神が宿るところ

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胎安神社(常陸国式内社・その13の5)

2019-01-05 23:44:06 | 神社
胎安神社(たやすじんじゃ)。
場所:茨城県かすみがうら市西野寺434。「子安神社」(前項)入口手前の交差点から南へ約600mのところ(右側:西側)に木製の鳥居があり(道路の反対側に案内看板がある。)、ここを入る。駐車場有り。
社伝によれば、天平宝字6年(763年)、下総国一宮「香取神宮」の祭神・経津主命(フツヌシ)を祀ったのが創祀で、このとき相殿に山城国式内社(名神大)「梅宮大社」(現・京都市右京区)の分霊として木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を祀ったという。天喜2年(1054年)、鎮守府将軍陸奥守・源頼義、義家(八幡太郎)父子が奥州征討のときに隣村の下雫村(現・茨城県かすみがうら市下志筑)に在陣中、当神社の霊験著しいことを聞き、義家の妻の安産祈願をし、嫡男を無事出産したため、康平6年(1064年)の帰路に報賽し、源氏の紋章である「笹竜胆」紋の使用を許されたという。現在の祭神は、木花開耶姫命、経津主命、彦火瓊々杵命、彦火火出見命。
常陸国式内社「羽梨山神社」または「夷針神社」の論社とされるが、個人的にはあまり納得できていないものの、それほどの由緒ある古社で、近世から現在までも賑わいを見せている神社であるということなのだろう。
蛇足になるかもしれないが、神紋の「笹竜胆」紋について。「笹竜胆」は源氏の家紋として有名だが、使っていたのは公家の源氏(宇多源氏の綾小路家など)が中心で、武家の源氏が使い始めたのは室町時代中期からと言われている。したがって、源頼朝、源義経、木曽義仲なども「笹竜胆」紋を使ってはおらず、講談などでイメージ付けられたものらしい。なので、源頼義父子が当神社などを参拝したとしても、「笹竜胆」紋の使用を許したということはないと考えられる。なお、「笹竜胆」は、「笹」と「竜胆」の合成ではなく、竜胆(リンドウ)の葉が笹の葉に似ていることによる。


胎安神社のHP


写真1:「胎安神社」入口の鳥居


写真2:社号標


写真3:神門


写真4:拝殿。社殿は南向き


写真5:本殿


写真6:本殿横の「子持ち松」。推定樹齢約500年の御神木であったが、明治時代に枯れてしまった。石を抱き込んでおり(「子持ち松」という名の由来)、胎内安全の御利益があるとして今も信仰の対象になっているという。
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