※この日記は2012年4月27日に自分の備忘録用に書きました。
とりあえず、妊娠中から含めてのもろもろをダダッと書いておきます。
読んでもらうことをあまり考慮せず、読みにくい記述となってます
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◎母子手帳をもらうまで
妊娠の診断は7月頭。その後、赤ちゃんの心拍が確認されるまで2回検診にいくことになり、
そこまでは自腹でした(3,000円~8,000円)。その後、3回目の検診で心拍確認され、
やっと市役所で母子手帳をもらってきてくださいと言われます。
病院では、妊娠が確定したとき、テレビで見るような「おめでとうございます」と言われることは
なく、淡々としたものでした。
退院時に聞いた話では、この病院では頻繁に中絶手術が行われるそうです。
日に2件あることも。悲しいことに必ずしも望まれる妊娠だけじゃないってことですね。
市役所で母子手帳を発行してもらうときに、検診費用の補助券をもらい、
その後は500円~2,000円程度の検診費用のときが多かったです。
補助の金額は自治体によって違うようですが、口コミサイトなんかを見る限りでは、
うちの地域は首都圏に比べると補助額が多いようです。
◎体調の変化
妊娠初期は、立ちくらみ、めまい、動悸、のぼせがおこりやすかったです。
妊娠が分かってからも、いちごちゃんと、イワナ釣りにいったり、軽いハイキングにも出かけましたが、
妊娠前のペースで歩くことができず、すぐに疲れてしまいます。その体の変化が受け入れられず
メソメソした時期もありました。
つわりは軽いほうで、ドラマで見るように「おえーっ」っていうのは無かったけれど、魚や肉を
焼くにおいや、ごはんが炊けるにおいはダメ。あぶらっこいラーメンもNG。食べ物の好みが
偏り、ゼリー、アイス、ジャンクフード(スナック菓子やファーストフード)がむしょうに食べたくなりました。
妊娠中期になると、つわりは落ち着くものの、徐々に大きくなってきたお腹のために、
仰向けに寝るのが苦しくなります。歩幅も徐々にせまくなり、トコトコ歩きになりました。
妊娠後期。トイレが近くなり困りました。出産前にやっておいたほうが良いことに
「赤ちゃんが生まれてからは夜まとまって寝られなくなるので、よく寝ておくこと」と
言われますが、実際は、夜中に何度もトイレに起き、熟睡できなくなっていました。
さらに、お腹が大きくなるにつれ、寝返りをうつのも一苦労でした。
出産直前には赤ちゃんと羊水などでお腹に4kgのものがくっついていることになります。
お腹に4リットルの大五郎を乗っけた状態での寝返り。苦しいと思いません?
◎買ったもの
マタニティウェアは、ズボンと下着を中心に買い足し、あとは貸してもらった服と、
普段のもので間に合わせました。
冬にお腹が大きくなり、妊婦用のコートを買うか迷ったものの、ポンチョ風のコートを
持っていたので、それで何とかなりました。
産褥ショーツは、結局、入院時に病院から支給されたものを使っただけで、自分で
1枚買ったものは使わずじまい。
他、買って良かったものは座椅子(お腹が大きくなり、姿勢が後傾になったので)、
抱き枕(お腹が大きくなり横向きにしか寝られなくなってから重宝)、腹巻(冷えがひどくなった)、
入院時に使うためにペットボトルにつけられるストロー(寝ながらでも茶が飲める。100均で購入)。
◎マタニティスイミング
妊婦さんを対象にした教室というと、ヨガ、ビクス、スイミングがありますが、自分が水泳を
やっていたこともあって、迷わずマタニティスイミングを選びます。週1か週2か選べたの
ですが、妊娠後期が真冬になるので、雪道の運転が不安だったこともあり、週1に。
なんせこの冬は雪が多かったので、頑張って週2にしても結局休みがちになったかも
