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映画【ゾンビーノ(FIDO)】

2008-09-05 23:27:40 | 映画
 
 
ゾンビーノ (FIDO)
2006
アンドリュー・カリー(Andrew Currie)


ほのぼのゾンビ映画。
結構好きなトーンなんだけれども、これが良作だと言うには少し足りない気が。
ゾンビ映画であるにはなんかディテールが足りない気がします。

結局ファイド(主人公ゾンビ)と少年の友情なのか、人間の奇妙な管理主義的合理性を描きたいのかよく分かりませんでした。

そもそもが、ゾンビをモチーフとしてコメディ然とした作品にしてしまったのが残念なところ。
アメリカ的ホームドラマの要素が強すぎてゾンビがあんまり立ってなかったなぁ。

しかし、ファンタジーと言うには立派な作品。
惜しい作品です。

映画【ソウ3(SAW III)】

2008-09-04 21:23:43 | 映画


ソウ3(SAW III)
2006
ダーレン・リン・バウズマン(Darren Lynn Bousman)


もう謎解きとかどっかにいっちゃったスラッシャー(スプラッタ)映画と成りはててしまった本シリーズ。
スラッシャーもそんなに嫌いじゃないんですが、本作を観るモチベーションはそこじゃないでしょうに。
ラストでなんとなく辻褄合わせみたいな謎解きがあったりしますが、もう、どうでもいい。

70年代から語り継がれるスラッシャー映画(「ゾンビ」とか「死霊のはらわた」とか)の良き部分が最近のスラッシャーモノではあまりに緻密に描かれることでかえってつまらなくしている原因になっているのでは。
ちょっと違うかもしれませんが、

結局、映像を見てそのままのものを受け入れるために映画を観るのではないのだと思うのです。描かれていない部分(殆どが意図的に)を想像する。
たいたいが痛々しいカットだったりします。そのわけをイチイチ説明するのもバカバカしいのですが、結局倫理に因るところだと思うのです。斧で頭をかち割られようとも、その瞬間はいつもカットが割られ、血が噴き出すだけ。その瞬間は見られない。観られないけれども「痛い!」ように撮られている。それが演出。

現在の技術のおかげでその部分もカットを割らずにCGIで処理できるようになってしまった。胴体が真っ二つになったり頸動脈から血が吹き出たりすることも、もはやコミカル。
むしろCGIで鮮明に描画することで興ざめてしまう。
私は人を殺したことがないので想像上ですが、実際に同じ方法で人を殺したら結構あっさり過ぎて手応え無いのかもしれません。小説なんかだと、そういう心情吐露がよくありますよね。
以前の映画にはそこの痛みを想像する隙間が要所要所にありました。しかし、現在の映画はどうでしょう。見た目の派手さばかりを追いかけて飛び散る訳のない血を描き、ありえない悲鳴を乱発。
人の生き死にはそういうことじゃ無い気がするんですが、どうでしょう。
必然性を突き詰めて行き過ぎちゃったのがスラッシャーでは。

とは言っても、最近の凶悪犯罪もしくは猟奇事件の責任が映画にあるとは全く思いません。責任を押しつけるに簡単なものとして槍玉に挙げられているだけ。
そんなこと言ったら、フランシス・ベイコンの絵を観てなにか感じる人は全てキチガイです。

映画【ダークナイト(THE DARK KNIGHT)】T

2008-09-02 22:31:32 | 映画
 
 
ダークナイト(THE DARK KNIGHT)
2008
クリストファー・ノーラン(Christopher Nolan)


面白い!
これは面白い!
ただ、アクションシーンが長く続くと眠くなると言う癖があるため、後半ちょっときつかった。
けど、これは面白い。

各方面で言われていることに間違いはなく、ヒース・レジャー(ジョーカー役)の演技が尋常ではないキレっぷり。
メイクで顔を隠しているものの、それすらも突き抜けて来ます。「芝居をしている」という感じがしないのは何故でしょう。
28歳という若さで亡くなったことは本当に悔やまれます。この芝居は伝説になるんだろうなぁ。
主演はクリスチャン・ベイル(バットマン役)だったんでしょうか。

