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原発問題

原発事故によるさまざまな問題、ニュース

フクシマの惨劇

2012-04-01 16:12:26 | 未分類

フクシマの惨劇

(韓国ネットニュース・PRESSIAN-世界ニュース 2012年3月2日付 )

http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=40120228164633&Section=05

  

<訳者解題>

福島第一原子力発電所の爆発から1年目の3月11日、「原発はいらない」との叫びが、全国に響きわたった。福島では「原発はいらない!3.11県民大集会」に16000名が結集した。

老朽化した原発が全国最大の14基もひしめく福井県敦賀でも、元原発労働者15名も参加し、これまでで最大の2000名の県民が参加する示威となった。

東京、大阪では1万名以上の集会がもたれ、原爆被爆地広島でも2000名の示威隊が「ノーモアヒロシマ、フクシマ」の叫びをあげ、韓国、フランス、台湾、英国、ドイツでも原発への抗議の声がわきあがった。

 

日本の野田政権と東電は、福島原発の「収束宣言」によって、破廉恥にもフクシマの惨事は終わった過去の事件として処理しようと画策し、数十万名の東北住民に対する国家と企業の責任回避に躍起だ。

 

この、フクシマ大惨事を引き起こした世界で最も罪深い下手人は、原発の最大の推進母体である日本資本家階級の執行部・日経連である。

 

彼等が、フクシマの惨劇を生み出した重大犯罪に対し、日本国民に1度だって謝罪した事があるのか!

それどころか、<日経連>会長の米倉弘昌は、フクシマ惨事の真っ最中である2011年3月16日、家財と家畜を放り出し故郷を捨てて流民となった東北の民衆には目もくれず、「ずいぶん津波の影響を受けたが、収束の方向に向かっているのではないか。(日本の原子力行政についても)1000年に一度の津波に耐えているのは、すばらしい。原子力行政は、もっと自信を持って胸を張るべきだ。」(2011年3月16日付・サンケイ・ネットニュース)と言い放った。これは日本資本家階級どもの、我が民衆に対する犯罪的冒涜として、歴史に記録すべき発言だ。これは、資本主義体制と資本家階級による、民衆を犠牲にしたあくなき利己的利益追求と言うものが生み出した、彼等の人間存在そのものの、腐敗と退廃の行きつく先を示した姿に他ならない。

彼等が引き起こしたフクシマ惨事は、「収束」どころか、今も、次の遙かに巨大な惨事の可能性を秘めている事を、京大熊取原子力実験所の小出裕章氏が、過日のテレビインタビューで指摘している。

「福島第4号基の1535本の「使用済核燃料棒」は、破壊され、むき出しとなっている冷却プールの中にある。プールの中は建物の破壊された物体で埋まり、燃料棒を移動するクレーも破壊されている。今でも余震でぐらつくプール自体が、いつ崩壊するとも限らない。もし燃料棒が空気中に晒された場合、東京は死の町となるだろう。」と。http://www.youtube.com/watch?v=CezLuBZqd8U

我々は、この「チェルノブイリの人々〕の記事から、フクシマと共通の問題と課題を見出しながら、原発に固執する勢力の、人間の理性への冒瀆を暴く力を見つけたいと考えている。(訳者)

 

 

 

<本文>

〔チェルノブイリの人々〕

 

原発は安全か?

 

 

○我々は、原子力が清潔で、安全であり、低廉なエネルギー源だと言う言葉を、釘がめり込むように聞いて来た。本当なのか?

 

○ヒロシマの8キログラムのウラニューム核爆弾で、実際に燃焼されたウラニュームの量は、800グラム程度だった。

ところで100万キロワットの現代式原子炉が1年に燃やすウラニュームの量は、約1千キログラムで、ヒロシマ核爆弾より1200倍ほど多い。

当然にも、死の灰もこれに比例して造られる。

 

○我々は、放射能に被ばくされても“基準値以下は安全だ”と言う言葉にも慣れている。日本の原子力専門家である小出裕章も“どれだけ少ない量であっても、被爆量に比例して影響がある。”と結論づけている。

(以上本文から)

  

