東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

今戸橋から吉原まで、山谷掘の橋めぐり

2015-06-13 | 散歩
 「冷やかし」、、、買う気もないのに見て歩くだけのこと、
 この言葉の発祥の地がこの山谷掘あたりです。
 吉原へと通う道と共に庶民の生活の場となっていた
 山谷掘を歩いてみました。


 

     まずアウトライン。
     一番上流の日本堤橋を除いて8つの橋が残っているけど今日は7つだけ、
     下流の今戸橋から歩いて行きます。




             

             今戸橋。
             この前に行ったニャンコで一杯の今戸神社のすぐ近く、隅田川から最初の橋です。
             日本橋辺りから吉原へ行くには船の方が早かった、ここから山谷掘をさかのぼる。




 

     聖天橋。待乳山聖天様に近いのでこの名がついたのでしょう、
     聖天様は山谷掘を挟んで今戸神社の反対側です。




 

     吉野橋。吉野通リが通っていて泪橋への通りと交わる。
     中央は埋め立てられ遊歩道となった山谷掘公園、すべての橋は今では橋台だけが残る。




 

     正法寺橋。近くにあった正法寺からの名前。
     江戸時代のリサイクルは今に劣るものではなくそれ以上だった、
     紙はその最たるもので江戸中から古紙を買い集めこの辺りで再生紙に加工
     「浅草紙」と呼ばれる落とし紙(トイレットペーパー)などに姿を変えた。




             

             山谷掘橋。今の時期アジサイが美しい。
             浅草紙はまず集めてきた古紙・古布などを水で冷やかし(ふやかし)、
             充分ふやけたら叩いて繊維を取り出し天日で干したあと裁断する。




 

     紙洗橋。向こうの提灯はお祭り真っ最中。
     古紙はこの山谷掘のきれいな水で洗われ、冷やかされた(ふやかされていた)。
     充分にふやけるまでヒマ、ちょっと吉原でも覗いてみようか、、、。
     買う気もないのに見て歩く・・・冷やかしはここから始まったのです。




 

     地方橋(ぢかたはし)。山谷掘公園はこの橋で終わりです、
     左方へ行った交差点にもこの名前が。その交差点を右に曲がって
     ちょっと歩くと吉原、冷やかしに行くのはちょうどいい距離ですね。




 

     吉原大門・見返り柳。
     この辺りで山谷掘から土手に上がったのでしょうね、
     当時の山谷掘をさらにさかのぼると三ノ輪・根岸・王子へと続きます。
     三ノ輪には浄閑寺、遊女たちはここから舟で運ばれ投げ込まれたのでしょう。
     江戸の裏表を見てきた山谷掘を巡る散歩でした。


                                                              6月7日
          


          ジメジメ・ムシムシ・アチチの梅雨らしいお天気の中、向島を歩いてきました。
          人ひとりがやっとという入り組んだ狭い道を行くため自転車は置いて電車で移動したけど
          10分待って10分乗り、10分待って5分乗りでアタマには非常に悪い行程。
          「やっぱ自転車が一番」を改めて感じたお散歩でした。

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2 コメント

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Unknown (くぅ)
2015-06-14 17:29:02
アタマに悪い行程?(笑)
お疲れ様でした。

@古紙を買い集め再生紙に加工
@【冷やかし】の成り立ち。
@遊女・・・浄閑寺

色々お勉強になりました。
ありがとう。

吉原・・悲喜こもごもがあったのでしょうね。
女性が覗いて楽しいところではないのでしょうけれど、
どんな女性がいたのか、覗いてみたいわ。

意外に閑散としているんですね。
そんな時間だったの?
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くぅさん (jugemu)
2015-06-14 21:58:32
吉原は哀しいことだけじゃなく楽しいこともあったようですよ、
旧7月には「玉菊燈籠」、玉菊という花魁を偲んでお祭りがあって
まあ、お盆頃には客足も減るので客寄せですね。
吉原中に切子燈籠が飾られ見物には女子供もぎっしり
日のあるうちから大門をくぐって大賑わいだったようです。

今の吉原はかつての面影はなく場末の様相を呈してます、
夜はともかく昼間は人影もまばらという状態で
あれから200年、吉原は私ら年寄の頭の中のみで
かろうじて忘れられないでいる過去でしかないのでしょう。
東十条探偵団、次は「旧赤線地帯」に挑みます、
が、過度な期待はしないでください。 (*^^)v
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