国土安穏寺(こくどあんのんじ)、山号は天下長久山。
応永17年(1410年)日通が開山、長久山妙覚寺と称した。
後に徳川秀忠、家光父子が巡遊し御善所となる、
その後徳川家祈願所位牌安置所となり現寺号を賜り葵紋の使用も許された。
まず驚くのはこの仁王様、
世に仁王様は数々あれどこんな立派なのは見たことない。
名のある人が作ったと思うけど情報は全くない。
惜しむらくは世の常である金網に囲まれ思うように撮れないところ、
どう頑張っても金網が写り込んでしまう。
唯一この位置この角度だけが何とか金網から逃れられる。
この阿形の仁王様もこの位置この角度でしか撮れない、
今にも降りだしそうな日にも行ってみたけどやっぱり金網は写ってしまう。
仁王様の間の通路の天井絵、これも立派なものだ。
五本指の龍の絵は古代中国の皇帝しか使えなかったという。
仁王様が頑張っている山門、
扉には燦然と輝く三つ葉葵の紋が飾られている。
そんなに大きくない本堂だけど重厚な建物となっている。
屋根の上にはここにも三つ葉葵の紋章が並んでいる。
本堂近くには2本足の琴柱(ことじ)灯籠が。
形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に似ているため、
その名が付いたと言われています。
金沢の兼六園にあるそれが有名ですね。
家光公お手植えの松。
何代目かになるのでしょうけどね、大きく育っています。
旧日光街道から少し入ったところ、
将軍家日光墓参の折り休憩所として使われたらしい。
その折使用された什器などが保存されていると聞きました
歴史を伝える鄙びた寺というようなところです。
data:EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 3月 3日 足立区・国土安穏寺
みゃくみゃくと徳川家の歴史が伝え継がれてますね。
今の時代のものは、進化し消えていくものの方が多いのでしょう~
それはある意味良いことでもあり、
歴史を生み出したモノにとってはちょっぴりかなしいのかな?
昭和のもの、平成のもの、零和のもの・・・
何が残っていくんでしょうね。
記事番ややなく=8879( ̄m ̄*)
一発でひれ伏さなければならない。
今の時代はいいですね、ブログネタにしちゃう!。
某テレビは徳川一色になっていて
何の番組にも重ねてくるけど畏れ多いぞよ、
まあ、見てないからいいけどね。
そもそも江戸が徳川と切り離せないから
どこにでも徳川の息吹が色濃く残っている、
それを思うと徳川とは偉大な存在だったのですね。
そう、これから先は何が残っていくのか
何百年も残るものがあるのかな。
8879=暖かくなってきたのだからあまりなかないで。(^_-)-☆