神が宿るところ

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玉崎神社(千葉県旭市)

2014-07-12 23:55:45 | 神社
玉崎神社(たまさきじんじゃ)。通称:玉ヶ崎大明神(たまがさきだいみょうじん)、あるいは単に、明神様(みょうじんさま)。
場所:千葉県旭市飯岡2126-1。国道126号線沿いのガソリンスタンド「エネオス飯岡バイパスSS」とコンビニ「セブンイレブン旭市飯岡谷店」が向かい合う交差点から、南西に向う(この道路には「九十九里ビーチライン」という愛称があるが、鄙びた普通の道路である。)。突き当たりの交差点を左折(南東へ)、約200m進むと石造の鳥居がある。それを潜った先の赤鳥居の向って右手に駐車場あり。
社伝によれば、創建は景行天皇40年(110年)。日本武尊が東征の折、相模国から上総国に渡るときに海難に遭い、妃の弟橘媛が自ら犠牲となって入水するという悲劇があった訳だが、その後日本武尊が上総国から陸奥国に向う途中で「玉之浦」(=九十九里浜)に至り、その東端の「玉ヶ崎」に海上平安と夷賊鎮定を祈願して、海神の娘で神武天皇の母に当たる玉依毘売命(タマヨリヒメ)を祀ったという。一説に、永禄年間(1558~1570年)、戦火を避けるため上総国一宮である「玉前神社」(同じ「たまさきじんじゃ」だが、「さき」の字が異なる。)が当神社に御神体を移したともいう。
中世、南北朝時代中期に成立したとされる「神道集」巻三第十(香取大明神事)には、「香取大明神」(「香取神宮」)を下総国一宮とし、「玉崎明神」(当神社)を二宮として、ともにその本地を十一面観音と記している。ただし、その根拠は不明。なお、当神社は延喜式神名帳には登載されておらず、所謂「式外社」である。因みに、千葉県船橋市に鎮座する「二宮神社」(2012年3月17日記事)は下総国式内社「寒川神社」に比定されているが、あえて由緒ある「寒川神社」を称さず、下総国二宮であることを優先して「二宮神社」を正式名称としたようである。また、下総国式内社「蘇我比咩神社」(2012年4月7日記事)も下総国二宮であるとしている。
さて、当神社は「玉之浦総社」として中世以降、源頼朝・千葉常胤等の武将が参拝・庇護したほか、場所柄、海上安全と大漁祈願に加え、祭神に因むものか、安産の神様としても信仰された。子が生まれないことに悩んでいた玉之浦の長者が当神社(明神様)に祈願すると、子ができた。また、母親がお産に苦しんでいると、枕元に明神様が現れ、明神様から授けられた玉石を抱いたところ安産したと言い伝えられている。この玉石は、現在も、「子産石(子宝石)」と称する霊石として当神社の宝物となっているという。


「玉崎神社」のHP


写真1:「玉崎神社」参道入口の石鳥居と社号標。社号標は「下総國二宮 玉浦總社 玉崎神社」と刻されている。


写真2:境内入口の赤鳥居


写真3:拝殿正面


写真4:本殿。拝殿・本殿とも千葉県指定有形文化財。 


写真5:本殿裏の石塁(石垣)。ここで使われている石は「飯岡石」(凝灰質砂岩)であるが、丸いのは海岸に打ち寄せられた「寄り石」であるからである。旭市指定文化財。


写真6:「天の石笛」。享保3年(1718年)頃に漁師の網にかかったもので、頭部に直径30cm、深さ40cmの溝穴があり、側面にも穴があって、風が吹き込むと妙音がするという。この音により漁師が出漁を占う霊石とされる。旭市指定文化財。
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