「ジャワの宗教と社会」福島真人著の記述内容にそって、4大クバティナンの状況を見ていきましょう。
そして、「始まりの物語」の1979年の記述、まずはここから始めましょう。<--リンク
1979年 クバティナン諸派(引用注:含むバパの協会)の管轄が宗教省から教育文化省に変更された。
同時に「唯一なる神への信徒協会」(HPK:注1)がクバティナンの唯一の公認組織体となる。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)
但し、インドネシア全国レベルで信者を有するのは以下の4つのもの。
スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派・・・1万人(全世界合計)
パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人
サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い
スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人
そうしてスマラーのみが「唯一なる神への信徒協会」に参加し、この組織のトップを歴任している。
(注1)
Himpunan Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan YangMaha Esa :HPK 信徒協会
以上、P111、P175、P380、P385、JAVANESE MYSTICAL MOVEMENTS より
1、サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い
P99の記述では「数十万人の信者がいる」とありますが、自分たちのカウントと外部のカウントが合わないのはいつものことであります。
実際「JAVANESE MYSTICAL MOVEMENTS」の記述では<--リンク
「1982年 教育文化省に登録されている「信仰」団体数は93で、中部ジャワ合計でトータル123570名の会員数でした。」とあります。
これが正しいとするならば、サプト・ダルモのみですでにこの人数を上回っていることになってしまいます。
さて、サプト・ダルモは1954年ころに始まったものであるらしい。(Apakah Itu Sapta Dharma?)<--リンク
初代 Sri Gotama 二代目 Sri Pawenang女史。(P385)
このグループの基本的な宗教実践は、クンダリーニ・ヨガそのものであり、生命のエネルギーが背骨を通って徐々に頭頂に向かって上がっていき、そのエネルギーの上下に従って胡坐をかいている信者の体が前屈したり、元に戻ったりする。
そして究極的にはそのエネルギーは頭頂から天に向かって放出され、神との一体化をはかるという。
ただし彼らはそれがクンダリーニ・ヨガの一派であるとは決して認めない。・・・(P107)
・・・他のクバティナン・グループと一線を画したいという気持ちが強く、公的にはクロハニアン(kerohanian つまりrohani精神に関係したことの意)という名称をもちい、「クバティナンとは違う」という姿勢を鮮明にしている。
・・・その意味では特にイスラムに対する敵意をあらわにすることも多かった。(P108)
つまり彼らは「自分たちは独自の宗教である」という「暗黙の主張」をしている。
しかしながらインドネシアでは「宗教(agama)」は公認された6つの「世界宗教」しか使う事ができないコトバなのである。
それゆえに彼らの主張の仕方は「屈折したもの」にならざるを得なくなってしまうのでした。
ちなみにサプト・ダルモ (Sapta Darma)についてのより詳細な説明は『スマルとは何者か? Apa dan Siapakah Semar? 』という資料の10~11ページに書かれてありました。<--リンク
興味のある方はご参照ください。
2、パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人
この協会は、ソロ1949年5月20日に設立されました、神の永遠の教祖真/メッセンジャーの教えを通して高貴な魂(内側の良識を)構築することにより、心、平和と幸福の平和を必要とする人に開かれています。
真のマスターの教えは、最初の2月14日、その後1932年にR. Soenarto Mertowardojoによって受信された、真のマスターの教えは、周りの人に知られ、求められています。
インドネシア内に204支部をもち会員数20万人。
パンゲストゥーは新しい宗教ではなく、神からの啓示による宗教と競合することはない。 <--リンク
このグループは非常に包括的な神学の教義体系を持ち、それに関連した倫理的行為を特に強調している。
彼らは他のクバティナン組織が強調している瞑想や行といったものにそれほど重きをおかず、日常的な実践が大切と考える教団である。
複数の宗教(キリスト教、イスラム、仏教)を統合した複雑な神学は、知性主義的な傾向をもち、それゆえ大都市のインテリ層の間で特に信者が多い。(P100,P107)
3、スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人
1935年~37年にかけてのSukinohartono(Pak Kino)の体験を起源とする。
そうして、Pak KinoはスブドヘルパーWignosupartonoによってオープンされた様です。<--リンク
つまり、かれは一時期ラティハンを実習していた、、、訳でありますね。
会員数は1977年で6000名ほどの様です。<--リンク
この教団は一般にパモン(pamong)と呼ばれる瞑想の個別指導者を中心に、彼との対話と共同の瞑想で、ある種の霊的直観力(rasa)を訓練していくもので、やはりドクトリンよりも具体的な瞑想の訓練そのものが活動の中心になる。
また、このグループは外国人の信徒も多い。
それから、信仰協会(HPK)などの政治活動、政治参加に積極的である。(P108)
4、スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派
1925年のムハンマド・スブー(Muhammad Subuh)の体験に起源をもつ。<--リンク
ムハンマド・スブーは、人々はもはや言葉だけを信じていない、そうして個人的な証拠や宗教的あるいは精神的なリアリティーの証明を要求するものとして、現代を見ました。
彼はスブドは新しい教育や宗教ではなく、latihan kejiwaan自体は人類が探していることの証明のようなものであるということだけを主張しました。
彼はまた、kebatinan組織としてスブドの分類を拒否しました。
今スブドグループは約83カ国で約10,000の会員数です。<--リンク
この教団はエクスタシー型の自己催眠のような経験を強調する。