チョン・ウクシク 平和ネットワーク代表

 1986年4月26日明け方1時、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号機が、幾度かの爆発後崩れ落ちた。大災難を引き起こした原発は、出力100万キロワットで、ソ連の新型黒鉛減速炉であった。1984年3月から稼働されたこの原発の炉心には、広島の原子爆弾の2600個(分)に達する‘死の灰’が積まれていた。事故の結果5千万Ci(キュリー)の放射性核種(ストロンチュームなどの核物質の種類)が放出されたし、この中の70%が、この原発と隣接したベラルーシを襲った。村485ヶ所が‘死の土地’に変わり、この中の70ヶ所は、土の中に永遠に埋められた。

 時間が経つにつれ、死の灰は地球村全体に広がって行った。チェルノブイリ事故を、ただ、遠い国の惨事程度に看做するには、放射能は(範囲が)大きく、地球は狭かった。当初ソ連は、この事故を隠そうとしたが、チェルノブイリ原発から1250㎞離れたスエーデンのポスマク原発で4月29日、高濃度の放射能が検出され、世上に知られる事となった。引き続き、ヨーロッパ全域で高濃度放射性物質として測定され始め、5月2日日本、4日中国、5日インド、そして6日には米国とカナダでも、順番に検出された。

 当時、京都大学原子炉研究所で放射能測定を担当した小出裕章の証言を聞いて見よう。

 “最初は、異常な放射能が発見されませんでした。やはりそうだ、8200㎞も離れているのに、まさか日本にまで飛んでくる事はないだろうと、私は考えました。しかし5月3日になって、私が呼吸している空気中から異常放射能が発見されました。放射能が8,200㎞と言う地理的空間を飛んで、日本に到達したのです。その時の汚染の数値は、その後日が経って、次第に下がりました。そのうち5月下旬になるや、再び数値が上がり始めました。日本の上空まで飛んできた汚染が、太平洋を越えてアメリカ大陸を通過し、ヨーロッパ、アジアを越え、この様に地球を一周回って、再び日本に帰って来たのです。”

 事故収拾のため、約50万名の人力と180億ルーブル投入された。事故被害が最も大きかったベラルーシは、事故前、癌患者が10万名当たり82名だったのに、2002年には6千名に急増した。解体作業に投入された労働者達も、1日2名の割合で命を失った。この事故による死亡者数は、推定機関により、400万名から100万名に至るまで、千差万別を見せている。しかし一つ明らかな事は、今も人々が死んで行っており、その苦痛は代を続けて継続されていると言う事だ。

 事故発生当時、ソ連の共産党書記長はミハエル・ゴルバチョフだった。

彼はこの惨事を目撃してからは、核と人類の未来は両立する事は出来ないと言う信念をさらに堅固にしたし、米国のボラク・オバマ大統領より20余年前に先立って、‘核武器なき世上(世界)’を主唱した。この様な‘新事故’は、米―ソ冷戦を平和的に終息することが出来た決定的力だった。ノーベル賞委員会は1990年ゴルバチョフにノーベル平和賞を授賞し、彼の業績を称えた。ゴルバチョフは、原発事故発生、また悪化の大きな原因を、ソ連の硬直されて不透明な官僚主義にあったと見て、政治改革(glasnost)にも拍車を加えた。しかし、チェルノブイリ原発事故は、いっとき、米国と世界覇権をめぐって雌雄を競ったソ連の没落の原因の中の一つに指摘されるほど、途方もない結果を招来した。

爆発した原発4号基の名前は、‘オクリティエ’だ。2000tのウラニウムと1tのプルトニュームを始めとして、約200tの核物質を抱かえているこの原発は、事故直後、巨大な石棺で封鎖された。しかし、チェルノブイリの惨事は、その終わりを予想する事は出来ない‘現在進行形’だ。

石棺の寿命は、30年に過ぎない2016年までだ。石棺のあちこちに亀裂が生まれ、いまこの時間にも、放射能が漏れ出ていると言う。また、雨水が染み込みながら、核分裂連鎖反応が起きる懸念も提起されている。これによってウクライナ政府は、国際社会の支援を受け、新しい鋼鉄管工事に入って行った。高さ150mに達するこの巨大な構造物には、実に2万tの金属が使用され、数兆ウォンの予算が必要とする予定だ。2015年完工を目標に建てられているこの鋼鉄管の寿命は100年だ。国際社会の小さな寄付で、工期が引き続いて遅れたが、福島惨事が起きて世界各国は、ウクライナに7億8千5百万$の財政支援を約束した。

