真珠院跡(しんじゅいんあと)。
場所:茨城県かすみがうら市深谷3265-2。国道354号線「南中学校入口」交差点から南に約900m進み、狭い道路へ右(南西)に約50m入る。駐車スペースなし。
「真珠院跡」は、現在は聖徳太子像を祀る仏堂のみが残っている廃寺跡であるが、次のような伝説がある。聖徳太子の死(622年)後、蘇我入鹿が聖徳太子の子・山背大兄王一族を滅ぼした時(643年)に、麿王という王子が難を逃れ、乳母を頼って東国に落ち延びた。麿王には桜姫という恋人がいたが、別れる時に「山の東、水の里に行く。」という言葉を残した。桜姫は、その言葉を頼りに侍女の楓を連れて、麿王の後を追い、筑波山の東、霞ヶ浦の里である当地に辿り着いた。しかし、元々、麿王が行き先は当地とは限らず、行方は知れなかった。そこで、小さな庵を建て、麿王の偉大な祖父・聖徳太子の木像を彫りあげたが、重い病の床につき、楓の看病も空しく、「足が弱くて麿王に会うことができなかったので、人を訪ねて旅をする人が丈夫な足でどこまでも歩いていけるように、聖徳太子像の足元へ「お足(お銭)」を入れておいてほしい。」と言い残して亡くなった。その後、侍女の楓も、姫の後を追うように亡くなった。村人たちは二人を哀れみ、山桜と楓の木を植えて墓を造り、庵は寺にして「真珠院」と名付けた。今でも本尊の聖徳太子像の足元には「お足(お銭)」が挿まれていて、足がいつまでも丈夫であるようにと祈る人々がお参りにやってくる。なお、二人の墓として山桜の古木が最近まで残っていたが、令和5年に伐採されてしまったとのこと。
写真1:「真珠院跡」に残る「太子堂」
写真2:五輪塔の一部など
写真3:同上
写真4:石仏
写真5;石造の大師像
写真6:近くにある石祠
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