大正九年五月十七日附『東京日日』
紙の相撲記事。「主なる勝負左の如し」
とあって78番〔決り手の記載なし〕が
列記。
そのなかに「榛名山(休)高瀬川」と
ある“意味”を考えてみたい。
大正初め頃まで「烏賊を決める」卑怯な
やつがいたけれども、その後は「相手に休
まれた」場合を除いて、「や」を「●」あつかい
に準じて…番附編成方針が変った。
榛名山も高瀬川も、その後改名して入幕
したとは思われない。但し、関取になったか
否か…未確認。
それはそれとして。一方が「正当な理由」で
休場したと察するのである。
勝手に推測すれば、当時の三河屋版勝負附に
は榛名山─高瀬川はカットされてるだろう。
尚、翌大正十年に東京大相撲協会に「出版部」
が設置されている。番附や星取表発行が主要な
業務だ。
紙の相撲記事。「主なる勝負左の如し」
とあって78番〔決り手の記載なし〕が
列記。
そのなかに「榛名山(休)高瀬川」と
ある“意味”を考えてみたい。
大正初め頃まで「烏賊を決める」卑怯な
やつがいたけれども、その後は「相手に休
まれた」場合を除いて、「や」を「●」あつかい
に準じて…番附編成方針が変った。
榛名山も高瀬川も、その後改名して入幕
したとは思われない。但し、関取になったか
否か…未確認。
それはそれとして。一方が「正当な理由」で
休場したと察するのである。
勝手に推測すれば、当時の三河屋版勝負附に
は榛名山─高瀬川はカットされてるだろう。
尚、翌大正十年に東京大相撲協会に「出版部」
が設置されている。番附や星取表発行が主要な
業務だ。