しれないので、結果オーライということで・・・。
この教室に通って良かったと思ったのが、月に1度しか検診がない妊娠中期のころも
スイミングで週1回、赤ちゃんの心音確認ができたこと、助産師さんやプレママ友からいろんな
話を聞けたこと、そして習った呼吸法が出産時にとても役に立ったことです。
マタニティ水着はネットで購入し8,000円くらいしましたが、結局20回くらい使えた
ので、十分もとはとれたと思います。
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とまあ、つらつら書きましたが、また思い出したら追記したいと思います。
※この日記は2012年4月27日に自分の備忘録用に書きました。
出産当日を含め、入院したのは5日間、6日目に退院となりました。
基本的に、母子同室の病院ですが、赤ちゃんと一緒に夜を過ごしたのは
なんだかんだ結局、3日間。
まだおっぱいも出ないし、どうやって抱っこしてよいのか分からないレベル
からのスタートなので、母子同室で、夜、2人きりで過ごすのはドキドキの連続。
でも、相談できる人(助産師さん)がいるうちに、2人で過ごすってことが
どういうことなのか体験することができ、良かったです。
入院中、授乳になれていないお母さんたちは、基本的には3時間おきに
赤ちゃんを連れ、ナースステーションにある授乳室にいき、助産師さんに
見てもらいながらの授乳。私も夜は目覚ましをかけ3時間ごとに起き、
授乳室に通います。
私は勝手にそこを「おっぱい道場」と呼んでました。
おっぱい道場での修行は大変きびしゅうございました。
3日目に、黄疸の数値が病院で決めている基準を超えたので、
光線療法を行うことになりました。
紫外線みたいな青い光を当て、血中ビリルビンを分解する治療なんだとか。
授乳と沐浴タイム以外は、日焼けサロンみたいな部屋で1日過ごすことに
なり、目にはこんなのが貼られて、かわいそうなような、かわいいような。
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食事が良いことで評判な病院というだけあって、食事はおいしく、毎回完食していました。
ただ、最初の2~3日は、会陰切開のあとが痛く、円座クッションがあっても、体重をかけて
座るのがつらく、斜めに体重をかけ、半分腰をうかしてやっとこさ座る状態。
食事の時間もせつなかったです。
おまけに、食べると血の巡りが良くなるからか、後陣痛の痛みがおそってきます。
これも2~3日で良くなりましたが・・・。陣痛は良く知られてますが、後陣痛(子宮がもとの
大きさに戻ろうとするときに生じる痛み)がここまで痛いとは知りませんでした。
シモのほうの痛みと、悪露の不快感は退院までにほとんど解消されたので助かりました。
ただ、腰回りのものがなくなったからか、産後しばらく、今まで感じたことのないゾクゾクする
ような冷えになやまされ、しばらく、腹巻が手放せませんでした。
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毎日15時にはおやつがでます。
これがまたおいしかった~♪
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そして、お祝いのディナー。
同じ退院日の人と一緒にお食事。
同じテーブルに、私が出産したとき、隣の分娩室にいた人がいました。
その人は、分娩台に9時間(だったかな?)いて、途中、吐いたりなんかもして
大変だったそうな。
お産が長引く間に、隣の分娩室に私が入り、さっさと出産し終えてたので、
「となりの人、あっという間に産んだね~」とダンナさんと話していたのだとか。
