神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

天竺山 尊蓮院 龍尾寺

2012-07-14 23:51:29 | 寺院
天竺山 尊蓮院 龍尾寺(てんじくさん そんれんいん りゅうびじ)。
場所:千葉県匝瑳市大寺1856。JR総武本線「八日市場」駅付近から、県道116号(横芝山武線)を北上、約6km。駐車場あり。
寺伝によれば、開創は斉明天皇7年(661年)。旱魃の折に釈命上人が降雨の修法を行い、これに応じて雨を降らせた小龍が龍王の怒りを買い、身を3つに引き裂かれて、頭、胴(腹)、尾がそれぞれ落ちたところの寺を「龍角寺」、「龍腹寺」、「龍尾寺」と名づけたという伝承があるが、当寺では和銅2年(709年)のことであるとする。また、大同2年(807年)には弘法大師(空海)が来山し、現在も手洗水として使われている井戸を掘った。この井戸の水は、洗眼すると眼病にも効能があるという。こうしたことから、七堂伽藍を備えた大寺となったが、南北朝時代の建徳元年・応安3年(1730年)に火災に遭って堂塔ことごとく消失したとされる。なお、境内に残る板碑には応安6年(1373年)の銘があり、寺伝が正しいとすると、焼失後も(元のままとは言えないまでも)比較的早く再建されたのではないかと思われる。現在は真言宗智山派に属し、本尊は釈迦如来。
「龍」の字をつけた寺院の伝説を共有する3つの寺院のうち、「龍角寺」と「龍腹寺」は天台宗、当寺は真言宗と異なっている。長い間にはいろいろ事情もあろうから、このことはあまり大したことではないと思う。しかし、「龍角寺」と「龍腹寺」は印旛沼を挟んで直線距離で約8kmの距離だが、「龍腹寺」と当寺とは30km以上も離れているということは注目されてよいと思う。
「龍角寺」が発掘の結果、7世紀後半頃まで遡る古代寺院であったことが判明したが、実は当寺も「(八日市場)大寺廃寺」といわれる8世紀初め頃の古代寺院の後身ではないかと考えられている。そもそも「大寺」というのは古代の官寺の一般名詞であるとされる。こうした古代寺院同士のネットワークが古くから存在したのではないかとも思われる。なお、当寺の南、約4kmのところに式内社「老尾神社」(2012年5月12日記事)があることも偶然ではないと思う。因みに、更にその南、約9kmで九十九里浜に出るが、そこは横芝光町尾垂(おだれ)という場所である。現在は合併により山武郡になったが、旧・匝瑳郡光町(即ち旧・下総国に属する。)尾垂であって、かの雨を降らせた龍が天に昇るとき、尾が垂れた場所であることから、その地名となったという。


「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(龍尾寺)

匝瑳市のHPから(大寺の龍尾寺)


写真1:「龍尾寺」入口。「関東三龍之寺」という表示も見える。


写真2:朱塗りの山門


写真3:手洗水は「弘法大師手鑿の井戸」から引いているという。


写真4:本堂。灯篭にも龍が巻きついている。


写真5:境内にある板碑。阿弥陀如来の種字、梵字で「キリーク」と刻されている。匝瑳市指定有形文化財。


写真6:本堂の西側にある朱塗りの小祠。弁天祠かと思われる。これも水に関わるものだろう。
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