さて、ことしの年次総会に送られてきた二代目のメッセージはまるで日本に対するレクイエムでありました。
「50年がんばってきましたが、次第に小さくなりましたね。」と。
「でも落ち込まないで、気を確かに持って下さい、、、」ですか。
まあ全会員の1%にも満たない日本の会員数でありますから、二代目にすればそんなところでありましょうか。
さてその二代目のご発言から見て行きましょう。
実のところ、私たちは会員数によって我々の協会を評価することはしません。
・・・・・・
ですから、たとえ会員の数が減っても、もっと多くの人が我々の協会を求めてやってきます。
・・・・・・
(06・10・17 CDK)
そうですか。
今は減少しても「そのうちに増加に転じる」のですか。
でもそれは何時のことなんでしょうね。
そうして、インドネシアではそうなのかもしれませんが、日本についてはどうやらそれまで持ちそうにもありません、、、。
ですので日本にいると、二代目のコトバはまるで「ファンタジー」のようであります。
あるいは・・・
「もし協会が消えてしまうなら、それに任せて下さい。
それは再び生じるでしょうから」と答えました。
(12・2・24 JOG)
いやいや、一度ある国から協会がなくなれば再びその国に協会が誕生することなどはないでしょう。
理由があって会員数が減少し、そうして協会が消滅するのです。
ですので、その理由をさがして改善する以外に協会を安定して存続させる方法などはありません。
それから、一度消えてしまったラティハンの炎を再びその国で復活させるには多分バパ程の存在をもう一度必要とするでしょう。
ですのでこれは二代目が言う様に「ほかっておけばその内また生える」様なものではないと思われます。
そうして・・・・
バパが生きていた時は80カ国ぐらいでしたが、今ではおそらく100カ国にまで協会は広まったでしょう。
(12・2・24 JOG)
バパが作った協会は依然としてあらゆる種類の場所で芽を出しており、国から国へと広がる事によって成長しています。
(14・7・21 CDK)
いやいやそうではありません。
この15年の間に75カ国から56カ国へ減少していますよ。<--リンク
そうやってたとえば我々のエリアではバングラデッシュ、香港、イラン、パキスタン、フィリピン、シンガポールから協会が消滅してしまったのでありました。
そして残念ではありますが、どうやら二代目統治の時代は会員数の単調減少の時代と重なりあう様であります。
さて以上の事から分かる様に二代目は
1、会員数のことをあまり気にしていない。(増やそう、、、という意思が感じられない。)
2、ある国から協会の存在が消えても「仕方がない」、あるいは「自然である」と考えている。(消えても簡単に再生できる、、、とお考えの様子。)
3、現状は「バパの時代の75カ国からさらに増加して100カ国に広がった」と勘違いしている。(事実は56カ国に縮小)
さて、そのようである二代目に「日本の国の協会の存続についての相談」をしてみてもあまり効果的とはおもえません。
そしてそれは「それぞれの国での協会の存続の責任はそれぞれの国が持て」という事でもあります。(注1)
さらに言えば、協会の国際的なセンターは存在して、そうしてそこからいろいろなアドバイスは送られてきますが(含む二代目からのアドバイス)、それらに従っていれば「自国の協会の存続が自動的に保証される、、、訳ではない」ということでもありますね。
そういう訳で我々は自分の国の協会の存続に責任があります。
我々は「何故に会員数が維持できないのか」理解し対応する必要があるのです。
そうしてこれは自分の国の次世代の人々に対する「我々が負うべき責任」でもありますね。