演技もさることながら、やはり作品として相当に突き抜けたまとめ上げ方をしたノーラン監督。凄まじい手腕。前作の「バットマン ビギンズ」は面白かったモノの「面白い作品」に留まっていたけれども、本作はどうも格が違う。
「バットマン ビギンズ」の監督と言うよりも、やはり「メメント」の監督が撮った作品と言われた方がしっくり来ます。

正義のためならば悪でも引き受けるひとり自警団であるバットマンの葛藤と、ただの快楽犯罪者であるジョーカーの二人の生き様をぶつけさせ、普段「偽善」という言葉を気安く他人に投げかける人に対する問答無用の叱責が込められているのでは。
本来であれば白か黒しかないのに社会というシステムにそれは当てはめることが出来ないという残念な現状を描く映画でした。
正義が存在するための必要悪としてジョーカーを登場させているのではなく、ジョーカーの様な善悪の判断ではなく快楽の為に社会というシステムを脅かす犯罪を起こす人間が居るとすれば、社会システム的に是か非かということを無視してもその悪をたたきつぶす者が必要なのでは、という意図なのかもしれません。バットマンは裏を返せばジョーカーに成りうるのではなく、全く違う存在である、と。
本作ではバットマンをヒーローとして映画居ていないが故にそういう誤解が生まれる可能性があるのは分かりますが、複雑なシステムにかこつけて悪の存在を容認するような作品ではありません。

映画が常にこのレベルの作品ばかりであれば、映画館に行くのが楽しみでたまらなくなるんだろうなぁ。
必見です。
これ以上の映画はなかなか観られるものじゃありません。

映画【シンドラーのリスト(SCHINDLER'S LIST)】

2008-09-01 23:03:26 | 映画
 
 
シンドラーのリスト(SCHINDLER'S LIST)
1993
スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)


これはもう、才能なんかの先天的なものの産物ではなく、演出家としての訓練の賜でしょうね。
ゴッチゴチに固まった企画の中で「何がどうしたからどうなった、ばんざーい。」ということではなく「自分と同じことを鑑賞者にも感じて欲しい、というかオレの視点はコレ。善悪は個人の中で葛藤する」ということ。
そのために利用できるモノは何でも利用する、という姿勢。
本作は第二次大戦中の反ユダヤ主義をベースとしているのは言わずもがなですが、本作の場合はディテールが歴史的にそれが正解かどうかということは作品に関係無く、むしろ時代背景もフィクションとして利用してしまう。
「ブレードランナー」とか「2001年宇宙の旅」などのSFの名作が、一撃でその世界が眼前に広がっていることに何の疑念も持たせない世界観の構築という手続きを省略するための舞台装置では。
ナチスのホロコースト関連に明るくないので史実のリアリティは度外視での感想です。
後の「プライベート・ライアン」でのノルマンディ上陸作戦のシークエンスでの、史実をフィクションでくるんでしまうと言う力業へと繋がっていくのでしょうか。

どのくらいスピルバーグ監督の思惑が投影されているのかは本人に聞かない限り知るよしもありません。
しかし、職人です。

映画【闇の子供たち】T

2008-08-30 00:36:52 | 映画


「闇の子供たち」
2008
阪本順治


かなり高い評判を受けて鑑賞。
正直、それほどでは有りませんでした。

タイにおける幼児買春と臓器売買を追うジャーナリスト(とNPOの人)のドラマ。
重いことこの上なしのテーマです。


ジャーナリスティックな作品かと思いきや、意外と浅くその辺りの追い込み方は周防監督の「それでもボクはやってない」には遠く及ばずです。
原作は未読なのですが、恐らく原作からしてそれほど徹底的な取材を行わずに「タイでは幼児買春と臓器売買がつながっている」という事実だけからの想像で描いているのでは。幼児買春と臓器売買を繋ぐパイプの部分の描き方が結構いい加減だったり、子供を売らざるを得ない親の立場は全く描かれていなかったり、使い物にならなくなった子供はゴミと一緒に捨てるという本当なのか分からないくらい大雑把な描き方です。
意外なほど淡々とコトは運びます。
それと相反する程の幼児への虐待シーンの痛々しさ。間違いなく、この映画のテーマはここだと思っていました。
『下手なジャーナリズムや届かない善意よりも作品として痛々しさを植え付け、オレなりのやり方で少しでも力になってみせる』という気概で臨んだ作品かと思っていましたが、中盤からいきなり登場人物たちのキャラクターが崩れ始めます。
なんだか、サスペンス然とした作りに。
アレレ?と思っていると、なんだか終盤はいきなり完全な劇映画へ。
ちなみに、最も壊れたのは主人公の南部(江口洋介)です。当初のキャラが破綻(展開ではなく)してしまっている。それをやっていいいのはサイコサスペンスだけの禁じ手では。

