城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

原風景-秋の収穫 22.10.25

2022-10-25 19:04:33 | 地域のこと他
 おじさんが所有する農地は3反(30アール)と少し、そのほとんどがいわゆる田んぼ=水田である。春の田植え時そして秋の稲刈り時にかつてはあちこちで見られた風景があった。知り合いあるいは家族を総動員して田植えや稲刈りを行っていた。子どもも戦力とはならないまでも、例えば脱穀時の稲持ちとか落ち穂拾いなどはよく手伝わされた。おじさんも下手であったが、田植えや稲刈りを行った。田植えではぬかるみに足を取られて苗をまっすぐに植えられないので、蛙さんが困るよとか言われたものだ。高校性くらいになると、脱榖機とか発動機とか重い農機具を親父と天秤棒で担ぐ仕事(それ以前は母親がやっていたが、背の高さが随分違い、親父からいつも文句を言われたいた。その文句は今度はおじさんにくることになったのだが・・・)が回ってきた。細い畦、柔らかい田んぼ、まっすぐに歩けと言われても歩けなかった。田植えや稲刈りは、各家にとって大事なイベントであったのだ。

 それから半世紀以上経ってしまった。今や、おじさんの地区の農家(田んぼを所有しているという意味)は一軒を除くと自分で全く耕作していない(もちろんおじさんもだ)。作り手は、個人から農業法人(農事組合法人等)へ移り変わった。その法人は大型の機械を使って、農作業を行っている。今や農家個人で行っているのは極めて例外だと言える。おじさん所有の3反の田んぼの稲刈りなど1時間もかからないくらいだ。今や家族にとっての一大イベントではなく、いつ刈り取りが行われたかさえ、気づかないようなことになっている。

上の写真黄色く見えるところは稲刈りが終わったか稲刈り前、緑の帯のようになっているところは大豆が植付けられているところ(城台山公園から)
おじさんの子どもの頃はもちろん写真のような直線的でかつ大きな区画(長辺が100m、短辺が30mで3反、30アール)ではなく、大きくても1反程度だった(圃場整備の結果大きくなった)
おじさんの家の所有する田んぼはその時8反、3、4箇所に分散していたので、そのたびに機械を移動させなければならなかった 

 では現在の米作りはどうなっているのか。ここからは小川真如著「日本のコメ問題」(中公新書22年6月)を紹介しながら説明していきたい。まずは、その本の210ページにあった図を紹介しよう。

※図の説明 1967年というのはコメの国内生産が需要=消費に追いついた年(過去にも豊作で100%以上となった年はある)。この年からコメが国内で余りだした。食糧管理法でコメは全量国が買い上げ、消費者に売る制度であった。コメの価格は生産者の所得の確保と消費者の家計とを考慮して、生産者米価(毎年の米価決定が大きな政治的イベントであった)が購買価格よりも高いいわゆる逆ざやとなっており、食管会計に毎年多額の赤字(最初は制限されたヤミ米が後には奨励されるような事態になった)が貯まることになった

 この図のポイントはご飯用のコメを作った面積と田んぼの面積の差がどんどん拡大し、田んぼあまりが激しくなっているという事実である。その最大の理由は、日本人がコメを食べなくなった結果、コメ作りのための田んぼは少なくてもよくなってきているということである。どれくらい食べなくなったかというと、一世帯当りの年間購入額でいうと、コメは1万8503円、パンは2万5551円(この数字には正直驚いた。パンは既に2010年にコメを上回った。)、麺類1万6510円(2020年)。いずれ麺類に抜かれてしまうだろう。消費が減ったのだからコメ以外の食糧、例えば野菜を作るとか田んぼ自体を減らせば良いではないかと思うであろう。ところが、戦争が勃発するとか大地震が起こることを考えると現在のように自給率が低い(輸入に依存する)状態では、食べるものがなくなり(食糧生産国は自国を優先する)、かつてのように飢餓が発生する可能性を否定することはできない。いわゆる食糧安保というものである。加えて、水田は雨が多い日本の気候に対して水を貯めるという機能(洪水防止)も持っている。さらにかなりの田んぼが水はけが悪く、野菜づくりに適していない。また、コメ作りに比べて野菜作りは手間がかかるということもある。機械さえあればコメ作りは片手間(専業でなくても)にできることもあり、兼業農家が現在も大きな割合を占めている。

 水田の果たす多機能を説明

 コメが余るようになってから、国ではコメを作らせないための施策を行ってきた。いわゆる転作というものである。おじさんの田んぼでもコメ作りは一年ごとで、作らない時は麦を植えていた。大豆を植えた時もあるが、どちらもおじさんの田んぼは湿田でコメ以外の作物はあまりできなかった。今やコメを作らない田んぼには、麦、大豆、飼料作物、WCS用稲、加工用米、飼料用米が作られるようになった。そして大部分が飼料用として消費される。これらの作物には水田活用直接支払交付金が支払われる。例えば飼料用米を作ると1反あたり5.5万円から10.5万円が支払われる。戦前ではなかなか農民の口に入らなかったコメは、今や家畜の餌としての需要が増えているのである。日本人のコメに対する特別の感情(ご飯粒一粒でも粗末にしない、新嘗祭のなどの神事)からすると微妙な気持ちになる。

 コメ余りが問題ではなく、田んぼ余りが問題なのである。そして著者が一番心配するのはもう少し先に起こる食糧安保上確保しなければならない田んぼの面積が実際の田んぼの面積よりも少なくなる時、これは日本の人口が減ることから発生するのだが、どうするのかということである。今後農村の風景は今以上に大きく変わるかもしれない。

※コメ問題はなかなか錯綜していて理解が難しい。このため読み違いをしているところもあると思う。
 

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