「私が良いほうの部屋をとっちゃって、なかなか生まれなかったから、陣痛室
みたいな部屋で産むことになっちゃってスミマセンでしたね~」と言われましたが、
確かに、私が産んだ部屋は宿直室みたいな雑然とした雰囲気があったけど、
いちごちゃんは畳スペースでくつろいでたし、それはそれで良かったので
ノープロブレムです。
同じ誕生日の子をもつお母さんたちと、出産ばなしができて、楽しいひとときでした。
あ、ちなみに下の写真に写っている飲み物・・・。
食前酒だ!と思ったら「食前酢」でした。
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そして、退院。
平日の昼間に出産し、土曜の午前中に退院できたので、
出産費用も、一時金(加入している健康保険から42万円が給付されます)から
それほど足が出ないですみました。
おまけに、良い先生が担当の日に、生まれてきてくれて助かった~。
いい子、いい子
はじめてチャイルドシートに乗っかる小いちご。
いちごちゃんの育児もスタート♪
※この日記は2012年4月27日に自分の備忘録用に書きました。
2月27日(月)(出産当日)
26日(日)の23時半ごろ、下腹が痛くて目が覚めます。
「なんか、お腹いたい・・・」
隣でいちごちゃんは爆睡中。
まだ生理痛程度の痛みなので、とりあえずトイレに行ってみると下着が
濡れてます。
「もしや、破水?」
でも確信も持てず、とりあえず布団に戻り時計を見ながら横になります。
と、お腹の痛みが12分おきくらい、等間隔で来ていることに気付きます。
うーむ、やっぱり陣痛みたいだな~。
ただ、産婦人科の母親学級では、初産婦は陣痛が来てから分娩まで時間が
かかるので、陣痛間隔が10分をきってから病院に連絡するようにと言われてるし・・・。
でも、破水しているなら細菌感染する恐れがあるから、病院に連絡するようにとも言われてる。
念のため、病院に電話してみると、
「破水してると入院しなくちゃいけないので、入院の準備をして一応来てください」とのこと。
この時点で2時を回っている。
いちごちゃんに起きてもらい、病院に連れて行ってもらう。
この日は2月とは思えない穏やかな夜で、星がきれいに見えました。
診療時間外なので、通用口から病院に入り、ナースステーションへ。
助産師さんに診てもらうと、子宮口はまだ開いていないものの、やっぱり破水していたので
このまま入院ということに。
(いちごちゃんは半分寝ぼけ、半分あわてていたからか、車に積むようお願いした私の入院セット
のカバンを積み忘れたので再度家に取りに変えることに)
この時点では満室のため病室に入れず、点滴部屋のベッドで朝まで待機。いちごちゃんは一度帰宅。
私は度々やってくる痛みのため、熟睡はできないものの「体力の消耗を防がないと」と
寝る努力。うつらうつらしながらベッドで過ごします。
朝、先生に診察してもらい、破水し、陣痛はあるものの、まだ赤ちゃんがおりてこないので
朝食を済ませたら、陣痛促進剤と子宮口をやわらかくする薬を点滴することになりました。
8時、朝食。
「今日は長丁場になるかもしれない」
そう思って、陣痛で「いててて」と言いながらも、陣痛の合間に完食。
こういうときも、食欲はバンバン。
朝食後、9時ごろから促進剤の点滴開始。
この頃には陣痛はの間隔は10分を切るくらいでした。
10時45分ごろ。
このころには陣痛は6分間隔ぐらい。
分娩室へ移動することに。いちごちゃんにも「生まれそう」と連絡。
陣痛の波がくると、痛みで歩けず、キャスター付の点滴の台につかまりつつ、休み休み分娩室へ。
分娩室は畳スペースがあったり、なんだか宿直室のような雰囲気のある部屋。
朝、診察してもらった部屋はテレビで見るようないかにも手術室って感じだったんだけど、
あっちの部屋は帝王切開用なのかな?と深く考えず。