恐らく坂本監督は「ジャーナリズム」と「一人の人間の持ちうる二面性」という相反するテーマを同時に描こうとしてしまったのでは。
これは非常に危険なことだと思うのです。
社会問題をモチーフとして、本作のように普遍的な人間の原罪らしきものを並列して描いてしまうと、その原罪が正当化されてしまう。
生き物を食べなければ生きていけないという様なことと同義にされてしまってはいけないのです。
ダメなものはダメだと言いきらないといけないと思うのです。
そういう意味で「それでもボクはやってない」は追い込んだ上で(弁護側に偏った視点で)問題を提起しまくった作品ということで評価できます。
本作の場合は最も衝撃的な「幼児回春と臓器売買」を最終的にぼかしてしまっているのが問題です。
本作のラスト15分がそれまでの流れを壊してしまっています。

非常に気になったのが俳優各人が勝手に芝居を完結させている気がします。テーマがテーマだけに中途半端な芝居はできないというのは分かるのですが。
それをまとめ上げてトーンを創り出すことこそが監督の役割だと思うのですが、その求心力のようなものが本作には感じられませんでした。完全なドキュメントであればむしろ演出は不要となるのですが、本作の場合は必要だったのでは。
実力派と言われる役者揃いの割にはちぐはぐです。

本作の構造だと誰にも感情移入できません。
中盤から全ての登場人物が感情を失ったかのようにただ動いているだけ。
初めて宮崎あおいの芝居がダメに見えました。
それ以前に、ラストシーンでの役者の芝居が破綻しまくっています。狙いならわかりにくすぎです。二面性を描くのならもっと表層的なことでは無いと思うのですが。二面性どころかどこにもコアが無い人たちにしか見えません。

本作くらいのレベルの作品が邦画(というか映画として)の最低ラインであるべきだと思うのですが、本作をして「ハイレベルな作品」と言ってしまう評論家がいるのが現状です。
結構ボロクソに書いているのですが、ラスト15分がなければ成立しているし、そこがなければ良い映画なんです。
中盤以降の展開も鑑賞者にこの社会問題を理解させる、考えさせるための仕掛けとして機能しています。
なぜ、あのシークエンスが必要だったのか、理解に苦しむ映画です。
気になる方はご覧下さい。
ちなみに、今のところ鑑賞した全員が口をそろえて同じようなことを言っています。

映画【歩いても 歩いても】T

2008-08-26 23:10:59 | 映画


歩いても 歩いても
2008
是枝裕和


傑作です。
早くも今年最高の予感。
と言うか、このベクトルで本作「以上」ということは殆ど無いでしょう。

最近、観る作品の殆どに対してそんなことを言っている気がしますが、そういう作品を主にチョイスしている故です。
くだらないものばかりを観ているとそこに迎合してしまう。
思いつきだけの作家の様な人やテレビ屋や投資家がよってたかってダメにしてしまった、名目だけ映画と呼ばれる作品を見る必要は殆どありません。

最近の邦画の中では多分最も映画の良心が息づいている作品だと思います。
全く手抜きがない、言い訳がない、表現したかったであろうことがちゃんと伝わる、仕掛けに逃げない。
先日鑑賞した橋口監督の「ぐるりのこと」も相当な映画の良心が詰まった名作でしたが、本作を以てすると、まだ隙があります。少しだけ、ですが。


はっきり言ってしまえば『当たる映画』では決してありません。何か特殊な出来事が起こる映画でもありません。
しかし、圧倒的な密度。
スクリーンの中の出来事が他人事ではない、と言ってしまえば最大公約数の陳腐な言葉になってしまいますが、むしろ真逆。
大げさな言い方をしてしまえば、この映画の中にTOE(Theory of everything:万物の理論 宇宙を記述する統一理論)が有る。
ミクロとマクロの間をつなぐフラクタル(自己相似)がある。
誰の生活の中にも、誰かの生活に繋がる部分がある。それを約数とは言わないとすると、こうなるのです。
本作はある家族の墓参りの24時間だけを描いた「だけ」の作品ですが、その中に描かれている家族の関係性というものはどこにも当てはまるのではないでしょうか。

