シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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“日本必敗” 予想でも 開戦した東條

2006年08月26日 | 歴史をひも解いて
写真は真珠湾で日本軍機から魚雷攻撃を受けるアメリカ戦艦群。
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次に東條英機の肯定的な側面は__
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政治家としての評価は低い東條も軍事官僚としては抜群であった。 強姦、略奪などの軍規、風紀に厳しく違反した兵士には容赦なく軍法会議にかけた。

ユダヤ人が東條を「英雄」と称える理由については、まず1937年に ハルピンで開催されたナチスの暴挙を世界に訴えるための極東ユダヤ人大会に ハルビン特務機関長らが出席したことに対し、 当時 同盟国であったドイツが抗議したが、それを東條が握りつぶしたこと。

次に、ナチスの迫害から逃れたユダヤ人 数万人を入国許可がないにも関わらず 満州国に入国させた事。 それに対するドイツ外務省の抗議を、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴したこと。

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__など、評価すべき点もあります。 しかし 大局的な観点からすると、上記のことはコワザとしか思えません。 日中戦争の泥沼から抜け出し、諸外国からの非難の視線を変えさせるにはどういった政策が必要なのかを真剣に考えて それを実行すべきことが求められるのが首相たる姿だったはずです。 東條首相のとった政策は従来の首相の延長か、もっと悪く、日本を “太平洋戦争という地獄” に引きずりこんだことです。
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「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。 真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」(ビルマ・現ミャンマーのバー・モウ初代首相)。

「私が会った日本人被告は皆立派な人格者ばかりであった。 特に東條氏の証言は冷静沈着・頭脳明晰な氏らしく見事なものであった」(東京裁判の判事の一人 レーリンク判事)。 以上 Wikipedia から。

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1941年 日本は太平洋戦争を “宣戦布告” して日米開戦に至りました。 驚くべきことに 開戦前の8月に 総力戦研究所より日米戦争は “日本必敗” との報告を受けていたのですが、それにも関わらず 10月に首相に就任した東條は真珠湾攻撃を決断しました。

しかも 米ワシントンの日本大使館から米政府への布告書の引き渡しが遅れ、結果的に引き渡し前に真珠湾攻撃が始まってしまったことは、米国民に “卑怯な国” とのダーティ・イメージを植え付ける原因ともなりました。

国力の圧倒的な差もあって、開戦一年後のミッドウェー海戦以降は日本の劣勢となり、45年の敗戦となったことは 変えようのない歴史的事実です。 専門機関の予測や、多くの軍人・一般人も日本が勝利するとは予想していなかったに違いないのですが、決断の時 東條は何を根拠に開戦したのか?

実は日米とも、戦争を回避するため 様々な交渉が行われていました。 その1つにハル・ノートがあります。 いわゆる 対日提案書ともいうべきものです。
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ハル・ノート (Hull note) は、太平洋戦争開戦直前の日米交渉において、1941年11月にアメリカ側から日本側に提示された交渉文書である。 1940年11月の民間外交から始まり、それはハル国務長官・ルーズベルト大統領にも報告され、その後 毎月のように多くのルートで日米交渉が進展したが、… Wikipedia から
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剣豪 宮本武蔵は、試合で勝てるかどうかの “見切り” が抜群で、勝てると見切った相手としか試合をしませんでした。 東條にはこの “見切り” の能力が欠けていたのでしょう …「清水の舞台から飛び降りる気持ちで開戦を決意」しました。

日本人として生まれた我々は、この歴史から逃げることは出来ません。 次に生かすためには、戦争を避けるにはどうしたらいいのか、知恵を絞り 歴史に学ばなくてはなりません。 更に被侵略国の声には耳を傾け、抗議がなくなるまで聞く姿勢を示さねばなりません。

一方で 攻撃・侵略されないためにはどう国を防衛すべきか、外交すべきか などあらゆる場合を想定して準備する必要もあります。 念仏を唱え、背中に「世界が平和でありますように」と書いた札を貼っているだけでは、戦争を回避することは出来ないでしょう。

以上 8月17日「戦争の理由(3)」も参照下さい/ TB をクリックすると飛びます。

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