   

△チェルノブイリの被害者達 写真―ニューシス

 

‘チェルノブイリの声’

 ウクライナ出身の世界的ジャーナリストである、スベトラーナ・アレクシエビッチの力作―<チェルノブイリの声>には、‘チェルノブイレッツ’(チェルノブイリの人々)の証言が生々しく収められている。彼女はこの本の韓国語版の序文にこの様に書いた。“ヒロシマとナガサキ、チェルノブイリを経験してみた人類は、核無き世界に向かって行くだけのようだった。原子力の時代を抜け出すだけのようだった。ほかの道を探すすべを知った。しかし、我々は今も尚、チェルノブイリの恐怖の中で生きている。”

‘チェルノブイリの証人’を自負したアレクシエビッチは、“事故が発生してから、すでに20年も過ぎたが、私が証言する事が過去なのか、或いは未来なのか”自分に問うているとし、“我々の目には見えないが、更に残忍で総体的な課題が我々を待つ”と力説する。

約20年に亘って、チェルノブイレッツ(チェルノブイリの人々)をインタビューして出した、この本に盛られた証言の一部を見てみよ

村の住民たちは、周辺のうわべの姿は、あまりにも馴染み深い程なのに、その親しい環境が、自分達を殺す事が出来る武器となってしまった現実に身震いした。

“釣り上げた魚が、狩猟した野鳥が、リンゴが、”の言葉だ。

日も浮かび、煙も見えず、ガスの臭いも出ないし、銃も撃たないね、これは戦争なのか?避難をせよと言うのか・・・、”事故発生直後、ソ連政府は大規模の兵力を投入し、住民達を退避させ“土を土で埋めたし”、街路を徘徊する犬と猫など動物達を殺した。

チェルノブイリ事態直後、ソ連政府や言論は、殆んど何の説明もしてくれなかった。当然の事に住民たちは、大きい火が出たと考えた。しかし、異常な事が発生した。

“朝、庭に出てみると、馴染んでいた声が聞こえないのです。何故か蜂が一匹もいなかったね。(中略)後でこそ、原発に事故が出たと聞いたのだが、その原発が横にあったよ。蜂は分かったが、私達は分らないものだよ。”年老いた養蜂家の言葉だ。

“テレビジョンで、説明をしてくれるのを待っていたのだ。どの様に生き残らなければならないか、話をしてくれると思ったよ。ところで、ミミズが、平凡なミミズが地中深く這入って行ったよ。ところが我々は、分らないじゃない。そこで土地を掘ってまた堀ったよ。それでもミミズを一匹も探す事が出来ず、魚を取る事が出来なかったよ。”漁師達の証言だ。

愛と死の中で、一つを選択しなければならなかった妊産婦の事情は、“シエークスピアも、偉大なダンテも、舌を巻く程だ。”“近くに行くと駄目だ!口を近づけたら駄目だ!触れたらだめだ!今彼は愛する人ではなく、放射能汚染の塊です。”

原発火災を鎮圧する為投入された消防隊員の若い妻、リュドミラ・イグナテンコは、医師の慰留を振り払って夫に近付き、口を近づけ、彼がこの世を去る時までそばを守った。数か月後、この女性はナターシャと言う娘を産んだ。夫が死ぬ前に出来た(つけた)名前だった。しかしその子は4時間で死んだ。2年後、他の男性と巡り合ったイグナテンコは、男の子を産んでアンドレイと言う名をつけた。周囲の心配とは違って、健康に見える子だった。彼女が言った“幸福な時”だった。しかし、母子の幸福は長く行く(続く)事は出来なかった。お母さんは脳出血で倒れて、息子もまた一月に15日は、医者と一緒に家で過ごすほどに苦しかったと言う。

この、むごたらしい事故が発生してから25年後、ゴルバチョフは、‘核科学者協会報(Bulletin of the Atomic Scientists)’3/4月号寄稿文を通して、“チェルノブイリを忘れない事”を訴え出ている。彼は“チェルノブイリ事故25周年は、我々が自らに、厳かな任務を反芻する事となるのを可能とする、重要な歴史的里程標”だとし、“我々すべては、チェルノブイリを記憶しよう。チェルノブイリ事態の否定的側面だけではなく、もっと安全で、より持続可能な未来のための希望のかがり火として反芻しよう。”と訴えた。ゴルバチョフは25年前、自身の経験談を紹介しながら、第2のチェルノブイリ事態を防ぐ為には、予防、再生エネルギー、透明性、テロリズムと暴力への脆弱性など4つの問題に、人類社会が優先的な関心を傾けなければならないと強調した。