本作のあらすじというか、シチュエーションは毎年の墓参りのためにちりぢりになった家族が集合した24時間です。
主人公である阿部寛は失業中の身であるがそれを言い出せず虚勢を張る、居心地のわるい嫁と、どことなく不安定な連れ子の息子。器用に立ち回る妹とどこか空回りのその旦那。勝手知ったる他人の家のごとく子ども達が少しよそよそしくはしゃぎ回る。実家に居りますわ不思議な威厳を持つ樹木希林と元開業医の威厳を保ちたい原田芳雄の老夫婦。
これらの人物たちの24時間。
これだけのキャラクターを下手な事件を起こさず、押しつけがましくない114分という良心的な尺に納めた作品に仕上げる是枝監督の手腕恐るべし。
本作を「あるあるこんな家族な作品」と捉えてしまうのは浅はかとしか思えません。とある有名映画批評サイトではそんな感想でした。多分、数を観過ぎて麻痺しているんでしょう。
家族の中にある目線を少し変えるだけで他人になってしまうちょっとした残酷さや、絶対に裏切ること出来ない部分。人に言われないと気づけないところを描き出す映画。
かと言って「人の振り見て我が振り直せ」ではなく、物語としての面白さも併せ持つ作品です。
加えてその批評では「ネタをつめこみすぎでうざったい」なんてことも仰っていましたが、多分その方は実家暮らしで常にそういう想いをしているからでしょう。共感しすぎてしまったのでは。親元を離れ暮らしている方にはそう捉えられないでしょう。私もそうですが。
むしろこれは是枝監督の最大のサービスで、本来であればもっと時間を割いて描きたいシーンも多々あったことでしょう。私が観てももっと回して欲しいシーンが沢山ありました。
受け手によって捉え方が違うのはやむを得ずなのですが、そのエクスキューズを無しとし一般論と独断するあたりが批評を生業としている方ならではです。なんだか腹の立つ物言いだったので少し喧嘩腰です。

前作の「誰も知らない」がドキュメントの手法で演出妙と言うよりはそれを引き出す観察眼、本作では完全な劇映画でここまでの演出。素晴らしいです。
おこがましくも同じ演出家として是枝監督に追いつくのは何時のことなのか。気の遠くなる思いです。
本作にあまり多くを詳細に語ることは自分の陳腐さを際だたせることになりかねないのでこの辺で。

昨年の8月に、何故か急に墓参りがしたくなり夜中の東名高速道路をスッ飛ばして実家に帰ったことがなぜか思い出されました。
あの墓参りも随分暑かった。


本作は必見です。
凡百の作品を観ることに悩むくらいなら本作を是非ともどうぞ。

映画【ペーパ・ムーン(PAPER MOON)】

2008-08-10 03:12:53 | 映画


ペーパ・ムーン(PAPER MOON)
1973
ピーター・ボグダノヴィッチ(Peter Bogdanovich)


1930年代のアメリカ。母親を亡くしてひとりぼっちになってしまった少女と、何故かその女の子を親戚の元までおくることになってしまった詐欺師のような男。二人の道中のお話。
こう書くと「次第に心を開く少女と、いつのまにか情が湧く男のお話」と解釈されてしまいそうですが、で、それもあながち間違っていないんですが、どうもそういう一筋縄ではいかない作品です。

この男が詐欺師ということもあり、それを正す少女のふるまいかと思いきや、乗っかる乗っかる。むしろテクニシャン。
現代の映画だとしても全然通用しそうなストーリーです。面白い。

この男と少女は劇中では赤の他人ということになっているのですが、実際は実の親子。親子でここまでの芝居ができるとは。

「ぜんぶ、フィデルのせい」のアンナの様な仏頂面。
「イカとクジラ」に近い子供の屈折したようで素直な行動。
「リトル・ミス・サンシャイン」の目的がいつの間にかどっかに行ってしまった過程を楽しんでしまう変な道中。
この辺にハマる方は是非。
このあたりの現代ではちょっと端っこ系になってしまっている作品のオリジナルなんじゃないかと思えてしまう作品です。

