
20世紀以来の覇権国、現在唯一の超大国は米国ですが、19世紀は英国でした。 19世紀初めの短い期間 ナポレオンが登場した頃の欧州大陸ではフランスでした。 13世紀はモンゴル帝国が、ユーラシア大陸の中国から中東/東欧に渡って覇権を唱えました。 2000年前の地中海世界はローマ帝国が、その前はアレキサンダー大王の帝国が、そして5000年前はエジプト王朝が ...
... と歴史を遡ると 様々な覇権国家が登場しましたが、世界規模での最初の覇権国家は英国だったでしょう。 なぜ英国が覇権国家となりえたか? 15世紀中頃~17世紀中頃の大航海時代以降に「三角貿易」といわれる3国間/3地域間貿易で「砂糖・銃・奴隷」を欧州→西アフリカ→西インド諸島→欧州間で、「茶・アヘン・綿織物」を英国→中国→インド→英国間の取引で、また1760~1830年代に産業革命を最初になしとげ、世界中から富を集めました。
富は国力つまり生産力を増し 艦隊を作り上げ、強大な破壊力を持った最新式の大砲を並べ、圧倒的な軍事力を持つに至りました。 19世紀半ば 薩摩藩/長州藩が、日本に来航していた少数の英国艦隊/欧米艦隊に大砲で攻撃をしかけたものの、あっけなく敗退してしまいます。
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1863年の「薩英戦争」は、生麦事件の解決を迫るイギリスの7隻の艦隊と薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における砲撃事件で、その結果 薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。 「下関戦争」は、1863年 長州藩が下関海峡を通過するアメリカ商船を攻撃したことに端を発し、次いでフランス商船、オランダ軍艦を砲撃。 1864年に米英仏蘭の4か国の艦隊が下関砲台を砲撃し、長州藩を屈服させた事件 (Wikipedia)。
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これら以前にも、アヘンの密輸入が原因となって「阿片戦争」が清と英国との間で1840~42年に起き、かつては「セポイの乱」と呼ばれたインド大反乱が1857~59年に 英国の植民地支配に対する民族的反抗運動として起きました。 この二つの戦争でも英国は勝利し、植民地支配を強めていきます。
圧倒的な軍事力は、富の集積から構築され、富の集積は産業革命による良質の綿製品や三角貿易でなされたことでしょう。 これらが互いに好循環し、英国を強大な覇権国家に作り上げていったと推測します。 以上
... と歴史を遡ると 様々な覇権国家が登場しましたが、世界規模での最初の覇権国家は英国だったでしょう。 なぜ英国が覇権国家となりえたか? 15世紀中頃~17世紀中頃の大航海時代以降に「三角貿易」といわれる3国間/3地域間貿易で「砂糖・銃・奴隷」を欧州→西アフリカ→西インド諸島→欧州間で、「茶・アヘン・綿織物」を英国→中国→インド→英国間の取引で、また1760~1830年代に産業革命を最初になしとげ、世界中から富を集めました。
富は国力つまり生産力を増し 艦隊を作り上げ、強大な破壊力を持った最新式の大砲を並べ、圧倒的な軍事力を持つに至りました。 19世紀半ば 薩摩藩/長州藩が、日本に来航していた少数の英国艦隊/欧米艦隊に大砲で攻撃をしかけたものの、あっけなく敗退してしまいます。
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1863年の「薩英戦争」は、生麦事件の解決を迫るイギリスの7隻の艦隊と薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における砲撃事件で、その結果 薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。 「下関戦争」は、1863年 長州藩が下関海峡を通過するアメリカ商船を攻撃したことに端を発し、次いでフランス商船、オランダ軍艦を砲撃。 1864年に米英仏蘭の4か国の艦隊が下関砲台を砲撃し、長州藩を屈服させた事件 (Wikipedia)。
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これら以前にも、アヘンの密輸入が原因となって「阿片戦争」が清と英国との間で1840~42年に起き、かつては「セポイの乱」と呼ばれたインド大反乱が1857~59年に 英国の植民地支配に対する民族的反抗運動として起きました。 この二つの戦争でも英国は勝利し、植民地支配を強めていきます。
圧倒的な軍事力は、富の集積から構築され、富の集積は産業革命による良質の綿製品や三角貿易でなされたことでしょう。 これらが互いに好循環し、英国を強大な覇権国家に作り上げていったと推測します。 以上