と、隣の部屋から「イタイイタイーーー!!!」と絶叫が。
どうやら隣の部屋でもお産真っ最中の模様。あまりに苦しそうな声なので、私もこれから
もっと痛みが増すんだろうかと不安になる。
お腹にまいた分娩監視装置から吐き出されるグラフを見ると、陣痛の波はまだゆるやかに
表示されている。今でも痛いのに、もっと痛くなるの???とがっくり。
11時をまわって、いったん仕事に行ったいちごちゃん到着。
数分おきにやってくる陣痛の間は、とにかく痛いものの、息をとめず、お腹の中の
赤ちゃんに酸素をおくってやる気持ちで「ふーーーー、ふーーーー」と長い呼吸を
するようにしてみる。でも、実際はあまりの痛みで陣痛のピークは苦痛で息を止めがちに・・・。
陣痛の痛みがゆるむタイミングでしか息をおくれない。
実際に陣痛で苦しんでいる時間は短かったものの、
本では「出産は、富士山を2往復するくらい体力が必要」と書いてあったのを思い出し、
「富士山を2往復でも3往復でもしたほうが楽」と正直思ってしまいました。
陣痛は強弱の波を繰り返すので、本当に痛い時間は数十秒、そしていったん痛みが
ひいて、また強い波・・・・といった感じ。痛みがひいても、次の強い波が来るのが
恐怖。気も休まりません。
有線や好きなCDをかけてもらえると聞いていたけれど、とてもそんな
余裕はありません。いちごちゃんが腰をなでたほうが良いか言ってるみたいだけど、
とにかく何もしてほしくなく、ぶんぶん手をふって拒否。強い陣痛の波のときは口をきく
余裕も無し。
たまに分娩監視装置を確認しに助産師さんがくるものの、陣痛の強弱をあらわす
グラフをみては「まだね」っていう感じで戻っていく。
11時半くらい、うんうん苦しんでいると、点滴の管に血が流れ込んだみたいで真っ赤になって
いたので、いちごちゃんに呼びに行ってもらう。
来てくれた助産師さんに「もう、いきみたい?」と聞かれ、「いきみたいって感覚が
よくわかりませんけれど、うんこしたい感じです。」「うんこ1ヶ月分を出したい
みたいな苦しさです」と私。
あとから思い出してもバカなこと言ったな~と・・・・。
と、「あら、それがいきみたいってことよ」と、点滴を直してから、子宮口をチェックしてくれる。
「赤ちゃんがおりてきてるわね」「もう頭が見えてる」とのこと。
「よし!もういきんでいいわよ!!」
そこから陣痛の波と同時に「うーんうーん」といきみ開始。
陣痛がゆるんだときにひとやすみ。これを繰り返します。
何度かいきんでも、なかなか赤ちゃんが出ません。
痛みの中で、目をあけると、なんと先生の手にはさみがキラーン!!
キャーー!切られちゃう!!
切られてなるものか!早く赤ちゃんを出さないと!と力いっぱいいきむものの、時すでに遅し。
チョキチョキーーー!とあそこを切られてしまいました。
でも、噂通り、陣痛の痛さのほうが勝り、切られた痛みは感じません。
そして、クライマックス。
「押しますよ~」「ごめんね~~」の声と同時に助産師さんがお腹をグイグイ!と
押します。これが最高に痛かった。たぶん、「ぐえー」とか声を出しちゃったのでは。
そして「スポン!」て感覚と同時に赤ちゃんが出てきました。
出てきたというより、ひっぱりだされたといった感じだったようです(いちごちゃん談)。
産声は・・・・もう茫然・・・でよく覚えてません・・・・。
11時43分。出産。
陣痛に気付いてから12時間ぐらい。
分娩室に移動してからは2時間かからず。
直前の検診で「絶対、難産で緊急帝王切開になる」という先生(取り上げてくれた先生とは別の先生)
の予想がはずれて良かった~。
母親学級でみたビデオでの出産シーンに感動し、うるうるしたとき、「自分の出産
のときは、なおさら感動して絶対泣いちゃう」と思っていたものの、あまりの壮絶さに