というか殿堂入りの名作なので普通に楽しめる作品です。

映画【アメリカン・ヒストリーX(AMERICAN HISTORY X)】

2008-08-07 01:46:45 | 映画
 
 
アメリカン・ヒストリーX(AMERICAN HISTORY X)
1998
トニー・ケイ(Tony Kaye)


恥ずかしながら初見の本作。
良い作品ですね、と言うのも今更感丸出しですが、良い作品です。
何が良いかと言えば、テーマを直球で描くことに臆面が全くないこと。

今更あらすじを説明するまでもないかもしれませんが、一応。
兄を誇りに思うダニー。その兄デレクは父を黒人に殺されたことからネオナチに傾倒し、その地域のリーダに。自動車泥棒を射殺したことから懲役刑になる。兄の服役中にダニーはゴリゴリのネオナチへと。3年ぶりに出所した兄デレクにはある変化が起こっていた。その変化にとまどうダニーと、兄デレクの物語。

物語の中盤のこの台詞に全て集約されています。

『怒りが君を幸せにしたか?』

人種差別をモチーフとした本作ですが、この言葉が全てに当てはまることで、本作の場合はスケールを広げた人種差別だったり宗教観だったりします。これは個人間の争いでも全く同じ。というか、その拡大が人種差別や宗教戦争や国家間の戦争(これはちょっと違うかも)です。。
そのことになかなか気づけません。わかっちゃいるが・・・、とも違う。
一時の激情に支配され理性を失う、ということともちょっと違います。
怒りをきっかけとした憎しみも同じ。


本作を観ていて思いだしたのが手塚治虫著の「ブラック・ジャック」に登場したゲラという超笑い上戸(間黒男時代のブラック・ジャックの同級生)との「笑い上戸」というエピソード。
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自分と母親をこんな姿にした人間への復讐に燃える黒男少年は常にダーツを身につけていた。いざというときに攻撃するためだ。
黒男少年は決して笑わず、憎しみこそを糧として過ごしてた。
そこに現れたのがゲラ。笑い上戸で人なつっこく、陰気な黒男にも分け隔て無く接する。
ゲラは「笑うことが出来るのは高等生物しかできないんだよ」と。いつのまにか心を通わせるようになった黒男少年とゲラ。
ある日、ゲラの家に遊びに行くと、そこには何もなかった。両親は借金を作って逃げゲラは一人で暮らしていた。両親が作った借金のため、家財道具はおろか、何もない部屋でゲラは生活していたのだ。
そこにやって来る借金取り。執拗にゲラを攻め、殴る蹴るのやりたい放題。憤慨した黒男少年は懐からダーツを取り出すも借金取りに奪われ、そのダーツでゲラの喉を突き刺してしまう。
その後、ゲラは喉の傷が原因で何年も闘病生活を送り、もちろん笑うことなど出来なかった。
医師免許を取った黒男はゲラを訪ねる。そこにはやせ細ったゲラの姿が。高度な医療技術を身につけた黒男はなんとしてもゲラを救おうと誓う。しかし死期が迫っていることを察しているゲラ。
黒尾が大学に戻った後、ゲラは病院中に響き渡る程の声で笑い続け、息を引き取った。
訃報を聞いた黒尾は思う「私も少しは高等な生き物になれたかな」
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全部書いてしまいましたが、手塚先生の原作は素晴らしく「ブラック・ジャック」の中でもトップクラスに好きなエピソードです。御一読下さい。文庫版では第12集に収録されています。
文庫版では第12集(Black Jack―The best 13stories by Osamu Tezuka 12)

さらに思い出したのが吉田秋生著の名作漫画「Banana fish」の終盤で、一人の友人を守るために全てを抛つ(なげうつ)覚悟をしたアッシュついて言及するブランカの言葉。
『あいつは憎んで覇者となるよりも、愛して滅びる道を選んだのですよ』
「Banana Fish」についてあらすじを全部言うのは面倒なので読んでください。名作です。


