神が宿るところ

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長熊廃寺跡

2014-01-04 23:29:35 | 史跡・文化財
長熊廃寺跡(ながくまはいじあと)。
場所:千葉県佐倉市長熊260(「五良神社」の住所)。白銀小学校の東、約750mのところだが、場所がわかり難い。「佐倉市八街市酒々井町消防組合消防本部」の東側に国道296号線の上(高架)をクロスして通る道路があるが、「消防本部」の上付近から南東へ約450m進むと、「愛宕神社」の鳥居(写真1)があり、ここから参道を徒歩で約250m進むと「愛宕神社」の裏手(南~東側)にある。「愛宕神社」鳥居前に駐車スペース1~2台。
「長熊廃寺跡」は、佐倉市長熊に鎮座する「五良神社」(注)の境内にある廃寺跡。古くから瓦片が出土していたことから、昭和26年に立正大学史学研究室を中心とする調査団により発掘調査が行われた。その結果、塔を東に、金堂を西に配した所謂「法起寺」式伽藍配置を持つ、この地方の豪族の氏寺であり、出土した瓦の様式からして、奈良時代末期(8世紀末)に建立されたものと推定された(昭和42年千葉県指定史跡)。しかし、昭和61年の千葉県文化財センターによる再調査では、「法起寺」式伽藍配置であることに疑義を提起している。なお、このとき、「高岡寺」と記された墨書土器が発見されたことから、当時この寺は「高岡寺」と呼ばれていたと考えられている。
ところで、「長熊」という地名は、和名類聚抄の「印旛郡長隈郷」に由来するものと考えられ、古くからの呼称であることがわかる。また、当遺跡の西側に「白銀」という広い住宅団地があるが、ここにはかつて「高岡大山遺跡」(消滅)があり、7~10世紀の掘立柱建物200棟以上、竪穴建物400棟以上が発見された。建物はL字・コ字形など官衙的な配置がみられ、銅椀、皇朝十二銭、帯金具等も出土しており、この付近に郡衙があった可能性が高い。また、付近に「神門」、「別所」、「馬橋」、「馬渡」といった地名もあることから、延暦24年(805年)廃止された古代東海道の「鳥取」駅との関連も指摘されている。因みに、原則的な駅間の距離は4里=約16kmとされるが、「河曲」駅が現・千葉県庁付近とすれば、その(直線)距離は約17kmである。また、「長熊廃寺跡」の東南、約300mのところに現・千葉市~成田市~香取市を結ぶ国道51号線が通っている。

(注)「五良(ゴリョウ)神社」:由緒不明。祭神:鎌倉権五郎霊。元は「御霊社」または「鎌倉権五郎社」と称したとされる。鎌倉権五郎というのは、鎌倉景政という平安時代後期の武将で、桓武平氏の流れを汲み、父の代から相模国(現・神奈川県)鎌倉を領地として鎌倉氏を名乗ったとされる。一説に、平高望または平良文の子孫とするが、詳細は不明。後三年の役に参加し、右目を射られながらも奮戦した猛将として有名。歌舞伎の「暫」の主人公ともされている。なお、神奈川県鎌倉市周辺に今も「御霊神社」として鎌倉景政を祀る神社が多い。


佐倉市のHPから(長熊廃寺跡)


写真1:「愛宕神社」(住所:千葉県印旛郡酒々井町本佐倉376)鳥居。「五良神社」へは、この参道を進む。


写真2:「五良神社」鳥居。「愛宕神社」参道途中から分かれた先にある。


写真3:同上、社殿。参道が西についていて、社殿が南向きのため、社殿の前が狭い。


写真4:「長熊廃寺址」の石碑


写真5:境内といっても、現状は雑木林で、鳥居と社殿の間に伽藍の位置を示す小さな石碑が建てられている。これは「中門の址」


写真7:同上、「回廊東部の址」


写真8:同上、「塔の址」
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