解く『文芸ワイドショー』」

 ご一読ありがとうございます。


「遊心逍遙記」にてご紹介した次の作品もお読みいただけるとうれしいです。
『カラダで感じる源氏物語』  ちくま文庫


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