イエスは、「聖霊に言い逆らうのがだれであっても、その者は許されない」と言明されました(マタイ12:32)。つまり、神エホバの活動する力を受け入れ、神のご意志を学び守り行いない人たちは命の永遠の切断に入るのです(マタイ25:46)。次いで、イエスは、人は「心に満ちあふれているものの中から口は語る」ことを教え、心を真理で守ることの重要性を教えられました(マタイ12:34)。マタイの福音書に次のように記されています。
「あなた方(パリサイ人)は木をりっぱにしてその実もりっぱにするか、あるいは木を腐らせてその実も腐らせるかのいずれかにしなさい。木はその実によって知られるのです。まむしらの子孫(パリサイ人たち)よ、あなた方は邪悪な者であるのに、どうして良い事柄を語れるでしょうか。心に満ち溢れているものの中から口は語るからです。善良な人自分の良い宝の中から良いものを出し、邪悪な人は自分の邪悪な宝の中から邪悪なものを出します。あなた方に言いますが、人が語るすべての無益なことば、それについて人は裁きの日に言い開きをすることになります。あなたは自分の言葉によって義と宣せられ、また自分の言葉によって有罪とされるのです」(マタイ12:33~37)。
イエスは、偽りの宗教指導者パリサイ人たちを、まむしらの子孫と呼びました。そのような邪悪な者は悪魔サタンの子孫なのです。邪悪な者は、良い事柄を語ることができない、ことを明らかにされました。そして、イエスは、人は、「心に満ちあふれているものの中から口は語る」と教えられました。ですから、私たちは神エホバから出る教えの実・霊の実の愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(証拠に基づき、保証された期待、希望)、温和、自制の特質をしっかり培う必要があるのです(ガラテア5:22,23)。霊の実の九つには、腐った事柄が入る余地はない私たちは、霊の実九つをしっかりと心に蓄え、肉の業は徹底的に避ける必要があります(ガラテア5:19~21)。
さらにイエスは、善良な人は、自分の良い宝の中から、良いもの、つまり最良のものを出し、他の人に与える人のことであることも明らかにされました。一方邪悪な人は、自分の邪悪な宝、つまり悪いもの中からさらに悪いものを取り出し、与える人のことを教えられました。無益なことを語る人たちは裁きの日に神エホバに言い開きを求められます。義と宣せられるには、霊の実を培い、神の王国と神の義をいつも第一に求め、神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません(マタイ6:33;24:14.ルカ4:43;8:1)。
梅雨入りも 荒れる強風 異変かな 今日の一句
路傍に咲いている「タンポポに紋白蝶」
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