全身汗びっしょりで、感動の涙は出ませんでした。ただ「終わった~~」の充実感ばかり。
そして、コンビニのトイレで赤ちゃんを産んで捨ててく人がいるニュースを思い出し、
どんだけ安産の人なんだ!あんなの無理!とうらやましがってみる。
「へその緒、切りますか?」と助産師さんに聞かれ、いやがるいちごちゃん。
私も「いいです」と首をふる。だって、こわい・・・・。
結局、いちごちゃんがジョキッとへその緒を切り、赤ちゃんの身体測定のため、助産師さんが
いちごちゃんを伴い、赤ちゃんと別室へ。その間に、私は胎盤を出す処置をしてもらう。
胎盤をひっぱり出されると「うんこ1ヶ月分」のお腹の違和感から解放され、ようやく気持ち
が落ち着いてきました。
気持ちが落ち着くと、自分の腕が筋肉痛になっていることに気が付きます。
陣痛の痛みにこらえるため、分娩台の両脇についているバーを力いっぱい握りしめてた
ため、腕が疲労困憊・・・。
先生に会陰切開の傷をぬってもらったあと(自然にとける糸のため抜糸なし)、
助産師さんが測定を終えた赤ちゃんをお腹の上にのせてくれました。
いわゆる「カンガルーケア」です。
でも、正直、まだ実感がわかず、このとき赤ちゃんと一緒に撮ってもらった写真を見ても
私の顔は「なんのこっちゃ」、「茫然・・・」といった表情。もっと笑顔で写真撮れば良かったなぁ。
その後、2時間は体を休めるため、分娩台に寝たまま待機。
その間、昼食が運ばれてきます。大好きなカレー。しかもナンとサフランライスつき。
いいにおい!!食べたい!!!
けれども、体が疲れ切っていて、ほとんど食べられず悔しい思いをしました。
食欲はあり、頭もはっきりしているのに、体が言うこときかず食べられないのって本当に悔しい。
(妙なことばかり覚えています・・・)
14時過ぎ、赤ちゃんの入ったキャスターつきのベッドによりかかるように押しながら、自分で歩いて病室へ移動。
いちご家のおとーさん、おかーさんも来てくれました。
喜んでくれる顔をみて、ああ無事に生まれてくれてヨカッタとあらためてしみじみ感じるのでした。
陣痛の合間に朝食。しっかり完食。
腹が減っては出産できず!
へその緒ジョッキン!
よく来たね~~♪
※この日記は2012年4月27日に自分の備忘録用に書きました。
2月26日(日)(出産前日)
出産予定日まであと1週間。
2月22日の検診では、まだ子宮口の開きもなく、先生から
「あー、まだまだだね」とのお言葉。
それどころか、カルテを見て、「あなた、高齢出産?」「(緊急)帝王切開になるね」
「うん、間違いない、帝王だよ」とのお言葉。
それどころか「高齢だとリスクが高いからこの子を最後の子と思った
ほうがいいよ」とまで。
「今からでも、何かできることありますか?」と聞いても
「あー、ないない。もう遅いよ」だって。
ここまで順調すぎるくらいの妊婦生活だったし、それまでの助産師外来でも
「大丈夫」と太鼓判をもらってきたし、自分でも体力があるからと
出産も、まあ何とかなるんじゃないかな~と楽観していたので
この言葉がショックで、頭にくるわ、悔しいわで、待合室に出てからもべそをかく始末。
絶対、スムーズな出産にしてやりたい!と、子宮口をやわらかくすると口コミサイト
で有名なハーブティーを買って、毎日何杯も飲んだり、安産のツボと言われる三陰交の
ツボをぐりぐり刺激したり、悪あがきをしてみました。
検診直後は、はらわた煮えくり返るくらいの思いだったけれど、落ち着いて考えて
みると、出産を少しなめていた私に、先生が喝を入れてくれたのだと思えるように
なりました。
さて、前置きが長くなりましたが、出産前日は、日曜日だったので、いちごちゃんと、
ホームセンターだとか原信(スーパー)だとかに買い物に行く程度で、のんびり過ごしていました。
夜中に陣痛が始まることも全く予想せず。
(つづく・・・)