神が宿るところ

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佐波波地祇神社(常陸国式内社・その26の1)

2020-03-07 23:21:59 | 神社
佐波波地祇神社(さははちぎじんじゃ、さははくにつかみじんじゃ)。通称:大宮六所明神。唐帰山(からかいさん)。
場所:茨城県北茨城市大津町1532。茨城県道沿い「北茨城市大津町公民館」から東へ約170m(最初の交差点)のところで、左手(北側)に当神社の鳥居と石段が見える(徒歩約300mだが、結構きつい登り坂)。自動車の場合は、更に約100m進んだところで左折(北東へ)、道なりに約260m進み「佐波波地祇神社 車参道」という案内看板が出ているところを左折(北へ)、約500m進んだ行き止りが駐車場。
社伝によれば、創建年代は不明ながら、斉衡~天安の間(854~859年)であろうとする。「日本三代実録」貞観元年(859年)の記事に、常陸国正六位上の石船神と佐波波神に従五位下の神階を授けたという記載があり、この「佐波波神」が当神社のことであるという。また、「延喜式神名帳」登載の多珂郡鎮座「佐波波地祇(神)社」に比定される論社となっている。
当神社の鎮座地は大津港を見下ろす高台にあって、松の木に覆われていたため、古くから航海の目印になっていた。伝承によれば、日本武尊東征の折、大津沖で逆浪に遭って漂流したときに、白衣の神人が雲竜に乗って現れ、「吾は佐波波の神である。皇子(日本武尊)の船を守るためにやってきた。直ぐに順風にしよう。」と言うと、その通りになった。水戸藩第2代藩主・徳川光圀も、北地探検のときに目印にして難を逃れたといい、唐(外国)に行っても帰ってこれるということから「唐帰山」と呼ばれるようになった、という。現在の主祭神は天日方奇日方命(アマノヒガタクシヒガタ。三輪氏・賀茂氏の祖とされる。)で、「六所明神」ともいうように大己貴命・積羽八重事代主命・三輪神少彦名命・媛蹈鞴五十鈴姫命・五十鈴依姫命の5柱を配祀する。祭神からすると国土開発・国家鎮護などのために祀られたと思われるが、上記の伝承からしても海上守護の御神徳が特に高いとして、古来、武将や漁民の崇敬が厚かったという。なお、現在も5年ごとに行われる大祭「常陸大津の御船祭」は国重要無形民俗文化財に指定されている。


佐波波地祇神社のHP

茨城県神社庁のHPから(佐波波地祇神社)


写真1:「佐波波地祇神社」参道入口。社号標。


写真2:参道石段と鳥居


写真3:社殿正面


写真4:拝殿


写真5:本殿。脇に多くの錨が置かれている。


写真6:手水舎。享保以前からあるという井戸で、地下30mから汲み上げる御神水。


写真7:亀塚


写真8:駐車場からの境内入口にある鳥居
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