前に入院し今も経過観察に通っている病院、
その病院のすぐ向こうに富士塚があった。
あれあれこんなところにもあったのか、
これは行かずばなるまいて…。
保木間(ほきま)氷川神社。
創建は明らかではないようですが中世のこの辺りは、
関東の豪族千葉氏の陣屋跡と伝えられており、
神社前には古道が残っていました。
日光街道から分かれたこの道は「流山道」、
花畑(はなはた)を経て流山に向かいます。
保木間の旧家の多くはこの道に沿って
建っていて歴史のある道です。
二の鳥居。
境内に入って見ると、あれどっかで見たような?
いつか来たような感じでしばし混乱してしまいました。
同じような規模の神社なので似てくるのかな。
隣は区立の淵江小学校。
この小学校の卒業生二人とたまたまここで出合い古い話を持ち出して、、、
私と同じくらいの年配なので話が盛り上がったりしました。
懐かしさでここへ来て休んでいたらしい、一時間近く話し込んでしまいました。
狛犬さんは真っ赤な口、やや気持ち悪い感も。
小学校の卒業生二人、「この神社ではよく遊んだよ、
床下へ潜ってかくれんぼとか缶蹴りとか、いつもここで遊んでいた」。
私も田舎で同じようなことして遊んでいた、東京でも田舎でも同じだったんだね。
拝殿は質素なもので特に華美な飾りもありません、
いかにも寒村の鎮守様といった感じでした。
拝殿は廊下で本殿とつながっていましたが
本殿も特に飾りもなくひっそりと佇んでいました。
そして境内の奥の方に富士塚が、
そんなに大きくはないけど一応階段もついていて登れるようです。
ただ急なので私は登らないで下から見るだけ、
他の富士塚と同じようにたくさんの登頂記念碑が立っていました。
次回は境内社とか見ながら富士塚を見て見ましょう、
珍しく「天宇須女尊」の像なんかあったけど私は初めて見ました。
data: EOS5DmarkⅡ/EF17-40 1:4。 撮影 2月4日 保木間氷川神社
神社自体も少ないから?
真っ赤な口の狛犬さん・・・初めて見たわ。
やっぱり・・きもい( *´艸`)
おじさんたちと話したようにかくれんぼとかチャンバラも、
夏休みは集まって体を使ってのゲームは毎日でした。
敬虔なところというより遊び場だったのです。
近くの神社では寄り合いがあります、
一家で一人は必ず出なくてはいけない。
中学生のころかな父から「お前が行ってこい」、
この場合女性ではいけないんです母はだめ、必ず男が。
男尊女卑の最たるものだけど昔からのしきたり、
なにか正式なことがあるとかならず男が出る、
父が出られないときは子どもが、もちろん男の子が
男なら子供でも一家の長が出たと認めてもらえました。
森サンも古いからこんなことが頭のどこかに残っていた?
悪気はないだろうけど昔の記憶がつい出てしまったのかな。
昔はね何かあっても女は前に出てはいけなかった、
裏方に徹していた、葬式でも仏前で飲み食いするのは男だけ
女たちは台所で密やかに食事、男の酒や食事に気を遣いながら。
時代は変わりましたね、女と靴下は強くなった、
まあそれが天下泰平なのかもしれないけど・・・。