文献に本木の名前が出てくるのは江戸時代になってから。
古くは荒川沿いに屠場があり皮革業者が多かったが
そのうちバタ屋、在日朝鮮人など都市細民が集まる巨大スラムに発展。
昭和恐慌から戦争中にかけて貧民や被災民が多数流入し
一夜にしてバタ屋千軒と呼ばれる状況が出現した。
1960年頃の「不良住宅調査」では「全国最大のスラム」と形容された。(wiki)
そして今は隣町に私が住んでいます、ネット民にバカにされながら。
どうです、いいところでしょ
冒頭で脅かしておいたからあれを読んだあと見たら大抵のものはよく見える。
自転車で10分かからないかな、農道がそのまま道路になっているので
曲がりくねった道が多くうかつに歩くと戻ってこれなくなっちゃう。
ここも舎人氷川神社と同じく奥に本殿があり「覆屋(おおいや)」造りとなっている、
ここにはちゃんと狛犬がいるけどその姿は新しい時代のもので
像自体もピッカピッカで日が当たっていると眩しく感じる。
眩しかったので拝殿の方から鳥居の方を向いて撮ってみた、
舎人氷川神社のそれと比べると全く違うタイプ、新しいスタイルだね。
そして拝殿の彫刻は舎人氷川神社と比べても勝るとも劣らない素晴らしいもの、
いつ頃作られたのかは定かではないが当時これだけの技術があったのだろう。
ここにも小さな境内社がたくさんあったがここのは覆屋の内側にずらりと並んでいた、
これはその中の一つお稲荷さん。
覆屋の柵の中にカメラを差し入れバリアングルファインダーで撮ってみた。
本殿の木組みと彫刻、境内社がチラと。
長い年月に耐えてきた美しさがある。
いつの時代のものだろうか、獅子の前髪は大きく目を覆っている、
傍らはゾウだろうか、ゾウを庶民が見るようになったのはいつの頃からだろう。
河童の川流れならぬ亀の川流れ?
これこれ罰が当たりますぞ。
氷川神社だけあって水をモチーフにした彫刻が多い、
川の岸辺に遊ぶ水鳥たち、よく見るとお互い見つめあっている。
左、拝殿から続く右の本殿への階段、下には一対の狛犬が置かれていた。
今までそうたくさんの神社を見たわけではないがこんなの初めて見た。
左、拝殿。渡り廊下があって右の屋根、覆屋の中に本殿があります。
周りは柵に囲まれ境内社が本殿をぐるっと取巻いている、
足立区にしては、本木にしてはとても立派な神社だねちょっと信じられない。
拝殿の扉には「おまいりのしかた」How toが、
私もこれを見ながら手を合わせてきましたが
神社によっていろいろあるのでちょっと困ったりしますね。
ちょっと前、百花園から帰ろうと駐輪場で自転車に近づいたら
どこかのご夫婦らしき二人連れの奥さんの方が私の自転車に荷物を置いて身支度をしている。
ちょっと待って終わったようなので近づいて行ったら目ざとく見つけて
「あらすみません、ちょっとお借りしてました」。
どちらから?と聞かれ「西新井からです」と大雑把に答えると、
「あら、お近くね。私は本木なんですよ」
「あれ、私は関原なんですよお隣さんですね」。
後日また見かけたのでよく来ているみたい、
本木も関原も昔は一緒だった、みんな本木。
確かにバタ屋の頃もあったけど今は違うすっかりきれいになった、
ネット民のみんなも来てみて住んでみたらいいと思うけどな。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4。 撮影 8月18日 本木氷川神社
物置を探してみたらこんな写真が出てきました、
私が東京へ出てきた頃の写真ですね。
西新井橋はまだ木造の橋、バタ屋さんが車を曳いて通っています
まあ足立区だけのことではなく東京も大体がこんな様子だったと思いますよ。
古くは荒川沿いに屠場があり皮革業者が多かったが
そのうちバタ屋、在日朝鮮人など都市細民が集まる巨大スラムに発展。
昭和恐慌から戦争中にかけて貧民や被災民が多数流入し
一夜にしてバタ屋千軒と呼ばれる状況が出現した。
1960年頃の「不良住宅調査」では「全国最大のスラム」と形容された。(wiki)
そして今は隣町に私が住んでいます、ネット民にバカにされながら。
どうです、いいところでしょ
冒頭で脅かしておいたからあれを読んだあと見たら大抵のものはよく見える。
自転車で10分かからないかな、農道がそのまま道路になっているので
曲がりくねった道が多くうかつに歩くと戻ってこれなくなっちゃう。
ここも舎人氷川神社と同じく奥に本殿があり「覆屋(おおいや)」造りとなっている、
ここにはちゃんと狛犬がいるけどその姿は新しい時代のもので
像自体もピッカピッカで日が当たっていると眩しく感じる。
眩しかったので拝殿の方から鳥居の方を向いて撮ってみた、
舎人氷川神社のそれと比べると全く違うタイプ、新しいスタイルだね。
そして拝殿の彫刻は舎人氷川神社と比べても勝るとも劣らない素晴らしいもの、
いつ頃作られたのかは定かではないが当時これだけの技術があったのだろう。
ここにも小さな境内社がたくさんあったがここのは覆屋の内側にずらりと並んでいた、
これはその中の一つお稲荷さん。
覆屋の柵の中にカメラを差し入れバリアングルファインダーで撮ってみた。
本殿の木組みと彫刻、境内社がチラと。
長い年月に耐えてきた美しさがある。
いつの時代のものだろうか、獅子の前髪は大きく目を覆っている、
傍らはゾウだろうか、ゾウを庶民が見るようになったのはいつの頃からだろう。
河童の川流れならぬ亀の川流れ?
