東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

伝七捕物帳、黒門町を歩いてみる

2016-07-20 | 散歩
  BSプレミアムで「伝七捕物帳」が始まりました。
  黒門町の伝七親分が活躍する、まあ言わば水戸黄門みたいなもの?、
  時間が来れば一件落着、「よよよい、よよよい、よよよいよい」!。
  まあそれはともかく上野の黒門町を歩いてみましょう。


  

     黒門町と西郷さん?、”黒門”について少しレクチャーしておきますね。

     ここ上野公園は元々上野寛永寺の領地だったのです、
     その寛永寺の総門、一番外側の門が黒門でした。
     戊辰戦争では寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅した。
     新政府軍の大将が西郷さん、
     江戸の無血開城に応じたけど上野では戦争となった。




  

     西郷さんの後方に彰義隊の墓があります。
     戦争後は賊軍の汚名を着せられた彰義隊、戦死者たちの
     遺体の片づけも許されずにいたけど有志が政府に働きかけ
     ここで火葬に。一部は荒川区の円通寺に運ばれて火葬に、
     ここにも慰霊碑が設けられた。




  

     それらの縁から黒門は円通寺に移築され今に残る。




  

     その黒門にはおびただしい数の弾痕が残る。




  

     彰義隊の墓の近くにある説明板に添えられた絵。
     黒門の前で壮絶な戦いがあった様子が描かれている。




  

     さて、旧黒門町にやってきましたが今では上野一丁目~上野三丁目、
     面白くもなんともない名前だけど黒門町の町名を遺している建物などは健在でした。


     黒門町と言えば忘れられないのが、八代目 桂文楽師匠、
     黒門町に住んでいたため「黒門町の師匠」と呼ばれた。
     落語における戦後の名人のひとりといわれ、2歳年上の五代目古今亭志ん生と併び称される。

     志ん生なんかは酔っぱらって高座に上がりそのまま高座で寝てしまった、
     客は「いいからそのまま寝かせておけ」と誰一人文句を言わなかったという。

     文楽は志ん生の八方破れな芸風とは対照的に、細部まで緻密に作り込み、
     寸分もゆるがせにしない完璧主義により、当時の贔屓を二分する人気を博した。




  

     今でも使われているんだろうね黒門町会館。
     住居表示は違っていたけどこうした遺物?はあちこちで見られた。

     この町は細長い町で不忍池から中央通り沿いに1キロくらいあるんじゃないの?、
     狭い道路を挟んでずーっと湯島と並んでいる。




  

     ビルの建築現場にこんな張り紙が。

     明治21年開業した「可否茶館」は、約二千坪の敷地に建つ堂々たる2階建ての洋館で、
     国内外の新聞・雑誌・書籍の閲覧室や、50人が集合できる「サロン」から「更衣室」「玉突台」まであり、
     碁・将棋・詩吟・歌会もできるようになっていたそうです。

     レンガ造りの立派な記念碑があったようだけど、
     ビル建設のため今はこのビラだけが・・・。

     ちなみに数年前までこの近くにcanon上野があった、
     センサークリーニングとか修理に何回か来た記憶が。




               

               NHKサンごめんね、黙って持ってきちゃった、許してちょんまげ。^^;

               伝七捕物帳 BSプレミアム(金)午後8:00~8:43
               7月22日には、ももクロが出るみたい !!
               ま、学芸会の延長みたいなもんだろうけどね。


               さて次回は、湯島の脇を上って本郷を歩いてみましょう、
               武蔵野台地が果つる場所、私の足はアップダウンに耐えうるか?。
                                                              7月17日 黒門町を歩く
         

コメント (4)
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