その訓練は基本的に指導者と新人がペアで行い、指導者がエクスタシー状態になるのに応じて、新人もそうなれるように訓練していく。
このエクスタシー状態というのは神との直接的な接触であると考えられており、それによって心身が浄化される。
これを外から見ると、部屋を暗くして例会が始まると同時に参加者の間でうめき声やすすり泣き、あるいは歌声などが一斉に起こり、ある者はうろうろ歩きまわり、またある者は転げまわったりとかなり壮絶な状態になる。
スブドはジャカルタでおおきな影響をもつと同時に世界的にもかなりかなり広まっていると彼らは強調している。
・・・スブドにはこれといった教義体系は存在せず、基本的に実践中心である。(P108)
5、まとめ
以上から、クバティナン諸派の「クバティナンは法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)である。」という政府の方針に対しての反応は以下のようになります。
1、サプト・ダルモ (Sapta Darma)・・・七つの義務・・・1万人・・・反イスラム意識が高い・・・我々はクバティナンではない・・・否定的反応
2、パンゲストゥー (Pangestu)・・・祝福・・・5万人・・・その立場でよい・・・肯定的反応
3、スマラー (Sumarah)・・・服従・・・0.6万人・・・「信仰協会」に積極的に参加・・・積極的反応
4、スブド (Subud)・・・徳、善行・・・イスラムと共存する派・・・1万人(全世界合計)・・・我々はクバティナンではない・・・否定的反応
以下参考。
1973年 国家政策大綱に「宗教」と並んで「唯一なる神への信仰」(Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)という言葉が正式に明記され、これによってクバティナンは「信仰」として正式な認可を受けることになった。(ジャワの宗教と社会 P380より引用)
これによりクバティナン諸派は法的には「唯一なる神への信仰の徒」(Penghayat Kepercayaan terhadap Tuhan Yang Maha Esa)ということになった。(同書 P106)
PS
・・・スブドにはこれといった教義体系は存在せず、基本的に実践中心である。(P108)
まあ外側から観察したら、外部に対してあまり情報を出さない団体についてはそのような結論に至るのも仕方のないことであります。
しかし、4つのナフス(nafsu)をもつ人間と7つ+2つのロホ(Roh)からなる生命世界を前提に展開されるバパの話が何の体系もないもの、、、などということはあり得ません。<--リンク
あるいは、たとえば「スシラ ブディ ダルマ」を読まれていたらまた違う記述になったかとも思われます。<--リンク
まあそうではありますが、福島さんの調査にそこまでの詳細さを求めるのも酷というものであります。
追記
以下バパによるクバティナン(kebatinan)の定義です。
『普通、スピリチュアル トレーニングは、インドネシアでクバティナン(kebatinan)と呼ばれるものは、沈黙の中で、静かに思考を集中させることによって行われます。
あるいは、意識を集中し、思考をなくすことで行われます。
事実、それを行う時は、普通食べ物や睡眠をへらし、時には人間社会から遠く離れたさみしい場所にとどまります。・・・』(1963年6月29日)
このバパのクバティナンの定義に従うならば、「ラティハンはクバティナンではない。」という事になります。
従って、上記の様に「我々はクバティナンではない」と主張する事になります。
しかしながら、インドネシアにおいてはこのバパの主張は一般的には認められる事はなかった模様です。
(仮にバパの主張を認めたとしても、宗教団体登録は政府により拒絶されている為、残された唯一の政府公認の団体登録は「信仰団体登録」、つまり一般には「クバティナン登録」として知られているものしかないのが実情です。)
ちなみに「あるいは、意識を集中し、思考をなくすことで行われます。」の例としてはこのようなものになります。<--リンク
PS
インドネシアと日本の宗教選択制について
まずはここから始めましょう。
1965年 バパの協会を含む多くのいわるゆる「新宗教」は厳格なイスラム教徒とキリスト教団体からの圧力の下での大統領決定により「宗教」とはみとめられなかった。
こうしてパンチャシラ及び憲法のいうところの「宗教」とは「イスラム教、キリスト教(プロテスタント、カトリック)、ヒンドゥー教、仏教、儒教」ということになったのであります。
今までは憲法は「信仰」(Ketuhanan Yang Maha Esa、唯一なる神格)を奨励し、宗教の状態をサポートしていたが、法律がまだ「宗教」を構成するものを明確にしていなかったのでした。
ーーー この部分はSUBUD (Susila Budhi Dharma) (Religious Movement)からの引用です。<--リンク
後日に至りて儒教は仏教の中に吸収され、現在では公認宗教は5つになっている模様です。(「ジャワの宗教と社会」福島真人)
こうしてインドネシアでは事実上、すべての国民は政府の要請により、何らかの宗教をもつことになりました。
さて、それでは現在のインドネシアの宗教%はどうかといいますと、
イスラム教・・・87%
キリスト教・・・10%
ヒンドゥー教・・・2%
仏教・・・1%
合計で100%。
皆さん全員、なんらかの宗教に属しておられます。<--リンク
この話を最初に聞いたときは「どこかで聞いた事があるなあ」と思いました。
そう、寺請制度ですね。
江戸時代に施行された、寺請制度、以下Wikiよりの引用です。<--リンク
寺請制度(てらうけせいど)は、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。
寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。
必然的に民衆は寺請をしてもらう寺院の檀家となったため、檀家制度や寺檀制度とも呼ばれる。・・・
こうして一度民衆とお寺が結び付けられますと、そこから慣習が生まれてきます。
・・・1700年頃には寺院側も檀家に対してその責務を説くようになり、常時の参詣、年忌命日法要の施行、祖師忌・釈迦の誕生日・釈迦涅槃日・盆・春秋の彼岸の寺参り(墓参り)を挙げている。
以上、「檀家制度の確立」から引用です。<--リンク
こうして現代でも存在する各種の慣習が生まれてきました。
そのような環境に生まれてくれば、家の宗教が自分にとってなじみが深くなるのは当たり前のことであります。
こうして日本の場合は選択宗教制ではなく宗教固定(仏教)宗派選択制ではありますが、宗教に対する統制が行われて来たのでありました。
PS
ご参考までに。
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