「ラティハンに参加したいのだがこの国のどこにもラティハンが存在しない」という状況は最悪であります。
そうして、それはまた「バパの努力を無にするもの」でもあります。(注2)
そうならない様に、そうして二代目の予想を跳ね返す形で「日本の中でずうっと存続していけるあり方」を探し出さねばなりません。
これが最優先課題でありましょう。
そうしてそれが「二代目から送られてきたレクイエムに対する我々の回答」でなければなりませんね。
PS(注1)
・・・・・・・
バパにより作られたこの協会は50年以上たちましたが、現在のところ、重大な問題はありません。
・・・・・・・
(12・12・27 PAM)
75カ国から56カ国に減少し、そうして今後も存続できるかどうか危機感を感じている多くの国の事は「重大な問題とは認識していない」、ということであります。
あるいは届いたメッセージにありますように「お国では会員数が減少傾向にあり大変でしょうが、がんばってください」と。
つまりは「お国での協会の存続はあなたがたのやり方次第」という事でありますね。
PS(注2)
・・・・・・・
バパが今まで受けたものは、最早や人類の1グループや一部分に限定されないものです。
それは人類全体のためのものです。
即ち全人類のため、つまりあらゆる国民、あらゆる宗教、あらゆる人種のためのものです。
・・・・・・・
(83・8・11LON)
さて、そういう訳でバパは幾たびも日本を訪れてくれたのでありますね。
そしてそれは「バパの努力そのもの」でもありました。
PS
「バパの言いつけ、あるいは二代目の言うとおりにしていたら協会がつぶれました。
でも我々に責任はありません。
言われたとおりにやっていたのですから、、、。」
よもやそんな言い訳が通る、、、などとは思っていませんよね。
こんな言い訳が通るのは小学校に入る前の子供達だけであります。
PS
余談ながら、(14・7・21 CDK)の二代目の発言から少々引用してみます。
「バパが与えてくれたガイドラインに変更を加える事」について、「反対である」と表明されたあと、「こういう事はイスラムでも起こりました。」と続きます。
「一つのイスラム教から始まって今ではおそらく百の形体のイスラム教が存在します。
(そして)この事は我々の協会でも起こり始めています。・・・・・」
ガイドラインに変更を加えると多様化が始まるーー>でも多様化は認められない
そういう主張でありますね。
さて二代目は「イスラム教で起きた様な多様なイスラムというのには反対だ」と主張しているのです。
でもそれでは、バパが所属していた、そうして二代目も所属しているであろう「ジャワイスラム」は困ってしまいますね。
「ワリ達のイスラム」である「ジャワイスラム」は明らかに「最初のイスラム」ではありません。
それは「百の形体のイスラム」のなかの「一つ」であります。
それはワリ・ソンゴによって「ジャワの人たちが受け入れやすいように変更が加えられたイスラム」であります。<--リンク
スナン・カリジョゴ(Sunan Kalijaga)をはじめとするワリ・ソンゴがいて「ジャワイスラムが成立」し、そうしてバパにつながりラティハンが啓示された。<--リンク
「多様なイスラムを認めない」とする立場は「この歴史的経緯を認めない」と言う事であり、「ご自分のよって立つ所を認めない事」の様に思われますが、いかがなものでありましょうか?
あるいは、自分たちが「大切なもの(イスラム)」を受け取る時には「多様化の恩恵(ジャワイスラム化)」を享受しながら、今度は自分たちが「大切なもの(ラティハン)」を受け渡す時には「多様化の恩恵は一切認めない」ということでありましょうか?
