『トイレだな。』
祖父の言葉に、しょ気た私は空かさず思った。ここは早く切り上げて彼の傍から去った方が良策という物だ。そんな私の考えを知ってか知らずか、祖父は彼の口上を続けて来る。
「現代っ子だったな。」
今の子供達はそういうのだそうだね。もう古い人間になった私でさえ、ちゃんと今の言葉を知っているんだ。覚えたんだよ。こんな年の私でもね。適材適所、きちんとした言葉を覚えなさい。勉強だよ。知らなければ学ぶんだ。…。
そんな事では表を歩けないよ。この界隈は出来物だらけだ。今のお前のようでは見劣りする。このままでは将来、往来を歩けなくなるよ。裏道ばかり歩くような大人になったらどうするんだい。云々。
私は唖然として祖父の意味不明の話を受けていたが、話がほぼ分からなかっただけに、何時もなら間も悪くなかなか場を切り上げられない所、早々とこの場を逃げ去ろうと決意すると、話の折をみる事無く祖父の息継ぎの時を捉えていった。
「おじいちゃん、トイレ。」
トイレに行きたいから、そう言うと、
「もう智ちゃん行くね。」
そう言って、祖父に別れを告げた。
私は居間を横切る時、父の父か、そう祖父の事を考えた。『成る程、父の父な訳だ。』父がああ育ったのも道理だと、私の胸の内に納得できる物が有った。日頃私の父が私に対してやたらと説教めいて煩い事や、小言然としてあれこれ長々説明するという、親として教育然とした態度で接して来る理由が理解出来た気がした。私は内心むしゃくしゃとした気分に襲われるとしかめっ面して今来た私の後方を肩越しに振り返った。祖父は未だに階段で彼の背を向こうの手摺にもたせ掛けていた。やはり片手を上に上げて手摺を掴んでいる様子だ。顔はと言うと私を見送り細やかに微笑んでいた。
兎に角、トイレへ急ぐのだ。私にとっては場を去ることも有ったが、やはり事は急を要していた。私は走る事が出来ず、内またでよちよちと廊下を進み台所への降り口に立つと、そうっと腰を下ろし台所の床に足を着けた。急いては事を仕損じる。そんな雰囲気だった。