神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

七高山奥院(秋田県羽後町)

2014-11-15 23:17:54 | 磐座
七高山奥院(しちこうさんおくのいん)。
場所:秋田県雄勝郡羽後町払体字白藤11-3。国道398号線沿い「羽後新町郵便局」前から西へ約2.7km、案内表示が何も無いのでわかりにくいが、「羽後町消防団 第五分団ポンプ置場」付近で右折(北へ)、狭い道路を登っていく。こちらは「七高山神社」の裏参道で、道路は狭いが、きれいに舗装されていて(何と、Googleのストリートビューがある。)、舗装道路が終わったところに駐車場がある。「七高山奥院」までは駐車場から未舗装道路を徒歩数分、「七高山神社」(「七高山」山頂)までは登山道を徒歩約15分。
「七高山神社」は、秋田県雄勝郡羽後町新町にある「七高山」(標高304m)山頂に鎮座し、社伝によれば天平勝宝年中(749~757年)の創建という。「七高山」というのは、前項で記したように享和元年(1801年)の噴火により「新山」ができるまでの「鳥海山」最高峰と同名である。そもそも「七高山」とは、近畿地方にある7つの霊山のことで、比叡山・ 比良山・伊吹山・愛宕山・神峰山・金峰山・葛城山(高野山が入ることもある。)をいう。要するに、ここも中世の山岳修験の影響下にあったことが窺われる。
「七高山奥院」は、「七高山神社」の裏参道途中にある巨石の連なりで、修験道の祖・役行者の石像が祀られた小堂などもある。江戸時代の経世家(経済学者)は現・羽後町の出身で、幼少の頃に山麓の曹洞宗「瀧澤山 龍泉寺」に預けられたが、密かに抜け出して「七高山奥院」で読書をしていたとされる。探しに来た母親と一晩過ごしたとき、母親の夢枕に神が現れて、信淵を早く都に出して修業させるよう告げたという伝説が残っている。ただし、現在では、この「七高山奥院」以外には修験道の痕跡は残っていない。「七高山」東麓の「瀧澤山 龍泉寺」は、廃寺となった真言宗「清岩寺」の後身といわれることもあるが、「龍泉寺」は戦国時代に当地・高寺城主となった小野寺氏が信奉した曹洞宗の寺院として創建されたものであり、神仏混淆していた「七高山神社」と「清岩寺」は山上にあって、明治期の神仏分離で神社だけが残ったのではないか、とも言われている(「七高山神社」の周辺には不動明王堂跡などの伽藍跡があるという。)。


羽後町のHPから(七高山奥院)

秋田県神社庁のHPから(七高山神社)


写真1:「七高山奥院」入口にある小堂。石造の役行者像などが祀られている。「奥院」は、ここから少し下に下りる。見てのとおり、非常によく整備されており、「七高山神社」までの登山道も歩きやすい。「七高山」の標高は304mだが、駐車場で210mほど。


写真2:洞窟というほど深くはないが・・・人が隠れるには十分。羽後町の伝説では「石の祠」と書いているが、ここで江戸時代の学者・佐藤信淵が幼少のとき読書をしたという伝説がある。


写真3:巨石に「ヴァン(種字) 行者大菩薩 奥院」という文字が刻されている。


写真4:山頂の「七高山」の石碑


写真5:同上、「七高山神社」社殿。祭神は稲倉魂神ほか。


写真6:表参道側の「七高山神社入口」石碑。この先に石鳥居があり、そこから神社までは登山道を約30分登る。写真右手奥に見える赤い屋根が「龍泉寺」(本尊:聖観音菩薩)。
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旗掛石

