神が宿るところ

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施無畏山 寳樹院 小山寺

2024-07-06 23:32:57 | 寺院
施無畏山 寳樹院 小山寺(せむいさん ほうじゅいん おやまじ)。通称:富谷観音。
場所:茨城県桜川市富谷2186。茨城県道41号線(つくば益子線)「久原十字路」交差点から北西へ約90mで右折(北東へ)、林道久原富谷線を約2km。自動車は山門少し手前の駐車場に駐車(山門を通り過ぎると、奥の駐車場からは遠くなる。)し、そこから徒歩約80m。
寺伝によれば、天平7年(735年)、聖武天皇の勅願によって僧・行基が開創し、自作の鉈彫十一面観世音菩薩を本尊として安置し、寺号を「施無畏山 寳樹院 長福禅寺」と名付けた。本堂と三重塔を中心に三十六院など多くの堂宇が整備され、「富谷山」全体が聖地霊山とされたと伝えられる。また、慈覚大師(円仁、第3代天台座主)が東北遊化の際、大師自刻の不動明王と多聞天を脇侍として七堂伽藍が整えられたとされる。平安末期~鎌倉時代初期に当地の領主であった下野守・小山朝政が当寺院を篤く庇護し、「長福禅寺」から「小山寺」に改称した。その後も、各時代の領主から二十石の朱印地を安堵され、明治維新まで続いたという。天台宗の寺院として、江戸時代には「月山寺」(前々項)の末寺となったが、当寺院の方が歴史は古く、寺宝も多い。三重塔(国指定重要文化財)は室町時代の建立で、関東地方以北で同時代まで遡る仏塔は、他には現・栃木県益子町の真言宗「獨鈷山 西明寺(通称:益子観音)」の三重塔の2つだけとされる。本堂・仁王門・鐘楼は江戸時代の建立で、いずれも茨城県指定有形文化財。本尊の十一面観音菩薩坐像は行基作と伝えられる鉈彫像で、 像高200.5cm、アサダ材の一木造りで平安時代後期の作と推定されている。秘仏とされ、御開帳は62年に一度という。通称:富谷観音といい、開運・安産・子育てに御利益がある。また、不動明王像は平安時代後期の作、毘沙門天像は室町時代の作(伝・運慶作)と推定され、これら3体の仏像はいずれも茨城県指定有形文化財。因みに、昭和59年、現・山形県寒河江市の慈恩宗「瑞宝山 本山慈恩寺」(2016年4月2日記事)の大日如来坐像の体内から発見された経文の奥書に「常陸国笠間郡小山寺、大檀那長門守藤原朝臣時朝」と記されていたことで、当時の笠間城主・笠間時朝(1204~1265年)が当寺院に寄進した大日如来像が「慈恩寺」に移されたことが明らかになったという。


富谷観音 小山寺のHP

桜川市観光協会のHPから(施無畏山小山寺)


写真1:「小山寺」境内入口。こちらは西門に当たる。山門正面に本来の参道(急で長い石段)があるが、道幅が広い林道久原富谷線ができたので、こちらから入るのが一般的。拝観時間は午前9時~午後4時。


写真2:山門(仁王門)


写真3:金剛力士像(阿形)


写真4:本堂


写真5:同上


写真6:大黒堂


写真7:大杉と鐘楼。大杉は桜川市指定天然記念物(樹高25m、目通り幹囲5.2m)。


写真8:三重塔。室町時代中期の寛正6年(1465年)、下妻城主・多賀谷朝経が建立したもの。


写真9:同上


写真10:水神

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