「Getty Images」より (記事から)
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私は時々 無料の演奏会に行って 色々なオーケストラ曲を聴かせてもらっています。 そこに登場する指揮者というのは、プロの指揮者なのかアマチュア指揮者なのかよく分かりません。 というのも 彼らの名前を知らないからです。
もっとも よく知られた指揮者がアマオケを振る事は滅多になく、有料のコンサートでプロオケを振っているはずです。 アマオケを振る指揮者がプロの場合 (これが殆どと想像します)、当然 楽団が出演料として指揮代を払っていると推測します。
ですから 指揮者の世界も、高額の指揮料を取る人気指揮者がいれば、薄謝しか提供されない無名指揮者もいるわけです。 でも これは競争社会・人気稼業の世界ですから、そうした差があるのは当然です。 相撲の世界の横綱〜幕下のようなものでしょう。
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「オーケストラのプロの指揮者になる方法は、指揮者自身もよくわからない?」(11月2日 篠崎靖男・指揮者/ビジネスジャーナル)
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無料の演奏会でもらうパンフレットには 指揮者の略歴が紹介されています __ 大概 ドコソコの音楽学校XX科を卒業、海外の有名音楽学校に留学、誰それに指揮を師事し、ドコソコのコンクールで入賞・優勝、ドコソコのプロ楽団を振り、ドコソコの音楽祭に出演 … などなど。
昔読んだ 小澤征爾の伝記『ボクの音楽武者修行』にも、同じような経歴が書いてありました。 ただ 彼の場合は、仏コンクールで優勝後 シカゴ交響楽団の音楽祭をドタキャンした有名指揮者の代役で見事 シカゴ響を振り終え、主催者の信頼を得ました。 後にニューヨーク・フィルの副指揮者になり常任のバーンスタインをサポート、カラヤンにも師事し … と少しずつ指揮者の階段を登って行ったことが書いてありました。
米国のマネジメント会社に所属というか登録し、そこで色々な指揮の機会を与えてもらったようですが、その辺りの記述はありません。 けれど 無名の指揮者である間は、このマネジメント会社 つまり日本でいう音楽事務所、これの斡旋 (あっせん) が大事ですね。
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音楽事務所の内容は全く知りません (私は音楽家ではないので)。 けれど 音楽事務所には音楽関係の様々な仕事の依頼が舞い込むはずです。 この仕事はこの人に、あの仕事はあの人に回す、と行った形で舞い込んだ仕事を事務所全体でこなすものと想像します。
そこでいい仕事をして実績を上げれば、手堅い人として信頼され、次の仕事・大きな仕事に推薦されるでしょう。 これは音楽事務所に限らず、どんな世界でも同じだろうと想像します。 依頼先・事務所の期待に応えられなかった人は、次に仕事を回してもらう機会が増えないだろうし、なかなか芽が出ないという事になろうかと思います。
“運” もあるでしょう __ 依頼先と相性が合って 再び指名で依頼される事もあるでしょう。 指揮者の場合 (大概高齢の) 有名指揮者の急病などで代役として抜擢されて指揮台に立ち、コンサートを救った事で業界に名が知られ、トントン拍子でいい仕事に繋がるというケースが多いようにも思います。 バーンスタインがそうでした。 ワルターの代役をやって成功したのです。
けれど 世の中、”そんな幸運” はなかなかやってきませんから、地道に請け負う仕事をちゃんとこなして実績を積み、依頼先・事務所の信頼を得る、これが常道でしょうね。
そうして大指揮者への階段を登っていく人、夢破れて その階段を登る機会がなく、道を外れてしまう人、様々なはずです。 指揮者はまた個性が強くないと、オケがどう演奏していいかよく理解できず、平凡な演奏に終わるかも知れず、そうした指揮者には依頼が増えないと思います。
逆に個性が強すぎて ワガママばかりをいっていると これまた問題指揮者の烙印を押されかねず、多くの場合 オケや事務所との関係を良好に保ちつつ 自分の音楽的な個性を強く出すという、難しい事をやっているのかも知れません。
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あのカラヤンでさえ 音楽学校を卒業後は多くのオーケストラ・歌劇場のオーディションを受けに列車に乗って走り回ったそうです。 戦後 彼がベルリン・フィルの常任となって 列車で地方巡業に行った折、通り過ぎる ある駅名を聞いて __
「戦前 列車で来て ここのオケのオーディションを受けたが、採用してもらえなかったよ」といったところ、同席した関係者が「では もう一度挑戦されてみてはいかがですか?」と冗談を飛ばしたそうです。 ゴマンといる指揮者の中で 自分の道を切り開くのは大変ですね。
