東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

あの日・・・

2016-03-11 | 日記
     あの日のことは生涯忘れることは出来ないでしょう。
     突然突き上げられるような揺れ、一瞬何が起きたのか分からなかった、
     そして一瞬マンション倒れるかも、、、が、頭をよぎる。

     揺れが収まってからテレビで見た映像はこの世のものではなかった、
     家が、車が、田んぼが、畑が黒い濁流に飲み込まれていく。
     さらにその後の原発事故、
     目に見えない恐怖、発電所が電源が落ちて破壊されるなんて。


     一夜明けて世の中は一変した。

     電車はアテにならない、自転車で出勤したが目にしたものは、、、。

     荒川を渡った頃から人が多い、普段なら見られないほど人が歩いている。
     日光街道まで来たら我が目を疑った、人・人・人の群れ、
     ”帰宅困難者”が疲れ切った足を引きずりながら歩道を埋め尽くしていた。
     都心から歩いて帰宅するのだろう、途切れることなく果てることなく続く。

  

     職場に異常はなく帰宅の途についたがその途中で円通寺の観音様に出合った、
     「無念にも生を断たれた方々の霊に安らぎを」
     「行方の分からない人たちを一人でも多く見つけて」
     「全ての人たちの心に平安を・・・」。
     祈りながら、何でこんなことに。


     帰宅後スーパーに行ったら電気の節約で薄暗くなった店内、
     その中で陳列棚は見事なまでに空っぽになっていた。
     食料品はまだ分かる、停電が心配されていたから乾電池も分かる、
     ビール・清酒が一本も残っていなかった、これは分からない。
     この未曽有の災害時に何で酒が売り切れるのか、私には分からない。


     東北の復旧はまだ途半ば、原発に至っては展望さえない。
     気の遠くなるような時間が必要だろう。

     3日間生き延びるだけのものを準備しよう、メディアは呼びかける。
     既に記憶は薄れかけている、
     ここでもう一度あの日を思い出して意識を新たにしなくては。

   
         
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4 コメント

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Unknown (くぅ)
2016-03-11 20:09:34
そうでしたか。
わたしはただただ驚いてテレビに見入っていましたが・・・

今年から山の日が施行されるけれど、
3月11日はもっと記憶に残る日として語り継いでいって欲しい日のような気がします。。。

なかなか進まない復興。
防災対策も。
なんかいい方法はないのかしらね。
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くぅさん (jugemu)
2016-03-11 21:23:58
ああいう体験はもう嫌だと言いたいけど
もっと酷い、何倍かの災害が来るのでしょうね。
それもいきなり、有無を言わせず。

今日は一日報道と付き合ったけど
改めてシビアアクシデント、過酷な災害と思いました。
1000年に一度と言うからには1000年は語り継がなくては、、、
世代を超え場所を超え全国民が常に頭に置いておきたいです。

国民の生活を守るのが政府の仕事、、、
とは言っても何から何まで政府・政府・政府ではねえ、
総論賛成各論反対では進ものも進まない。

ここはあの有名なケネディの演説を思い起こすべきです。
「国家が国民に何をしてくれるか欲するだけではなく、
国民が国家に対して何ができるか考えて実行することのほうが重要です」。

ちょっと偉そうだったかな。
返信する
Unknown (くぅ)
2016-03-12 20:32:50
なるほど・・・
ケネディさんのおっしゃるとおりですね。
こころしなくては。
返信する
くぅさん (jugemu)
2016-03-12 22:05:29
「保育園落ちた、ニッポン死ね!」・・・

それでは保育園を作りましょう
近くにはヤだよ五月蠅いから

ゴミ焼却場を作りましょう
近くにはヤだよ、臭うし交通量が多くなる

福島産の米は、野菜は、魚は、果物は
安全らしいけど自分はヤだ

道路は、火葬場は、介護施設は、汚染物質の貯蔵施設は
必要だけどウチの近くはヤだ!

ニッポン死ね !!
私は先に死にます、こんなニッポン見たくない。<`ヘ´>
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