これこれ罰が当たりますぞ。
氷川神社だけあって水をモチーフにした彫刻が多い、
川の岸辺に遊ぶ水鳥たち、よく見るとお互い見つめあっている。
左、拝殿から続く右の本殿への階段、下には一対の狛犬が置かれていた。
今までそうたくさんの神社を見たわけではないがこんなの初めて見た。
左、拝殿。渡り廊下があって右の屋根、覆屋の中に本殿があります。
周りは柵に囲まれ境内社が本殿をぐるっと取巻いている、
足立区にしては、本木にしてはとても立派な神社だねちょっと信じられない。
拝殿の扉には「おまいりのしかた」How toが、
私もこれを見ながら手を合わせてきましたが
神社によっていろいろあるのでちょっと困ったりしますね。
ちょっと前、百花園から帰ろうと駐輪場で自転車に近づいたら
どこかのご夫婦らしき二人連れの奥さんの方が私の自転車に荷物を置いて身支度をしている。
ちょっと待って終わったようなので近づいて行ったら目ざとく見つけて
「あらすみません、ちょっとお借りしてました」。
どちらから?と聞かれ「西新井からです」と大雑把に答えると、
「あら、お近くね。私は本木なんですよ」
「あれ、私は関原なんですよお隣さんですね」。
後日また見かけたのでよく来ているみたい、
本木も関原も昔は一緒だった、みんな本木。
確かにバタ屋の頃もあったけど今は違うすっかりきれいになった、
ネット民のみんなも来てみて住んでみたらいいと思うけどな。
data: EOS70D/EF17-40mm 1:4。 撮影 8月18日 本木氷川神社
物置を探してみたらこんな写真が出てきました、
私が東京へ出てきた頃の写真ですね。
西新井橋はまだ木造の橋、バタ屋さんが車を曳いて通っています
まあ足立区だけのことではなく東京も大体がこんな様子だったと思いますよ。
バカにするとかしないとかの「ネット民」?
わたしもネット民なのかも知れないけど、
そういうところには近づきたくないですね。
そうゆうのって楽しいんですかね?
写真の神社、トーキョーとは思えないほど静かな佇まいですね。
確かに、長い年月に耐えてきた美しさがありますね。
なるほど、象のようですね。
東京(江戸じゃなく)の歴史は、日本の歴史だね。
北海道はまたちょっと違う。
下層の人々、貧民とかの意でしょう。
ネット民は足立区というと喜んではやし立てています、
みんなでバカにすれば怖くない?
まあほとんどが昔のことを聞いただけではやし立てているのでしょう
自身の不満のはけ口かな。
行ってみて驚きました、こんな立派な神社があったなんて。
この辺り何があったわけじゃない田んぼがあっただけでしょうにね。
信仰心の為せる技でしょうか、
これは今の足立区民にも知っておいて欲しいと思いましたわ。
江戸以降は東京に集中した文化もそれ以前には
各地で綿々と受け継がれてきたのでしょうね、
時代を経て東京へ一極集中。
日本の片隅で今も受け継がれている文化は
みんなで守っていきたいですね。
ね・ね・ね・・・と言われても、、、
何かいい話でもあるのかな?。
このところ凹んでいるのでいい話でもお願いね。
ネット民のせい?
こう見えてもたまには凹みますわいな
明けても暮れてもバカ言ってるわけじゃない。
でもすぐ治ってまたバカになる、
物事を深く考えないでその場その場で生きている、
今泣いたカラスがもう笑うってヤツですね。
凹んでいるのはネット民のせいではありませんよ、
それより凹んでいるのを治してくれるのが
ネットの皆さん、よく見に行くブログの皆さん。
それぞれ自分の置かれた場所で元気に生きている、
毎朝お邪魔して変わりがないのを見て仕事に、
こうしていられるのもいい方のネット民のおかげ
感謝感謝で足を向けて寝られない。
東西南北にいらっしゃるのでどっちにも足を向けられず
立って寝るしかない・・・。
ま、こんなバカ言ってるので凹んでもいないかな。(^^♪
「立寝」おつかれさま。
わがワンルームは天国です。
座ったままなんでも出来ちゃう、
横着者にはいい環境ですよ。
広い部屋にいたら
隅っこの方で何かチマチマやってるでしょうね。
狭いところにいると何か欲しくても
置くところが無いからと買えない、
これ以上の断捨離も無理っぽい。
やっぱり立って寝るくらいが最高のようで・・・。(*^^)v