2011-04-15 23:06:00 | 磐座
旗掛石(はたかけいし)。
場所:静岡県焼津市石脇下705(「(石脇)浅間神社」の住所)。東益津小学校の北東、約400m。石脇公民館の北側にある。駐車場なし。
石脇の「浅間神社」の鳥居脇に、注連縄が張られた巨岩が2つ並んでいる。これが「旗掛石」(または「鞍掛石」)で、徳川家康公がこの石に旗を立てかけ(鞍を置き)、傍らの松の木に馬を繋いだという。その名から、機織りの上達を祈願する信仰も生まれたという(近くの「勢岩寺」には機織地蔵が祀られている。)。また、そもそも「石脇」という地名も、この岩に因むという。
石脇「浅間神社」の社伝によれば、天正年間(1573~1592年)、当地がまだ武田領であったころ、「旗掛石」の近くに居館を構えていた原川新三郎は家康公に忠節を尽くしたことから、家康公が原川家を訪れた。「旗掛石」の故事は、そのときのものである。原川新三郎は元々、遠州・原川村(現・掛川市)の出身で、当神社は延徳3年(1491年)に出身地の「浅間神社」から原川家の屋敷神として勧請されたものという。
江戸時代の絵図によれば、「旗掛石」はもっと高い岩として描かれている。現在はかなり地中に埋まってしまっているのかもしれない。当地は、高草山の登山口の1つであり(案内板がある。)、高草山を見上げる位置にあることから、古代からの磐座だったとされている。そして、諸資料でも言及されていないが、当「浅間神社」の社殿の背後にも大きな石が露出している。社殿の向きも南向きではなく、南西を向いているのは、この石を祀りたかったからではないだろうか。
それはともかく、神体山としての高草山に対する信仰、及び古代東海道の守り神としての聖地であったところに、「浅間神社」が勧請された、ということになるのだろう。


「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHPから(浅間神社)


写真1:旗掛石


写真2:「(石脇)浅間神社」鳥居。祭神:木花咲耶姫命。


写真3:社殿の背後にも大きな石が露出している。
コメント (1)
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山の神(藤枝市岡部町三輪)

2011-03-11 22:10:31 | 磐座
山の神(やまのかみ)。
場所:藤枝市岡部町三輪。県道213号線(焼津岡部線、通称:高草街道)から、三輪川を渡る交差点のところ(三輪公民館がある。)を、三輪川を遡るように高草山に向かって東に進む。高草山の中腹、農道脇に注連縄と案内板がある(写真1)。駐車場なし。
高草山には、藤枝市岡部町三輪だけでなく、焼津市関方、方ノ上、策牛などにも「山の神」は祀られているようだが、三輪の「山の神」は、明らかに式内社「神神社」(藤枝市岡部町三輪)の磐座といえるもの。ここは「神神社」の飛地社有地であり、どうやら「神神社」の三輪鳥居が向いている方向にあるらしい。
毎年2月8日に「山の神祭り」が行われるが、まず紅白の御幣を立て、供え物を捧げ、神主が豊作を祈る祝詞をあげる。その後、竹に藤の弦を張った大弓に矢をつがえ、その年の山の安全や豊作を祈って射る。山の神は、この時に放たれた矢に乗って里に降り、田の神となるという。
小生が以前住んでいた吉備国では磐座だらけだったが、駿河国に来たら、「いかにも」というような磐座には出会っていない(遠江国には「天白磐座遺跡」(浜松市)や「粟ヶ岳山上の磐座」(掛川市)などがあるのに。)。三輪の「山の神」も、岩には形などに格別特徴はないように思えるし、巨岩を祀っているというよりは、ガレ場を三輪川の水源地として祀っているようにも思われる。関方の「山の神」には「ジャタイ」(藁で作った大蛇=竜神)を供えるというので、これも「山の神」は水神であることの証左となる。「神神社」の祭神である大物主命は蛇神=雷神であり、水神であるが、「神神社」を勧請したから「山の神」(磐座)を祀るようになったのか、水神を求めて「神神社」を勧請することになったのか、そこは興味のあるところである。


MURYさんの「岩石祭祀学提唱地」HPから(高草山)


写真1:「山の神」(藤枝市岡部町三輪)の入口。農道沿いに注連縄と説明板がある。


写真2:注連縄の下辺りが祭祀場所、奥に大きな岩が露出しているのが磐座と思われる。


写真3:せり出した岩。高草山の岩は、大崩海岸の岩と同じ玄武岩で、崩れやすい。
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