座はシンと静まり返った。と、ドン!と床を踏み鳴らす音がした。「未だです。」重々しく義姉は発言した。
「ところで、あんたのお母さんは?、」
年嵩の甥に対して、伯母である彼女が向けたこの声はやや感情的だった。如何にも咎める調子を含んでいた。これは義妹に対しての言葉だったが、本来は甥に対する叱責の言葉なのだろう。子の責任者に矛先が向けられただけの事だった。そうしつつ彼女は、透かさず話題を変えたのだった。抑揚を抑えた低めの声、そんな伯母である彼女の声だけが1人廊下に響いている。
「あんたのお母さんも、この場にも来ないで何しているの。」
落ち着いた静かな口調が続くのだが、これは彼女が冷静なのではなく、自身の溜飲を下げる為興奮を抑えているからだった。如何にも声音を押し殺した語調だった。
「ああ、でも、それはですね伯母様、…」
甥はそんな伯母の気持ちを知ってか知らずか、彼女に恙無く返答をし始めた。さっきも言った通りと、彼は至極丁寧に、如何にも世馴れた風情で伯母に自分の母の仔細を語り始めた。
自分達の母は年下の従兄弟の母に当たる叔母の、鯔のつまり、智ちゃんの母の、今現在酷く取り乱したその叔母の相手をしていて手が離せない。直に、電話した彼等の父も、彼等の家に帰るだろうから、そうしたら自分達の母は、父と叔母の相手を替わってここに来る事でしょう。と、彼は懇切丁寧に目の前の伯母に説明した。
「何しろ泣くは叫ぶは、それは言葉では言い尽くせない様な取り乱し様で、可哀想な歳下の叔母様の…」
もう、と、何でもいいからと、「早くあんたのお母さんを呼んで来なさい。」。彼の話を遮る様に、彼の伯母は神妙に彼の話に口を挟んだ。
この時、傍にいた彼の叔父も祖母も、彼等の甥である彼の流暢な口上に聞き惚れていた。彼等は共に目を細め、口元等緩めて彼を静観していたが、この彼の伯母の言葉に、彼等もはっと我に返った。甥の方は勿論、でも、と、言葉を続けて伯母に反論し掛けた。と、急に伯母の景色が変わった。彼女はグンとばかりに甥の目の前に自分の身を乗り出した。そうして彼女は彼の鼻先に覆い被さるように聳り立つと、凛として叫んだ。
「早くお母さんを呼んで来なさい!」
これははっきりとした彼女の金切声にあたった。しかも酷く大きな声音であった。彼の伯母の怒声は廊下から台所、居間へと広く家中を通って走った。
甥はこの声に弾かれた様に、廊下の床を彼の両足裏で蹴って飛び立った。彼は驚いて見開いた彼のどんぐり眼の儘、目前を遮る様に立つ廊下の伯母を避けて通ると、縁側にいる叔父の側を飛び抜けて座敷に入った。そこをピュッーとばかりに駆け抜けた彼は、早くもこの家の階段の在る部屋に出た。
階段の横を駆け抜ける時、思わず彼は階段と反対の方向、自分の脇から広く開けている空間へと首を傾けた。そこにはこの家の居間が在る。居間の景色が彼の目に映ると、そこにぽつんと立つ、彼の歳下の従兄弟が彼の目に入った。と、彼ははっしとばかりにその小さい子と目が合った。
『げっ、智ちゃん!』彼の背筋には悪寒が走った。お化け!と一瞬彼は思ったが、そうだ智ちゃんは未だ生きているんだった、と思い返した。そうして彼はその幼い子に目を止めながら、この家に来てから彼の見聞した事柄を瞬時思い返していた。