備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム204.一宮(その14・因幡国・宇倍神社)

2009-09-09 20:28:22 | Weblog
宇倍神社(うべじんじゃ)。
場所:鳥取県鳥取市国府町宮下651。JR「鳥取」駅の東南約4km。鳥取県道31号線(鳥取国府岩美線)を進むと、「鳥取藩主池田家墓所」の案内板の先に当神社の案内板があり、「稲葉山」山麓側に少し入る。鳥居の右手から上っていくやや狭い道路があり、立派な社務所の前に駐車場がある。
因幡国唯一の式内社・名神大(社)。当神社の祭神は武内宿禰(たけうちのすくね)で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代の天皇に仕え、約240年の間、大臣として国政を補佐したという伝説的な人物。年齢も280~360歳余とされるので、常識的には、1人ではなかった(何代か襲名したか、集団の事績を1人のものとしたか)とか、あるいは、各天皇の治世が実際より引き延ばされているとか、いわれる。1人でこれだけの長寿であれば、まさに仙人であり、社伝によれば「稲葉山」から履(くつ)だけを残して昇天した、という。それが当神社の社殿の背後にある「双履石」(写真中)であり、このことが当神社創建の由来であるとされる。「双履石」は武内宿禰の履が石に変じたものとされるが、実際には古墳の上部の石が見えているものらしい。ただし、武内宿禰の墳墓は奈良県御所市にあるとされているので、この古墳の主は地方豪族の首長のものだろう。
当神社の社家は明治初年まで伊福部氏で、その系図は大己貴神(大国主命)まで遡るという古い家柄である(「ゴジラ」の音楽で有名な大作曲家伊福部昭は、その67代目であるという。)。当神社の近くに「伊福吉部徳足比売の墓跡」という国史跡があるが、和銅元年(708年)に亡くなった伊福(吉)部氏の娘、徳足比売(とこたりひめ)の墓跡で、略歴・没年が墓誌銘に記されていた。また、当神社の数百mの範囲内に国府跡や国分寺跡があり、こうしたことから、伊福部氏が古代から当地を支配した豪族であったことが窺われる。
武内宿禰は瀬戸内海地域でもいろいろな伝説が伝えられており、伊福部氏も式内社「尾針神社」・「尾治針名真若比神社」(ともに岡山市北区)と縁が深い。


宇倍神社のHP:http://www.ubejinja.or.jp/

玄松子さんのHPから(宇倍神社):http://www.genbu.net/data/inaba/ube_title.htm

家紋WorldさんのHPから(社家の姓氏-伊福部氏-):http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/south/s_ube.html


写真上:「宇倍神社」鳥居。扁額は「因幡一宮宇倍神社」


写真中:亀金岡・武内宿禰命終焉之地の石碑


写真下:双履石