1、ラティハンが人類の三分の一に広まれば、戦争はなくなるだろう。
2、ロハ二レベルが7万人登場すれば、人類の意識は変化し、人が作り出すであろう災害はなくなる。
3、ラフマニレベルが200人登場すれば、同上。
(2,3、については「Subudについて」の108~109ページを参照願います。)<--リンク
これがバパの人類救済計画でした。
そうなる為にも一刻も早く多くの人にラティハンを広めたかったのであります。
そうしてこれらは1から3という順序で達成されるものです。
つまりは、会員数が増えないとジャスマニ男とジャスマニ女の出会いによる結婚が起こらず、ロハ二レベルでの子供が生まれる可能性がなくなります。
そうして、ロハ二レベルの会員が増えないとそこからラフマニレベルへの進化が起こる可能性がありません。
そうであればまずは会員数をふやし、ラティハンによりジャスマニレベルまで引き上げ、そうして結婚させる。
そうやってロハ二レベルの子供を誕生させる、のがなによりの希望であったかと思われます。
その為の世界旅行でありエンタプライズであったことでしょう。
そうでなければあればあれほどにはスシラ ブディ ダルマの人間力の項目で夫婦間の行為については語らないと思われます。
そうして本来ならば人間力については語るべきことは他にもたくさんあったかと思われます。
さてそれで実情は、といいますと、会員数はそれほどふえずに、そうしてまたジャスマニレベル同士の結婚もそれほどおこらず、ロハ二レベルの子供の誕生はなかった模様です。
あるいは、そのように熱心にその行為について語られるのは、人類の堕落(人類全体のカルマ)を引き起こしてきたその原動力、原因とまでは言いませんが、それに強く関係しているものがその夫婦間の行為とその結果誕生することになる子供にある、というバパの認識があった様に思われます。
従って、そのような状況は正されねばならない、、、と。
他方で、バパはかなりそのような事が起こる事を急がれた印象があります。
なぜでしょうか?
アルカイダやISISの登場と関係があるのでしょうか?
バパが存命中はこれらのいわゆるイスラム原理主義によるテロと呼ばれる行為はまだありませんでした。
そうしてこれらのテロ行為はイスラムの評判を落とすのには十分でした。
このような事態は到底バパには受け入れられなかったものでしょう。
なにせイラン革命やホメイニ師の登場にすら批判的でありましたから。
現在のようなイスラムを語る者たちの武力闘争というものも、もし中東のイスラム圏にラティハンが広く受け入れられていたら状況はまた違ったものになっていたかもしれませんが、そのような事は起こらなかったのであります。
そして残念ながらラティハンの中東イスラム諸国への展開はその入口でつまずきました。
この件、詳細は「カイロからのニュース」をご参照ねがいます。
PS
↓関連記事です。
雑記帳14・宗教的寛容性<--リンク
PS
バパの人類救済計画、この大前提は17歳でオープンされた若者が15年から、遅くとも20年ぐらいでジャスマニレベルを卒業出来るほどに浄化される事が出来る、というものでした。
これは今の我々のラティハンのペースから考えると、「とてつもない早さ」ということになります。
68.2.15 バンドン 20年から30年後、神の力を全世界が知り衝撃を受けるだろう。
かつてはこのようなトークがありました。
その頃のラティハンはとても強かったのか、あるいはこれは単なるバパの予測ミスなのかは不明であります。
但し、バパと共に行うラティハンはとても強かったのは事実ではあります。
しかしながら、我々の進み具合はとてもゆっくりとしたものであって、到底先の予測には合致してはいませんでした。
その為に後日のトーク(1979年)で修正が入りました。
20年から30年後→800年後に変化、30から40倍に年月が伸びる。
これでは当初、バパが考えたような「新しい人類の誕生による、人類の救済」というのは無理という事になります。
17歳でオープンした若者がその一生のうちにジャスマニレベルまで到達できるかどうかさえ、不確かな事になりますので。
それでは到底「新しい人類を生み出す事」など出来はしないのであります。
そうして残念ながら、状況はそのように推移したのでありました。
PS
ラティハンの登場によって今までなかった、覚性への道が開かれたことは明らかでありましょう。
しかしながら、その道は当初言われてたほどには「楽に歩ける道」ではなかった様です。
結局のところ、自分たちの心、ナフス、思考心と言うようなものが邪魔をします。
そうして、それらの事にどれほど自覚的になり、対応していけるのか、と言う事が問われる事になります。
確かに「一人静かに座って心を落ち着けて悟る」様な道ではありません。
世間の中にあって、世間と共に動いて、それでもなおかつ悟る、という道であります。
そうであればそれなりの覚悟と言うものがそこには必要になってきます。
まあ人類全体の事は人類にまかせましょう。
我々はこの自分一人の身をまずは面倒見ることからはじめる事ができればそれで十分であります。
PS
「雑記帳・目次」にはこちらから入れます。<--リンク
