
1886年の降伏後に撮影されたジェロニモ。 1886年 アパッチ戦士とともに立つジェロニモ (右端)。
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“ジェロニモ” と聞くと、アメリカ・インディアンの酋長?を思い浮かべます。 実は酋長ではなかったらしいのです。 しかも 英語国では “ジェローム” なのに、なぜ スペイン語名のジェロニモなのか __ など 色々疑問が湧いてくるので調べてみました。
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ジェロニモ (Geronimo, 1829~1909) は、ネイティブ・アメリカン、アパッチ族のシャーマン、対白人抵抗戦である「アパッチ戦争」に身を投じた戦士。 本名はゴヤスレイ。 なお 部族の酋長と誤解されている例も多いが、実際は酋長ではなく部族の「指導者」でもない。
家族がメキシコ軍に虐殺されたのを機に、アパッチ族の戦士たちとともに対白人のゲリラ戦に従事した。 ジェロニモとは、スペイン語を母語とするメキシコ人のつけたあだ名「ヘロニモ」の英語読み。
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しかも 北米の地名にはスペイン語由来の地名が多いです。 例えば ネヴァダ山脈とか __ ネヴァダ山脈は世界に3つもあります。 合衆国、ベネズエラ、スペインに。 どうやらスペインが “本家” らしいですが。
それで 元々 北米はスペイン領・スペインの植民地だったのかと調べると …

左はトルデシリャス条約(紫)とサラゴサ条約(緑)の境界線。 右は1750年におけるヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地および領有権主張。
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コロンブスによるアメリカ発見 (1492年) 以後 ヨーロッパ人が大挙して米大陸に押し寄せましたが、初期にその既存文明を征服したのはスペインとポルトガルです。 この2つの王国は自分達だけで非ヨーロッパ世界を “勝手に二分” しました。 その1494年のトルデシリャス条約により 太平洋に接する陸地はすべてスペインのものと主張し、南アメリカ西部から中央アメリカ、メキシコに至る地域を支配下におき、ブラジル以外は一時 スペインの勢力圏になりました。
当然 後発の他のヨーロッパ諸国はこの条約に文句を付け、スペインとポルトガルが支配していた中南米やインド洋を避け、北米に足場を築きます。 2国間の条約など そっちのけです。 権利意識の少ない現地住民をよそに 土地の取り合いですからね。
上右地図に1750年の北米の勢力が色分けされていますが、東海岸が英国 (赤)、中央部がフランス (青・水色)、西部やフロリダがスペイン (緑) の勢力分布となっています。 これでシカゴ CHICAGO がフランス語らしい発音なのも理解できますね。
カリフォルニア州の地名はスペイン語由来が多いです。 シリコンバレーの中心都市サンノゼ San Jose は、本来 スペイン語発音が「サンホセ」ですが、英語発音で「サンホウゼイ サンノゼ」となっています。

上段左から 1775年の13植民地図、1810年、1860年のアメリカ合衆国、下段左から 1880年のアメリカ合衆国、キューバのグァンタナモ基地。
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そして 英国から独立した1783年 アメリカ合衆国の北部13州は開拓を進めて西進し、フロンティア (新天地) を広げていきます。 アラスカは1867年にロシア帝国から買収、ハワイは1898年 ハワイ共和国を併合します。
なお 面白い事に、アメリカ合衆国の援助でスペインから独立したキューバ新政府は、1903年 キューバ国内のグァンタナモ基地の永久租借を認めたため、治外法権区域となっています。 アメリカ合衆国の “飛地” がキューバにあるんですね __ ロシアのカリーニングラード (ポーランドの隣) みたいなものかも。
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北米は人口が約6億、GDP が $29T、南米は人口が約4億、GDP が $2.9T となり、北米は南米と比べ 人口で 1.5倍、GDP が10倍となっています。
本家の英国は人口が約7千万、GDP が 3.2兆ドル、本家のスペインは人口が約5千万、GDP が 1.8兆ドル、本家のポルトガルは人口が約1千万、GDP が 0.3兆ドルです。
これまた 比較するまでもなく、スペインとポルトガル本家・南米よりも、英国本家・北米が繁栄しているといえます。
北米がスペインの植民地のままだったとしたら、また スペイン系の国が建国されたとしたら、それが今の北米の繁栄に匹敵していたでしょうか? 恐らく そうならなかったと想像させるに十分な結果が上記の数字に表れているといえるでしょう。
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国の経営と発展のさせ方では 英国系の方が上手いのは明白です。 英国は、自分たちの手法を世界に広めるのが得意です。 今のビジネスマンの正装の “背広” も英国発祥ですし、多くの利益を生み出す手法を考え出して、世界に広め、英国に還元させています。
例えば 保険会社は保険金の支払いによる損害を最小にするために、巨額の支払いが発生した時に備えて、保険会社自身も保険を掛けています。 その保険を引き受けた保険会社も、更に保険を掛け、と保険会社同士が保険を掛け合い、最終的にその保険を引き受けるのが英国のロイズといわれます。 ロイズは、極端な話し 何もしなくても世界中の保険の掛け金の一部が入って来る仕組みを作り上げたのです。
また 清 (中国) に植民地だったインド産のアヘンを売りつけ、清とこじれるとアヘン戦争となり、これに難なく勝利すると、香港を租借する 強引な国が英国です。
アヘン戦争も含めて英国は、ナポレオン戦争以来、約2百年間 戦争に負けた事がありません。 米国も第1次大戦以来 百年間 負け知らずです (ヴェトナム戦争を除いて)。 現代世界において英米系の勢力が強いのは、理由があるのですね。 ドイツと日本は先の戦争で敗退し、ソ連は三十数年前 自壊しました。 十年前 “ハワイ以西の太平洋の覇権を寄越せ” と中国が挑み、米国は拒否しました。 今 中国が狙うのは台湾?
米国はじわじわと中国を締め上げていますが、そこはしたたかで、なかなか参ったとはいわないのが中国です。 1990年代初め バブル経済で頂点を極め 熱狂した日本を米国は突き落としましたが、中国は打たれ強いというか いくら米国が突き倒しても “笑顔で” しぶとく立ち上がる 不死身のカンフー格闘家のブルース・リーのようです。
経済不振がはっきりした中国は、まだ笑顔で米国に挑めるでしょうか?
今日はここまでです。