今日はここまでです。
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私は時々 無料の演奏会に行って 色々なオーケストラ曲を聴かせてもらっています。 そこに登場する指揮者というのは、プロの指揮者なのかアマチュア指揮者なのかよく分かりません。 というのも 彼らの名前を知らないからです。
もっとも よく知られた指揮者がアマオケを振る事は滅多になく、有料のコンサートでプロオケを振っているはずです。 アマオケを振る指揮者がプロの場合 (これが殆どと想像します)、当然 楽団が出演料として指揮代を払っていると推測します。
ですから 指揮者の世界も、高額の指揮料を取る人気指揮者がいれば、薄謝しか提供されない無名指揮者もいるわけです。 でも これは競争社会・人気稼業の世界ですから、そうした差があるのは当然です。 相撲の世界の横綱〜幕下のようなものでしょう。
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「オーケストラのプロの指揮者になる方法は、指揮者自身もよくわからない?」(11月2日 篠崎靖男・指揮者/ビジネスジャーナル)
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無料の演奏会でもらうパンフレットには 指揮者の略歴が紹介されています __ 大概 ドコソコの音楽学校XX科を卒業、海外の有名音楽学校に留学、誰それに指揮を師事し、ドコソコのコンクールで入賞・優勝、ドコソコのプロ楽団を振り、ドコソコの音楽祭に出演 … などなど。
昔読んだ 小澤征爾の伝記『ボクの音楽武者修行』にも、同じような経歴が書いてありました。 ただ 彼の場合は、仏コンクールで優勝後 シカゴ交響楽団の音楽祭をドタキャンした有名指揮者の代役で見事 シカゴ響を振り終え、主催者の信頼を得ました。 後にニューヨーク・フィルの副指揮者になり常任のバーンスタインをサポート、カラヤンにも師事し … と少しずつ指揮者の階段を登って行ったことが書いてありました。
米国のマネジメント会社に所属というか登録し、そこで色々な指揮の機会を与えてもらったようですが、その辺りの記述はありません。 けれど 無名の指揮者である間は、このマネジメント会社 つまり日本でいう音楽事務所、これの斡旋 (あっせん) が大事ですね。
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音楽事務所の内容は全く知りません (私は音楽家ではないので)。 けれど 音楽事務所には音楽関係の様々な仕事の依頼が舞い込むはずです。 この仕事はこの人に、あの仕事はあの人に回す、と行った形で舞い込んだ仕事を事務所全体でこなすものと想像します。
そこでいい仕事をして実績を上げれば、手堅い人として信頼され、次の仕事・大きな仕事に推薦されるでしょう。 これは音楽事務所に限らず、どんな世界でも同じだろうと想像します。 依頼先・事務所の期待に応えられなかった人は、次に仕事を回してもらう機会が増えないだろうし、なかなか芽が出ないという事になろうかと思います。
“運” もあるでしょう __ 依頼先と相性が合って 再び指名で依頼される事もあるでしょう。 指揮者の場合 (大概高齢の) 有名指揮者の急病などで代役として抜擢されて指揮台に立ち、コンサートを救った事で業界に名が知られ、トントン拍子でいい仕事に繋がるというケースが多いようにも思います。 バーンスタインがそうでした。 ワルターの代役をやって成功したのです。
けれど 世の中、”そんな幸運” はなかなかやってきませんから、地道に請け負う仕事をちゃんとこなして実績を積み、依頼先・事務所の信頼を得る、これが常道でしょうね。
そうして大指揮者への階段を登っていく人、夢破れて その階段を登る機会がなく、道を外れてしまう人、様々なはずです。 指揮者はまた個性が強くないと、オケがどう演奏していいかよく理解できず、平凡な演奏に終わるかも知れず、そうした指揮者には依頼が増えないと思います。
逆に個性が強すぎて ワガママばかりをいっていると これまた問題指揮者の烙印を押されかねず、多くの場合 オケや事務所との関係を良好に保ちつつ 自分の音楽的な個性を強く出すという、難しい事をやっているのかも知れません。
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あのカラヤンでさえ 音楽学校を卒業後は多くのオーケストラ・歌劇場のオーディションを受けに列車に乗って走り回ったそうです。 戦後 彼がベルリン・フィルの常任となって 列車で地方巡業に行った折、通り過ぎる ある駅名を聞いて __
「戦前 列車で来て ここのオケのオーディションを受けたが、採用してもらえなかったよ」といったところ、同席した関係者が「では もう一度挑戦されてみてはいかがですか?」と冗談を飛ばしたそうです。 ゴマンといる指揮者の中で 自分の道を切り開くのは大変ですね。
今日はここまでです。