城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

揖斐祭りの思い出 23.5.5

2023-05-05 19:13:29 | 地域のこと他
 今日揖斐祭りの本楽が行われた。昨年は山車一台で子ども歌舞伎が行われたが、今年はほぼコロナ前の状況に戻った。揖斐祭りの詳細については、4年前のブログ「伝統行事揖斐祭りの一部始終」に書いたから興味ある方はこちらの方を見ていただきたい。我家は祭り当日にもかかわらず、訪れる客もなく、全く寂しい限りだ。子どもの頃は、大勢の親戚に加えて、父親の勤務関係の人まで来ていたので、大変な数の客をもてなしていたことになる。おじさんと二人の妹が結婚すると、その配偶者やその親、そして子どもたちが来たから、相当な数になっていた。今、たまに来るのは息子夫婦と娘夫婦とその子どもたちだが、娘夫婦は海外にいたため、来ることはできなかったので、、ここのところ少ない客ということになる。

 客をもてなすために出す料理のために祭り前から母親、結婚後は家内は夜までその準備に忙しく、とても祭りをゆっくり見る時間はなかった。子どもの頃の定番の料理として、ウグイを山椒の葉と共に煮付けた魚料理があった。小骨が多かったけれど、卵もあり、それなりにご馳走であった。

 何と言っても、子どもの頃の忘れられない思い出として、祭りの一週間以上前から上級生とともに会館に布団を持ち込み、泊っていたことである。一種の一時的な若者宿(若衆宿)みたいなものだった。もちろん全ての子どもたちが参加するいうことはなく、泊りたい人が泊るという感じだった。当時子どもの数は多く、子ども神輿のつり手はたくさんいたこともあり、最上級生である中学3年生が中心だった。泊るのは主に中学生だったが、おじさんは小学4年生か5年生から毎年泊っていたから、数回泊ったことになる。相当な祭り好きということになる。

 今は子ども神輿についてもほとんど親が世話をするが、おじさんたちはほとんど親の世話にならず、自分たちだけで御輿の準備、渡御の練習(肩合わせなど)を行ったほかに、町内を回り、祭りのための寄付金を集め、その額を半紙に個別に書き、張り出していた。そしてその中から準備に必要な物(飲み物、乾電池等)を買うと共に、自分たちの食事をその金を使ってしていた(当時うどん屋とか色々あった)。今考えると実に子どもに任されていたことが多かったと思う。今やほとんど親が準備をし、子どもは御輿を担ぐだけであるから、祭りに対する思い入れはそれほど強くなるはずはない。


 渡御前 

 三輪神社宮司を先頭に渡御が行われる いつの頃からかここに町長が加わるようになった

 今年の子ども神輿は9台中の2台のみ(前回4年前は5台)
 コロナで中学生時代につれなかった今高校性が加わっていると聞いた

 9時頃既に神社に収った山車

 移動中の山車 今年子ども歌舞伎を上演する中町の山車
 この移動が大変、特に方向を変えるとき持ち上げるのがきついと聞く(おじさんの地区には山車はなく、経験したことがない)

 おなじく移動中の山車(下町?)

 露店 時間が早いため客はいない 

 夕食後、夜店を回ってみた。若い人たちばかりで年寄りがほとんどいない(中高時代の同級生も見に来ていてばったり会った)。

 

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