柿畑のいつもの場所に黄水仙が咲いています。
冬の寒い時期に、水仙の黄色が温か味を添えてくれます。
水仙は一輪活けても、とても引き立ちます。
今日は柿畑の黄水仙と大きめのキンカンの実を紹介致します。
柿畑に咲いている「黄水仙」
ご近所の庭の「大きめのキンカン」
柿畑のいつもの場所に黄水仙が咲いています。
冬の寒い時期に、水仙の黄色が温か味を添えてくれます。
水仙は一輪活けても、とても引き立ちます。
今日は柿畑の黄水仙と大きめのキンカンの実を紹介致します。
柿畑に咲いている「黄水仙」
ご近所の庭の「大きめのキンカン」
イエス・キリストは神エホバの教えと遠く離れ、利己的な伝統に従うパリサイ人たちを「偽善者」、「盲目の案内人」と糾弾、指摘されました(マタイ15:1~20)。その後、イエスは弟子たちと共にイスラエルの境界を越える北のティルスとシドンの地方に神の王国の良いたよりの伝道旅行に向かわれました。その地でフェニキア人・異邦人の女性を「子犬」に例え、優しい気遣いを示し、その女性の信仰に報いを与えられた場面が、マタイの福音書に次のように記されています。
「イエスはそこを離れ、こんどはティルスとシドンの方に退かれた。すると、実よ、その地域のフェニキア人(異邦人)の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしに憐れみをおかけください。わたしの娘はひどく悪霊につかれています」と声を上げて叫んだ。しかしイエスは彼女に一言もお答えにならなかった。それで弟子たちが寄って来て、「彼女を追い払ってください。あとに付いて来て、叫び続けていますから」と頼み始めた。イエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のほかはだれのところにも遣わされませんでした」。女はやって来て、彼(イエス)に敬意をささげながら、「主よ、私をお助けください!」と言った。イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って子犬に投げ与えるのは正しくありません」。彼女は言った、「そうです、主よ、けれど、子犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずを食べるのでございます」。そこでイエスは答えて言われた、「おお女よ、偉大です。あなたの信仰は。あなたの願うとうりのことが起きるように」。すると、彼女の娘はその時刻以後にいえたのである」(マタイ15:21~28)。
上記のマタイの福音書によれば、異邦人のフェニキア人の女性が、イエスのところにやって来て、「娘はひどく悪霊につかれています」と言い、「わたしに憐れみをかけてください」と懇願しています。しかし、イエスはその女性の懇願に一言もお答えになられませんでした。それで弟子たちが、その女性が叫び続けるので「彼女を追い払ってください」と頼み始めた時に、イエスは「イスラエルの家の失われた羊(イスラエルの同胞の民)のほかはだれのところにも遣わされていない」と説明し、今は異邦人への援助の時ではないことを明らかにされました。これは、イエスが神エホバの契約下のイスラエルの同胞の民に仕えるという第一の責任を指摘されたのです。
しかし、イエスは異邦人であるフェニキア人の女性の真剣な懇願に心が動かされたに違いありません。イエスはご自身が遣わされている第一の責任を明らかにされると同時に、ユダヤ人は他の国籍の人々に対して偏見を抱いていることを引き合いに出し、「子供たちのパンを子犬(異邦人・フェニキア人)の女性を子犬に例えられた)に投げ与えるのは正しくありません」と言われました。イエスは異邦人・フェニキア人の女性を「子犬」と呼ぶことによって、当時のユダヤ人が異邦人を「犬」と例える表現を和らげる、深い気遣いをされたのです。フェニキア人の女性は感情を害することなく、イエスがユダヤ人が抱く偏見に言及されたその点を取り上げ、「そうです、主よ。けれど、子犬も自分の主人たちの食卓から落ちるパンくずをたべるのでございます」と謙遜に意見をのべ、強い信仰を表明しました。イエスはその異邦人・フェニキア人の強い信仰を褒め、その娘の悪霊を取り除きいやされたのです。イエスには第一の責任がありましたが、神エホバの優しい気遣いを表し、信仰を抱く異邦人のフェニアキ人の娘を治されたのです。苦しむ人たちへの思いやりを表わす点で、イエスの残された手本に見倣うことが出来るでしょう(ペテロ第一2:21)。
デコポンと 甘平並ぶ 道の駅 今日の一句
宇和島湾でのんびりの「カモメ」