この中で、彼が最も強調したのは、即ち‘再生エネルギー’だ。彼は“我々が今日、核エネルギーを容易く拒否する事は出来ないが,核発電がエネルギー供給と気候変化に、万病通治薬ではない事を悟る必要がある。”と注文した。彼は、まるで核発電が‘費用節減型’エネルギーであるかの様に知られているが、これは“誇張されたもの”だとし、米国の例を挙げた。米国政府は1947年から1999年まで、原子力分野に全てで2600億ドルの補助金を支給した反面、風力と太陽熱発電には僅か55億ドルしか支給しなかったと言うのだ。

米国を始めとする先進諸国が原子力くらい再生エネルギーに投資したなら、状況は大きく変っただろうと言う意味だ。そうしながら“対案的で、持続可能なエネルギー源、即ち風、太陽熱、地熱、水素などに投資”し、“エネルギー需要を充足させながらも、壊れやすい地球を保存”する事が出来るのだと訴えた。

 

●原発は安全なのか?

[我々は、原子力が清潔で、安全であり、低廉なエネルギー源だと言う言葉を、釘がめり込むように聞いて来た。放射能に被ばくされても、“基準値以下は安全だ”と言う言葉にも慣れている]

 

チェルノブイリ惨事25周年が近づくが、ゴルバチョフをはじめとするいろんな人々が、‘脱原発’の必要性強調したすぐその時、原発先進国だと自負した日本のフクシマ原発が爆発した。チェルノブイリを過去の事として埋め、また再び原発ルネッサンスに心酔していた人類社会は、衝撃に力を失った。米国スリーマイル原発事故は技術者の失策として、チェルノブイリ惨事は科学者の無理な実験過程で、そしてフクシマ惨事は地震と津波が直接的な原因だった。地震8.0規模にも微動だにしない、としていた日本の自尊心は、9.0と言う数値の前に無残に崩れ落ちた。また再び惨事を経験してからは、人類社会はまた、問い始めた。‘核と人間’は、両立可能なのかと。

我々は、原子力が清潔で、安全であり、低廉なエネルギー源だと言う言葉を、釘がめり込むように聞いて来た。

放射能に被ばくされても、“基準値以下は安全だ”と言う言葉にも慣れている。化石燃料が主犯として称される地球温暖化時代に、原発は有力な代案として称賛されたりもする。果たしてそうなのか?

‘死の灰’と称される放射能物質が人体に入って行けば、DNAを含んだ分子結合を切断・破壊・損傷され、被ばく水準によりその症状は直ぐに現れる事もあり、極めて徐々に現れる事もある。

ところが、間違いなく原発は、ものすごい量の‘死の灰’を作り出す。

これは、ヒロシマ原爆と比較すれば、その深刻性を見当付ける事が出来る。ヒロシマの8キログラムのウラニューム核爆弾で、実際に燃焼されたウラニュームの量は、800グラム程度だった。

ところで100万キロワットの現代式原子炉が1年に燃やすウラニュームの量は、約1千キログラムで、ヒロシマ核爆弾より1200倍ほど多い。

当然にも、死の灰もこれに比例して造られる。これをセシューム・137に比較して見れば、ヒロシマ原爆が噴き出した量は約3,000ci(キュリー・curie)だったし、チェルノブイリ原発事故で放出された量は約2,500,000ci、そして100万キロワットの原発が1年間で作り出す量は、約3,000,000ciだ。

 

問題はここで終わらない。今日標準となった100万キロワット級原発は、原子炉内部で300万キロワットの熱を作り出すのに、この中で電気に転換される量は100万キロワットに過ぎず、残りの200万キロワットは海に捨てる構造として動かされる。

原発の効率がこの様に落ちる理由は、燃料の健全性の制約にあるので、タービンで送る蒸気の温度を280度以上、上げる事は出来ない。

 

