備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム210.玉比神社(小豆島町)再び

2009-09-25 16:27:25 | Weblog
玉姫宮(たまひめぐう)。
場所:香川県小豆郡小豆島町福田。「葺田八幡神社」の南、約500m。「葺田八幡神社」の門前からまっすぐ南に歩き、伊豆川と森庄川という2つの二級河川を越え、森庄川橋を渡ったところで右折(西へ)、すぐ。駐車場なし。
前回小豆島を訪れた際には、全く準備不足で、備前国内神名帳に載る古社「小豆嶋玉比神社」を見つけられずに帰った。今回は日帰りで、この神社参拝のためだけにフェリーとバスを乗り継いで小豆島を再訪した。
さて、当神社は、小さな神社だが、比較的新しい石鳥居があり、「玉姫宮」の扁額がかかっている。(写真上)。石の手洗いも味わいがある。古くからの住宅地の中にあり、北側の道路は比較的広いが、それ以外は住宅が立て込んでいて、道も狭い。
境内にある「玉比賣宮旧蹟」石碑(写真中)の裏の碑文には、次のように記されている。「玉比売大御神は往古、備前の国に三社鎮座せられし処、同国の洪水の際、一社流失し、当地海岸(今此所を外明神)に漂着し玉う時に、浦人知らざる事とて押し流せり。然るに又再び海浜に(今此所を内明神と云う)漂着し玉う。是に於て、村人牛右衛門、午右衛門なる者、御霊代を負い奉り来りて本地に小祠を建て、斎き奉れりと古老の伝言。年号不詳(明治二年、金烏城池田侯、使をして、玉比売大神の御神体改めの際申さると古老の伝言に節合す。)。其の後、天正元年に至り、本殿拝殿を再建し、爾来岡山侯、禄をして奉斎す。明治維新に至りて郷社八幡神社境外末社に列し、更に明治四十一年、郷社八幡神社へ合併、奉斎す。大正五年辰之十一月建立」(原文は旧字、カタカナ。句点・読点は適宜補った。)
この碑文を読んで、いくつか疑問点が生まれる。まず、そもそも、なぜ、当神社が備前国内神名帳に載る旧小豆(嶋)郡「玉比(呼)神社」であるとされるのか。碑文を見ると、小豆島は備前国には属さないという前提で書かれているように思われる。もともと備前国には玉比売神社が3社あった、ということも、どうか(注)。1つは「玉比神社」(玉野市)だろうが、岡山県神社庁加盟の神社には「タマヒメ」という名の神社は他にない。トヨタマヒメやタマヨリヒメを祀る神社は、もちろん、もっと多数あるから、逆に選択に困る。国内神名帳では、当神社、「玉比神社」(玉野市)のほかに「賀嶋玉比神社」があるが、これは小豆島にある。
想像(妄想)するなら、もともと現・玉野市など備前国児島を本拠とする海人族が小豆島にタマヒメ信仰を広げた。時代が下ると、八幡信仰が圧倒的になり、八幡神社の支配下に置かれた、ということになるのだろう。
なお、碑文に出てくる「外明神」(とちめんじ)という地名は、今もバス停の名に残っている。ただし、福田港から約2km南で、何もないところである。また、「内明神」(うちめんじ)という場所は、今は、どこなのかわからないようである。

(注)原文は漢字とカタカナなので、漢数字の「二」とカタカナの「ニ」の見分けがつきにくい。ひょっとしたら、「備前国に3社鎮座」ではなくて、「備前国23社鎮座」かもしれない。


写真上:「玉姫宮」正面


写真中:境内の「玉比賣宮旧蹟」の石碑


写真下:境内の北側から南西方向(山側)を見る。道路の横は二級河川「森庄川」