こういうことなんだろうなぁ。
「憎しみ」や「怒り」はある種の原動力となりうるし、それは日和った気持ちを引き締めてくれることになるかもしれません。しかし、それは覚醒剤やら興奮剤みたいなもので、取り憑かれてしまえば抜け出すことも出来ず、抜け出そうとすれば今までの分の猛烈なしっぺ返しを食らうこととなってしまい、恐ろしいほどの空虚感や孤独感を味わうこととなります。
また、意志無き者の拠り所として憎まれ役を設定しないことには団結できない性というのもあります。
上手くつきあえれば良いのですが、なかなかそうもいきません。


些細な揉め事を目にすることも希ではなくなり、新聞はそれをきっかけとしたかのような事件が見出しに踊っています。
幸せに、楽しく、穏やかに過ごすことに既に意味を見いだせなくなってしまったのか。それ自体に価値を見いだせなくなってしまったのか。
それをして幸福と言うに現実では既にユートピアでのお伽噺になってしまったのか。
『「怒り」や「憎しみ」は何も生み出さない』
何世紀言われ続けたかわからない言葉も忘れてしまうほどに、人間は貧しくなってしまったのか。

その瞬間の自分の快楽のために、自分(とその周辺)以外をを蔑ろ(ないがしろ)にすることは常識になってしまったのでしょうか。

話は随分変わりますが、ただいま平野啓一郎著の「決壊」 を読んでいます。
僅かなきっかけで決壊する善意らしきものの儚さを描く傑作。まだ読了していませんが。
恐ろしいほど的確な表現で(ありさらけ出されたくなかった)個人の抱える、拠り所を求める陰惨な性質を描いています。気味が悪いほどのピンポイントな悪意、それが決壊する危うさ方法を記しています。
読んだ方は多分この本を「預言」だと思うことに同意していただけるのではないでしょうか。
久々の読書感想文を書こうと思っているので詳しくはそちらで。



随分話しは逸れましたが、未見の方は是非。
思うところ多い映画です。

映画【インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国】

2008-07-31 00:45:49 | 映画
 
 
インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(NDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL)
2008
スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg)


いちいち文句をたれるというのは全く以て野暮というモノで、眉間にしわを寄せて観るのではなく、ただ楽しめば良いのでは。
DNAに上書きされた『パーパラッパ~~』のテーマが流れれば血湧き肉躍る塩基配列はどうしようもありません。

確かに、予告編を初めて観たときの落胆はありました。「インディ、動けてねぇじゃん・・・」
20年も経ってればやむを得ず。
その動けなさをカバーするためか、大げさな舞台。
最終的にどこまで風呂敷を広げてくれるかと期待しましたが、これ以上広げようのないところまで行ってくれました。
これは「もう続編は無理」のポーズなのか。


開始1分でオチがバレる驚異の構成。
ネバダ州と出てくればそのスジの方なら一発です。続いてロズウェルと来れば確定。
で、極めつけは軍事施設の壁にデカデカと書かれた「51」の文字。鉄板です。
それ以前にサブタイトルの「クリスタルスカル」というあたりでもフラグ立ちまくりなんですがね。
水晶髑髏という名前で相当有名なオーパーツ(Out Of Place Artifacts)で、遺跡(ベリーズとかアステカとか)から発掘されたものではあるけれども、当時の技術では制作不可能と言われています。ってことは誰が作ったかっつうことでいろんな想像ができる楽しいオブジェクト。

なんて上記の反応もガキの頃からインディシリーズを観て育った結果です。
初めてインディシリーズを見たのはたぶん「レイダース(RAIDERS OF THE LOST ARK)」<1981>を日曜洋画劇場で観たのは初めてで、たぶんその次に「魔宮の伝説(INDIANA JONES AND THE TEMPLE OF DOOM)」<1984>を同じくテレビで観て、劇場に行ったのは「最後の聖戦(INDIANA JONES AND THE LAST CRUSADE)」<1989>でしょうか。
当時中学生だった私は劇場に行った帰りにカツアゲされました。あまり良い思い出ではありません。けれども、インディが面白かったのはその苦々しい思い出を覆ってしまうほど。


今回の「クリスタル・スカルの王国(INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL)」の鑑賞に先立って前日の晩に連れ(インディ・シリーズ観たことない)と共に過去3作品を全て見返してたんですが、そりゃぁ面白いに決まってる。
先月もインディ・シリーズをまともに見たことがないという驚異の友人宅にDVDを持って行き、一晩中鑑賞なんて布教活動もしていました。