でもそれではなにやら少々「けちくさい話」の様に聞こえてしまいます。
さてイスラムというものは「多様性を認めないほど狭いもの」ではないでしょう。
そうでありますれば、これほど多くの国や民族に支持されているのでありましょう。
同じ事はキリスト教にも仏教にも言えそうであります。
それらの宗教もまた「大いなる多様性」を持っているのでありますね。
まあそうでなければ「世界中に広まる」と言う事など決して起こり得なかったでありましょう。
そういう訳で「頑なに多様性を否定する」ということは、好き好んで「先細りの道を選んでいる」様に思えてならないのでありました。
PS
ローマ法王も多様性には賛成の様でありますね。<--リンク
この柔軟性があってこその「カトリックの強さ」でありましょう。
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
「50年がんばってきましたが、次第に小さくなりましたね。」と。
「でも落ち込まないで、気を確かに持って下さい、、、」ですか。
まあ全会員の1%にも満たない日本の会員数でありますから、二代目にすればそんなところでありましょうか。
さてその二代目のご発言から見て行きましょう。
実のところ、私たちは会員数によって我々の協会を評価することはしません。
・・・・・・
ですから、たとえ会員の数が減っても、もっと多くの人が我々の協会を求めてやってきます。
・・・・・・
(06・10・17 CDK)
そうですか。
今は減少しても「そのうちに増加に転じる」のですか。
でもそれは何時のことなんでしょうね。
そうして、インドネシアではそうなのかもしれませんが、日本についてはどうやらそれまで持ちそうにもありません、、、。
ですので日本にいると、二代目のコトバはまるで「ファンタジー」のようであります。
あるいは・・・
「もし協会が消えてしまうなら、それに任せて下さい。
それは再び生じるでしょうから」と答えました。
(12・2・24 JOG)
いやいや、一度ある国から協会がなくなれば再びその国に協会が誕生することなどはないでしょう。
理由があって会員数が減少し、そうして協会が消滅するのです。
ですので、その理由をさがして改善する以外に協会を安定して存続させる方法などはありません。
それから、一度消えてしまったラティハンの炎を再びその国で復活させるには多分バパ程の存在をもう一度必要とするでしょう。
ですのでこれは二代目が言う様に「ほかっておけばその内また生える」様なものではないと思われます。
そうして・・・・
バパが生きていた時は80カ国ぐらいでしたが、今ではおそらく100カ国にまで協会は広まったでしょう。
(12・2・24 JOG)
バパが作った協会は依然としてあらゆる種類の場所で芽を出しており、国から国へと広がる事によって成長しています。
(14・7・21 CDK)
いやいやそうではありません。
この15年の間に75カ国から56カ国へ減少していますよ。<--リンク
そうやってたとえば我々のエリアではバングラデッシュ、香港、イラン、パキスタン、フィリピン、シンガポールから協会が消滅してしまったのでありました。
そして残念ではありますが、どうやら二代目統治の時代は会員数の単調減少の時代と重なりあう様であります。
さて以上の事から分かる様に二代目は
1、会員数のことをあまり気にしていない。(増やそう、、、という意思が感じられない。)
2、ある国から協会の存在が消えても「仕方がない」、あるいは「自然である」と考えている。(消えても簡単に再生できる、、、とお考えの様子。)
3、現状は「バパの時代の75カ国からさらに増加して100カ国に広がった」と勘違いしている。(事実は56カ国に縮小)
さて、そのようである二代目に「日本の国の協会の存続についての相談」をしてみてもあまり効果的とはおもえません。
そしてそれは「それぞれの国での協会の存続の責任はそれぞれの国が持て」という事でもあります。(注1)
さらに言えば、協会の国際的なセンターは存在して、そうしてそこからいろいろなアドバイスは送られてきますが(含む二代目からのアドバイス)、それらに従っていれば「自国の協会の存続が自動的に保証される、、、訳ではない」ということでもありますね。
そういう訳で我々は自分の国の協会の存続に責任があります。
我々は「何故に会員数が維持できないのか」理解し対応する必要があるのです。
そうしてこれは自分の国の次世代の人々に対する「我々が負うべき責任」でもありますね。
