神が宿るところ

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手賀長者館跡

2023-02-11 23:32:23 | 史跡・文化財
手賀長者館跡(てがちょうじゃやかたあと)。唐ヶ崎長者館跡ともいう。
場所:茨城県行方市手賀4248外。茨城県道50号線(水戸神栖線)と同183号線(山田玉造線)の「井上藤井」交差点から県道50号線を北へ、約2km。交差点の角に「りさき牛乳店」があるが、その北側辺り。駐車場なし。
平安時代後期の武将・源義家が奥州征伐の折、富裕な長者から厚いもてなしを受けたのに、それほどの財力のある長者は後の災いになるかもしれないとして長者を滅亡させた、という伝説が茨城県内各地に残っている(現・茨城県水戸市の「一盛長者」など。「台渡里官衙遺跡群」(2019年3月16日記事)参照)。長者というのが、駅長又は郡司の後身ではないか、という考えもあって、こうした伝説の残る場所が古代官道の駅家や郡家を探す手掛かりになったりしている。当地では「手賀長者」、別名「唐ヶ崎長者」がそれに当たるが、手賀長者が他と違う点が2つある。1つは、長者の一族が皆殺しになったのではなく、長者の娘が生き残り、地元の「西蓮寺」(前項)の常行三昧会を始めた、という伝承である。これは、仏教による救済という話になっている。もう1つは、長者が富裕になった経緯が語られていること。手賀長者は、元は貧しい若者だったが、大変な親孝行で、あるとき草刈りに行って湧き水を探して飲んだところ、酒の味がした。喜んで家に持ち帰り、父親に飲ませたところ、美味しい酒だと言って喜ばれた。これを知った他の村人も飲んでみたが、ただの水だった。ある夜、若者の枕頭に白髪の老翁が立ち、「わしは原の稲荷だ。お前の孝行に免じて水を酒に変えたのだ。」と言って消えた。そこで、夜明けに若者が湧き水のところに行って探すと、稲荷の祠があった。厚くお礼を申し上げ、その酒を売って財を築いたという民話である。こちらは所謂「養老の滝」伝説で、全国に同様の民話がある。ただし、当地でなぜこのような話になったのかはわからない。因みに、「原の稲荷」というのは、「手賀ふれあいの森」公園内にある「小座山稲荷神社」のことらしい。
さて、「手賀長者館跡」とされるところは、今は同じ行方市だが、概ね県道50号線の西側と東側、旧・玉造町手賀と旧・北浦村行戸に跨っていて、字はどちらも「唐ヶ崎」という。両地から布目瓦や須恵器・土師器の破片が出土している。行戸は、元は手賀の一部だったが、五十戸(さと)単位で村としたとき、足りなかったので余戸の里となり、これが訛って行戸という名になったとのこと。伝説では、長者の館は300間(約545m)四方の土手を廻らせ、建物30棟、門の扉は白檀(ビャクダン)製で、井戸7つ、召使50人、馬十数頭あったというが、今では何の痕跡もないようである。上記の通り、当地は現・行方市手賀の最も東に当たるが、手賀は「常陸国風土記」行方郡条にある「提賀の里」、「和名類聚抄」所載の「行方郡提賀郷」の遺称地とされ、常陸国分寺系瓦が出土した「手賀廃寺跡」のほか、貝塚・古墳・集落跡などが発見されている。つまり、往古から人の住みやすい場所であったのだろう。ただし、手賀長者(唐ヶ崎長者)が何時の頃の人物かはよくわかっていない。長者は、唐ヶ崎四郎左衛門(あるいは四郎兵衛)という名であったというが、「井上神社」(2023年1月21日記事)の棟札にその名があるほか、室町時代の明応8年(1499年)に常陸大掾氏の一族・井上維義が小田氏勝と戦ったとき、維義の本陣を固める旗本頭であったとされることなどから、少なくとも、源義家に滅ぼされたというのは伝説に過ぎないのかもしれない。要するに、古代~中世~近世のいずれかに手賀長者あるいは唐ヶ崎長者という豪族・分限者がいたことは確かでも、それが何時の時代か、どのような人物だったのかは確かめることができないようである。

小座山稲荷神社(こざやまいなりじんじゃ)。
場所:茨城県行方市手賀4099付近。「手賀長者館跡」付近の交差点から県道を北へ約500mで左折(西へ)、約400m。更に約50m進むと、駐車場・トイレがある。
社伝によれば、1千年前から「原の稲荷様」があり、「子稷(ししょく)の神」(子供の夜泣きを治す神)として人々の信仰を集め、茨城郡・新治郡・鹿島郡などからも参拝者があった。しかし、時が経って荒廃したのを憂いた手賀村の名主・茂木彦平が、文化14年(1817年)に社殿を再建し、氏神として祀った。弘化・嘉永年間(1845~1855年)、新田・井上・西蓮寺から当地(小座山)に移住してきた人々7戸が、当時の手賀村名主・茂木三平の計らいによって荒れ地や山野を開拓するようになった際に、茂木家が祀ってきた稲荷社を奉斎した。平成7年、当地が公園として整備されるに当たり、社殿を改築・整備した。祭神:倉稲魂命。


写真1:「手賀長者(唐ヶ崎長者)館跡」付近。中央の道路は県道50号線。遺跡の痕跡は殆どなく、どの辺りかよくわからない。あるいはもう少し先(北)かもしれない。


写真2:「小座山稲荷神社」参道石段


写真3:同上、鳥居


写真4:同上、社殿

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