2、ロハ二レベルが7万人登場すれば、人類の意識は変化し、人が作り出すであろう災害はなくなる。
3、ラフマニレベルが200人登場すれば、同上。
(2,3、については「Subudについて」の108~109ページを参照願います。)<--リンク
これがバパの人類救済計画でした。
そうなる為にも一刻も早く多くの人にラティハンを広めたかったのであります。
そうしてこれらは1から3という順序で達成されるものです。
つまりは、会員数が増えないとジャスマニ男とジャスマニ女の出会いによる結婚が起こらず、ロハ二レベルでの子供が生まれる可能性がなくなります。
そうして、ロハ二レベルの会員が増えないとそこからラフマニレベルへの進化が起こる可能性がありません。
そうであればまずは会員数をふやし、ラティハンによりジャスマニレベルまで引き上げ、そうして結婚させる。
そうやってロハ二レベルの子供を誕生させる、のがなによりの希望であったかと思われます。
その為の世界旅行でありエンタプライズであったことでしょう。
そうでなければあればあれほどにはスシラ ブディ ダルマの人間力の項目で夫婦間の行為については語らないと思われます。
そうして本来ならば人間力については語るべきことは他にもたくさんあったかと思われます。
さてそれで実情は、といいますと、会員数はそれほどふえずに、そうしてまたジャスマニレベル同士の結婚もそれほどおこらず、ロハ二レベルの子供の誕生はなかった模様です。
あるいは、そのように熱心にその行為について語られるのは、人類の堕落(人類全体のカルマ)を引き起こしてきたその原動力、原因とまでは言いませんが、それに強く関係しているものがその夫婦間の行為とその結果誕生することになる子供にある、というバパの認識があった様に思われます。
従って、そのような状況は正されねばならない、、、と。
他方で、バパはかなりそのような事が起こる事を急がれた印象があります。
なぜでしょうか?
アルカイダやISISの登場と関係があるのでしょうか?
バパが存命中はこれらのいわゆるイスラム原理主義によるテロと呼ばれる行為はまだありませんでした。
そうしてこれらのテロ行為はイスラムの評判を落とすのには十分でした。
このような事態は到底バパには受け入れられなかったものでしょう。
なにせイラン革命やホメイニ師の登場にすら批判的でありましたから。
現在のようなイスラムを語る者たちの武力闘争というものも、もし中東のイスラム圏にラティハンが広く受け入れられていたら状況はまた違ったものになっていたかもしれませんが、そのような事は起こらなかったのであります。
そして残念ながらラティハンの中東イスラム諸国への展開はその入口でつまずきました。
この件、詳細は「カイロからのニュース」をご参照ねがいます。
PS
↓関連記事です。
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PS
バパの人類救済計画、この大前提は17歳でオープンされた若者が15年から、遅くとも20年ぐらいでジャスマニレベルを卒業出来るほどに浄化される事が出来る、というものでした。
これは今の我々のラティハンのペースから考えると、「とてつもない早さ」ということになります。
68.2.15 バンドン 20年から30年後、神の力を全世界が知り衝撃を受けるだろう。
かつてはこのようなトークがありました。
その頃のラティハンはとても強かったのか、あるいはこれは単なるバパの予測ミスなのかは不明であります。
但し、バパと共に行うラティハンはとても強かったのは事実ではあります。
しかしながら、我々の進み具合はとてもゆっくりとしたものであって、到底先の予測には合致してはいませんでした。
その為に後日のトーク(1979年)で修正が入りました。
20年から30年後→800年後に変化、30から40倍に年月が伸びる。
これでは当初、バパが考えたような「新しい人類の誕生による、人類の救済」というのは無理という事になります。
17歳でオープンした若者がその一生のうちにジャスマニレベルまで到達できるかどうかさえ、不確かな事になりますので。
それでは到底「新しい人類を生み出す事」など出来はしないのであります。
そうして残念ながら、状況はそのように推移したのでありました。
PS
ラティハンの登場によって今までなかった、覚性への道が開かれたことは明らかでありましょう。
しかしながら、その道は当初言われてたほどには「楽に歩ける道」ではなかった様です。
結局のところ、自分たちの心、ナフス、思考心と言うようなものが邪魔をします。
そうして、それらの事にどれほど自覚的になり、対応していけるのか、と言う事が問われる事になります。
確かに「一人静かに座って心を落ち着けて悟る」様な道ではありません。
世間の中にあって、世間と共に動いて、それでもなおかつ悟る、という道であります。
そうであればそれなりの覚悟と言うものがそこには必要になってきます。
まあ人類全体の事は人類にまかせましょう。
我々はこの自分一人の身をまずは面倒見ることからはじめる事ができればそれで十分であります。
PS
「雑記帳・目次」にはこちらから入れます。<--リンク