「ラティハンに参加したいのだがこの国のどこにもラティハンが存在しない」という状況は最悪であります。
そうして、それはまた「バパの努力を無にするもの」でもあります。(注2)
そうならない様に、そうして二代目の予想を跳ね返す形で「日本の中でずうっと存続していけるあり方」を探し出さねばなりません。
これが最優先課題でありましょう。
そうしてそれが「二代目から送られてきたレクイエムに対する我々の回答」でなければなりませんね。
PS(注1)
・・・・・・・
バパにより作られたこの協会は50年以上たちましたが、現在のところ、重大な問題はありません。
・・・・・・・
(12・12・27 PAM)
75カ国から56カ国に減少し、そうして今後も存続できるかどうか危機感を感じている多くの国の事は「重大な問題とは認識していない」、ということであります。
あるいは届いたメッセージにありますように「お国では会員数が減少傾向にあり大変でしょうが、がんばってください」と。
つまりは「お国での協会の存続はあなたがたのやり方次第」という事でありますね。
PS(注2)
・・・・・・・
バパが今まで受けたものは、最早や人類の1グループや一部分に限定されないものです。
それは人類全体のためのものです。
即ち全人類のため、つまりあらゆる国民、あらゆる宗教、あらゆる人種のためのものです。
・・・・・・・
(83・8・11LON)
さて、そういう訳でバパは幾たびも日本を訪れてくれたのでありますね。
そしてそれは「バパの努力そのもの」でもありました。
PS
「バパの言いつけ、あるいは二代目の言うとおりにしていたら協会がつぶれました。
でも我々に責任はありません。
言われたとおりにやっていたのですから、、、。」
よもやそんな言い訳が通る、、、などとは思っていませんよね。
こんな言い訳が通るのは小学校に入る前の子供達だけであります。
PS
余談ながら、(14・7・21 CDK)の二代目の発言から少々引用してみます。
「バパが与えてくれたガイドラインに変更を加える事」について、「反対である」と表明されたあと、「こういう事はイスラムでも起こりました。」と続きます。
「一つのイスラム教から始まって今ではおそらく百の形体のイスラム教が存在します。
(そして)この事は我々の協会でも起こり始めています。・・・・・」
ガイドラインに変更を加えると多様化が始まるーー>でも多様化は認められない
そういう主張でありますね。
さて二代目は「イスラム教で起きた様な多様なイスラムというのには反対だ」と主張しているのです。
でもそれでは、バパが所属していた、そうして二代目も所属しているであろう「ジャワイスラム」は困ってしまいますね。
「ワリ達のイスラム」である「ジャワイスラム」は明らかに「最初のイスラム」ではありません。
それは「百の形体のイスラム」のなかの「一つ」であります。
それはワリ・ソンゴによって「ジャワの人たちが受け入れやすいように変更が加えられたイスラム」であります。<--リンク
スナン・カリジョゴ(Sunan Kalijaga)をはじめとするワリ・ソンゴがいて「ジャワイスラムが成立」し、そうしてバパにつながりラティハンが啓示された。<--リンク
「多様なイスラムを認めない」とする立場は「この歴史的経緯を認めない」と言う事であり、「ご自分のよって立つ所を認めない事」の様に思われますが、いかがなものでありましょうか?
あるいは、自分たちが「大切なもの(イスラム)」を受け取る時には「多様化の恩恵(ジャワイスラム化)」を享受しながら、今度は自分たちが「大切なもの(ラティハン)」を受け渡す時には「多様化の恩恵は一切認めない」ということでありましょうか?
でもそれではなにやら少々「けちくさい話」の様に聞こえてしまいます。
さてイスラムというものは「多様性を認めないほど狭いもの」ではないでしょう。
そうでありますれば、これほど多くの国や民族に支持されているのでありましょう。
同じ事はキリスト教にも仏教にも言えそうであります。
それらの宗教もまた「大いなる多様性」を持っているのでありますね。
まあそうでなければ「世界中に広まる」と言う事など決して起こり得なかったでありましょう。
そういう訳で「頑なに多様性を否定する」ということは、好き好んで「先細りの道を選んでいる」様に思えてならないのでありました。
PS
ローマ法王も多様性には賛成の様でありますね。<--リンク
この柔軟性があってこその「カトリックの強さ」でありましょう。
PS
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