一方、火力発電所は500度まで上げる事が出来るので、発電の熱効率が50%以上だ。原発は海水を冷却水として利用するので100万キロワット原発1基は、秒当たり海水70tの温度を7度ほど上昇させる。

 

これについて、東京大のミト・イワオ教授は“‘原子力発電所’と呼ぶ事は正しくない。正確に言えば、‘海沸かし装置’だ”と、指摘した。海水の急激な上昇は、海洋生態系に色んな副作用を伴うばかりでなく、海水の水温が上昇すれば大気中に噴き出し出てくる、二酸化炭素も増え出る事となる。

 

‘死の灰’をどの様に処理するかは、人類社会が抱かえている最大の宿題でもある。核廃棄物は原発の全過程で出る。

 

ウラニュウムを採掘・精錬する時にも、これを濃縮・加工し核燃料棒を作る時にも、原子炉を稼働する時にも出るし、何よりも使用済み燃料棒は、それ自体が度外れた放射能の塊だ。死の灰の中で半減期が短いものとして知られたセシューム・137は30年で、プルトニューム・239は、実に24000年だ。手袋、衣服、装備など低水準廃棄物の半減期は300年だ。使用済み燃料と呼ぶ高水準廃棄物は、何と100万年に達する。

 

科学者達は、半減期も非常に長く、また放射能濃度も大変高い高水準廃棄物、すなわち使用済み燃料棒の処理に没頭して来た.宇宙に行って捨てるのは技術的に難しく、海洋処分はロンドン条約によって、南極深く埋めるのは南極条約によって禁止されている。だから処分方法は二つに圧縮された。

 

一つは再処理であるが、その妥当性の当否を離れて再処理をしても、高水準の廃棄物は残る。ところで原発が稼働されてから60年が過ぎたが、核廃棄物の処理を確実にしている国はただの一つもない。“人類は、原発が作りだした廃棄物の処理方法もなく、今日まで来てしまった”訳だ。

 

原子力が地球温暖化を遅らせる有力な代案だと言う主張も検証する必要がある。

 

韓国水力原子力(韓水原)は、“原子力発電は、二酸化炭素を排出しない親環境的エネルギーとして、地球環境問題を防止するだけでなく全世界が関心を持っている気候変化協約にも備える事が出来ます。”と広報している。しかしこれは、‘目を隠してすねる’格好だ。原子力が発電する時には、‘二酸化炭素を排出しない’のは正しい言葉だが、ウラニューム採掘・精錬・濃縮また稼働、原子炉建設及び運転、核廃棄物の処理過程で途方もない資材とエネルギーが消耗され、消耗される資材とエネルギーの相当部分は化石燃料に依存しているからだ。しかも、原発の原理となる核分裂反応時、二酸化炭素は排出していないが、二酸化炭素よりずっと遙かに危険な放射性物質、即ち死の灰を排出する。

 

“基準値以下だから安全だ”と言う言葉も、人々を安心させるには、筋が通っておらず(理屈に合わず)、不足だ。

 

この点で、基準値はIAEAが定め、世界保健機構(WHO)が同意したものだ。しかし、WHOがIAEAに屈伏した結果と言う批判が多い。

東国医大(訳注・東国大医学部のこと)微生物学科教授であるキム・イクジュンは、この様に反駁する。“放射能は、その被爆量に比例し、癌を発生させる。これは基準値以下でも同じだ。安全な放射能はない。”

 

放射線が人体に及ぼす影響を調査した米国科学アカデミー委員会は、2005年6月に発表した報告書で、“最小限の被爆であっても、人間に危険を及ぼす可能性がある。”と結論づけた。

 

日本の原子力専門家である小出裕章も“どれだけ少ない量であっても、被爆量に比例して影響がある。”と結論づけている。

(訳注―同じ京大熊取原子炉実験所教授の今中哲二氏も“501ベクレルであれば、501ベクレルの危険性があり、10ベクレルであればそれだけの危険がある。即ち、安全だ、危険だと言うのは、基準として線を引く事が不可能だ。”と指摘している。)

(訳 柴野貞夫 2012年3月14日) 

 

 

参考サイト

『反原発記事特集』を参考に、ご覧ください

 

転載元:http://www.shibano-jijiken.com/SEKAI%20O%20MIRU%20SEKAI%20NO%20SHINBUN%20336.html


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