世界は宗教的寛容性の欠如の為に苦しんでいる様にみえる。
彼らは我々とは違う、というものだ。
双方がお互いの相違点を上げて差別し、非難しあう。
そこからは何も生まれないし、その先にあるのは暴力沙汰だけである。
さて、他方でラティハンはそのような差別やら非難やら相違点やらという世界とは別物である。
そこにあるのはただ我々は同じものである、という感覚である。
そうしてそこに、ラティハンが人類の中に広まる事による、人類の平和共存の可能性が見えているのであります。
ところで、ラティハンがそうであるのに、何故にラティハンの入り口で、ある特定の人たちにとって困難になるような状況を設定するのか?
宗教的にはとても「寛容である」といえる状況ではない様にするのか?
それはさかのぼってみれば、本来は無色透明なラティハンというものにイスラムの、あるいはアブラハムの宗教の匂いや影をつけてしまったバパのトークゆえの様にみえる。
バパは熱心なイスラムであったがゆえにそのことをあまり責めるつもりはない。
しかしながら、素直にいわせていただくならば、「バパの事実上、宗教的には不寛容に見える態度がそのまま現在の協会に引き継がれている」様にみえる。
そうしてこの事は、「ラティハンが目指すものは、ラティハンが表現しているものは、宗教的な寛容性である」という事実とは明らかに矛盾しているのであります。
PS
オープンの前にイスラム流のあからさまな信仰告白をしなくてはならない、というのはこれはバパが導入したバパ流の「けじめのつけ方」でありましょう。
「今からは誠実にラティハンを実習していきます。」という一つの態度表明かと思われます。
しかしながらいかんせん、インドネシアでは誰にとっても、何の抵抗もなく出来る事が、この日本では人口の1%以下の人にしかそうはなりません。
そのような信仰告白は我々日本人にとっては本当になじみがない作法なのであります。
そうして、その信仰告白のコトバに特別な力があって、それが魔法の呪文のように作用してラティハンが始まる訳ではないのです。
もしそうならば、そのコトバはオープンの必要条件になりますが、そうではない事例がたしかに見られています。
そうであれば、そのコトバをいう事は必要条件ではなく、せいぜいがバパ流の「望ましい条件」という所が相当であると思われます。
PS
さてそれで、宗教的な寛容ということは、日本人にとっては朝飯前、大得意とする所であるはずなのですがねえ。
何故かみなさん、ガッチガチであります。
PS
↓関連記事です。
雑記帳19・人と人とを結びつけるもの<--リンク
PS
バパが生まれたインドネシアという国、そしてその当時の政治的な、宗教的な状況ゆえにバパがあまり宗教的には寛容でないようにふるまわざるを得なかった、そのような外的な状況は確かにあったかと思われます。
それゆえに、バパがあまり寛容でなかったという事に対してはそれを責める、というものではありません。
しかしながら、我々が体験してきているラティハンの広さ、その一体感にてらしてみれば、何も我々が単に「バパがそうであったから」という理由で不寛容な態度を持ち続ける必要性はどこにもないように思われます。
そうしてラティハンも「宗教的には寛容である」という態度を支持している様に見えるのでありました。
PS
・エジプト300人超死亡テロ事件 礼拝中のイスラム教徒標的に衝撃<--リンク
これはもうほとんど「唯一自分たちの理解のみが正しいと考えている教条主義者たち」の末期的症状であります。
PS
・イスラム教徒墓難民 九州土葬用施設なく 偏見や抵抗感…新設に壁<--リンク
この記事からわかる様に、我々日本人のもっている「宗教的寛容性」というのは「あまり宗教の事を意識しない、という寛容性」の様です。
つまり「あなたが何を信仰されていようがそれはあなたの自由だ。しかし、ニッポンの常識やら生活習慣には従ってもらう。」という程度のものです。
従って我々にはもうなじみが無くなってしまった「土葬」という風習には、そのような行為には抵抗感を持つのです。
それでも「宗教が違う」といって暴力沙汰になるよりは随分と「マシ」とは思われます。
まあしかしそれでもかつては我らが国も「土葬の国」でありました。
それからすればこれは「慣れの問題」とも言えそうであります。
PS
・強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ<--リンク
時代は動き、ブッダが想定しないような仏教集団が現われてきています。
そうして、これは本当に残念な事であります。(2018.3)
PS
「雑記帳・目次」にはこちらから入れます。<--リンク
彼らは我々とは違う、というものだ。
双方がお互いの相違点を上げて差別し、非難しあう。
そこからは何も生まれないし、その先にあるのは暴力沙汰だけである。
さて、他方でラティハンはそのような差別やら非難やら相違点やらという世界とは別物である。
そこにあるのはただ我々は同じものである、という感覚である。
そうしてそこに、ラティハンが人類の中に広まる事による、人類の平和共存の可能性が見えているのであります。
ところで、ラティハンがそうであるのに、何故にラティハンの入り口で、ある特定の人たちにとって困難になるような状況を設定するのか?