ファンの方はほとんどのシーンを記憶している程だと思うのですが(私もそのクチですが)やはり前作をもう一度見返してから観るのが正解かもしれません。小ネタが出てくる出てくる。
副作用としてはインディ登場のカットで「老けた!大丈夫か?」と思ってしまうことくらい。実は、前作でもインディはそこまで動いていません。大学教授ですし。

これをただの懐古主義と言われるなら、それはそれで構いません。
新しいことはほとんど無く、ストーリーもひねってひねって王道に戻ってきてしまった感アリ。
しかし『偉大なるマンネリズム』とはこういうことで、隙間を狙って狙いがバレバレな恥ずかしい作品たちの方ががよっぽど『新規性狙いというマンネリ化』していることは随分と浸透しています。設定の妙だけを追う最近の邦画に多いですね。
各人の趣味趣向の幅は確かに細分化されているけれど、そのカテゴリとかスタイルとかの新規性を狙うというのは『仏作って魂入れず』の様な「キサラギ」とか「アヒルと鴨のコインロッカー」みたいなネタバレしたら観る価値無しで、陳腐化が超早い作品を量産してしまうだけでは。
インディの場合はロイヤル・ユーザーへの直球で勝負。むしろ打ってくれ!と言わんばかり。
打った時の真芯に当たった快感を楽しめ!という様な作品もあって良いと思うのです。その辺は「釣りバカ」とか「ドラえもん」とか、前なら「寅さん」が担っていたんですが、そういう作品も少なくなったような気がします。



巷では「なんかイマイチ」という声が聞こえてくる本作ですが、私は鑑賞中に涙が滲んでくるほどに面白かった。
「面白かった」というよりも「嬉しかった」という方が正確かもしれません。
最大公約数狙いの「なんとなく飽きなかった」という65点の映画ばかりを観させられては観る側も見方が変わってしまうというもの。
本作も観る人が観ればただの最大公約数エンタテイメント作品でしょう。「所詮、ハリウッドでしょ?」と言われても返す言葉もありません。イヤ、返す言葉多すぎて伝えられる自信がありません。


全ての人が平等に面白い映画なんて存在するはず無いのです。
それと同時に、ある種の人に猛烈に突き刺さる映画も有って然るべきでは。
そういう映画がニッチとか作家主義とかアートとか言われ迫害されて久しい映画を取り巻く環境ですが、腐ってんな。ズブズブに腐ってんな。臭くてたまんねぇよ。食えたもんじゃねぇわ。

なぁ、そろそろ本気で自分が絶対面白くてたまらない映画作ろうぜ。

映画【ONCE ダブリンの街角で(ONCE)】

2008-07-27 00:39:18 | 映画


ONCE ダブリンの街角で(ONCE)
2007
ジョン・カーニー(John Carney)


これは良い。好き。

サンダンス映画祭ワールドシネマ部門観客賞受賞ということで、面白いのは間違いなかったんですが、これは結構ツボです。
もの凄い安いわ予定調和だわで困った作品になりがちなんですが、歌が良い。

街角ギター弾きと、そこに通りかかった女との恋のようなそうでもないような、のお話です。
下手な映画だと、その音楽の部分をテキトーに描いて「音楽関係ねぇじゃん!」ってなことになりがちなんですが、ド頭から弾き語りフルコーラス。その後も何曲か弾くわ歌うわでかなりの音楽映画です。その曲たちが、かなりざっくりしたロックというかフォークというかよくわからないかんじなんですが、良い。
男の歌声がちょっとポール・ウェラーっぽい。

お話の進行自体は上記の通りの予定調和で、とりたててとんでもないことが起こるわけでもありません。難病恋愛モノとかを期待してみると完全にハズされますのでご注意を。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の「パンチドランク・ラブ」からいろんな仕掛けを抜いた感じとでも言うのか、だったら何も起こらないじゃないか。イヤ、起こってるんですよ。
男と女が出会い、モンモンとしつつ、しかし恋愛だけに振り回されず、すぐにセックスしない映画です。
ユルイです。
民生のHDV CAMで撮った様な絵で、自主制作なんじゃねぇの?と思うほどですが、なんだかうまいこと行っていて、下手な大作より全然好き。

平日の夜なんかにビールでも飲みながらサクッと観られる87分という短尺。
オススメです。