宗教的にはとても「寛容である」といえる状況ではない様にするのか?
それはさかのぼってみれば、本来は無色透明なラティハンというものにイスラムの、あるいはアブラハムの宗教の匂いや影をつけてしまったバパのトークゆえの様にみえる。
バパは熱心なイスラムであったがゆえにそのことをあまり責めるつもりはない。
しかしながら、素直にいわせていただくならば、「バパの事実上、宗教的には不寛容に見える態度がそのまま現在の協会に引き継がれている」様にみえる。
そうしてこの事は、「ラティハンが目指すものは、ラティハンが表現しているものは、宗教的な寛容性である」という事実とは明らかに矛盾しているのであります。
PS
オープンの前にイスラム流のあからさまな信仰告白をしなくてはならない、というのはこれはバパが導入したバパ流の「けじめのつけ方」でありましょう。
「今からは誠実にラティハンを実習していきます。」という一つの態度表明かと思われます。
しかしながらいかんせん、インドネシアでは誰にとっても、何の抵抗もなく出来る事が、この日本では人口の1%以下の人にしかそうはなりません。
そのような信仰告白は我々日本人にとっては本当になじみがない作法なのであります。
そうして、その信仰告白のコトバに特別な力があって、それが魔法の呪文のように作用してラティハンが始まる訳ではないのです。
もしそうならば、そのコトバはオープンの必要条件になりますが、そうではない事例がたしかに見られています。
そうであれば、そのコトバをいう事は必要条件ではなく、せいぜいがバパ流の「望ましい条件」という所が相当であると思われます。
PS
さてそれで、宗教的な寛容ということは、日本人にとっては朝飯前、大得意とする所であるはずなのですがねえ。
何故かみなさん、ガッチガチであります。
PS
↓関連記事です。
雑記帳19・人と人とを結びつけるもの<--リンク
PS
バパが生まれたインドネシアという国、そしてその当時の政治的な、宗教的な状況ゆえにバパがあまり宗教的には寛容でないようにふるまわざるを得なかった、そのような外的な状況は確かにあったかと思われます。
それゆえに、バパがあまり寛容でなかったという事に対してはそれを責める、というものではありません。
しかしながら、我々が体験してきているラティハンの広さ、その一体感にてらしてみれば、何も我々が単に「バパがそうであったから」という理由で不寛容な態度を持ち続ける必要性はどこにもないように思われます。
そうしてラティハンも「宗教的には寛容である」という態度を支持している様に見えるのでありました。
PS
・エジプト300人超死亡テロ事件 礼拝中のイスラム教徒標的に衝撃<--リンク
これはもうほとんど「唯一自分たちの理解のみが正しいと考えている教条主義者たち」の末期的症状であります。
PS
・イスラム教徒墓難民 九州土葬用施設なく 偏見や抵抗感…新設に壁<--リンク
この記事からわかる様に、我々日本人のもっている「宗教的寛容性」というのは「あまり宗教の事を意識しない、という寛容性」の様です。
つまり「あなたが何を信仰されていようがそれはあなたの自由だ。しかし、ニッポンの常識やら生活習慣には従ってもらう。」という程度のものです。
従って我々にはもうなじみが無くなってしまった「土葬」という風習には、そのような行為には抵抗感を持つのです。
それでも「宗教が違う」といって暴力沙汰になるよりは随分と「マシ」とは思われます。
まあしかしそれでもかつては我らが国も「土葬の国」でありました。
それからすればこれは「慣れの問題」とも言えそうであります。
PS
・強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ<--リンク
時代は動き、ブッダが想定しないような仏教集団が現われてきています。
そうして、これは本当に残念な事であります。(2018.3)
PS
「雑記帳・目次」にはこちらから入れます。<--リンク